どんぎょんダイアリー

ドンワン(シンファ)、イム・テギョンさんが大好きです^^

Im Tae Kyung&Kim Dong Wan

[インタビュー] イム・テギョンは何故あらゆる事を置いてエベレストヘ離れようとするのか

2016-11-18 | イム・テギョン
テギョンさんのロングインタビューです・・・


正直、頭真っ白で言葉が見つからない状態


意訳してる部分もあるので不明瞭な訳ですみません。



※コメント欄、外してます。。。





[インタビュー] イム・テギョンは何故あらゆる事を置いてエベレストヘ離れようとするのか





クロスオーバー歌手でありミュージカル俳優イム・テギョンとのインタビューは不意に野球の話で始まった。

その上、最初の質問も記者でなくイム・テギョンの口から出てきた。

“もしかして野球を少ししますか?”というイム・テギョンの質問で始まったこの日のインタビューは非常に長い間野球の話が続いたし、ますます
歌手のインタビューなのか野球選手のインタビューなのかこんがらがる頃、イム・テギョンが本当にしたい話が出始めた。

そしてイム・テギョンが野球に邁進した理由も ‘本当の話’ をするためには必ず必要なことだった。

イム・テギョンの ‘本当の話’ の結論を先に話そうとするなら、彼は業界を、韓国を離れたいという考えを持っていた。

ファンたちには衝撃的なニュースだろうが、イム・テギョンもやはり多くの考えの末に下した結論であったし、また自ら下した結論に対する意志も
確かだった。

結論が出されたとすれば気になるのが、‘何故?’だ。イム・テギョンが何故このような考えを持つようになったのかその理由を聞いてみた。


先立って話したようにこの日のインタビューは野球の話で始まった。

現在、芸能人野球団 조마조마(zomazoma)に所属してるイム・テギョンは自他共に認める野球マニアでその実力も優れていた。実際にイム・テ
ギョンは今年所属リーグ上下半期優勝チーム同士が正面対決したキング オブ キング戦でMVPを受賞した。

イム・テギョンが野球を始めたストーリーもドラマチックだ。チュンアム小学校を出たイム・テギョンは小学校の時しばらく野球をして、彼の実力を
知ったラッパーのノ・ヒョンテの勧誘で約4年前に芸能人野球団である조마조마(zomazoma)に入団した。

また、イム・テギョンは入団プレゼントとして背番号を11番をもらったが、ここに理由がある。

イム・テギョンは、“私が小学校の時少しの間野球をした時の背番号が11番だった。そして私が一番好きな数字が11だ。1は最高というニュアン
スがあるけれど1つだと何か孤独に見えた。けれど、11は ‘最高の1’が2つだ。最高が一緒にあるという感じで11が良かった。とても偉そうにして
いるようなことでなくて、傲慢でもなく、一緒に最高になるという姿なので好きだった”と11番に対する愛情を表わした。

問題は조마조마(zomazoma)で既に11番の背番号を使う人がいたということだ。





イム・テギョンは、“私が入団する時、本来使っていた友達が譲歩をしてくれた。この友達が結婚までそれ程残ってないと言って祝歌を歌ってくれ
ればいいのにと、そうしたら親しくなった。けれどこの友達が結婚式をもうすぐに控えて心筋梗塞で突然亡くなった。私はその友達から背番号を
受け継いで、まさに親しくなったけれど、野球も一緒に出来なかったので亡くなったのが本当に残念だった。それと共に漫画的な発想であるよう
だがそのような気がした。私は友達の背番号をもらって友達の役割までして、必ず優勝して優勝カップを私の友達の影像に持っていきたかった。
その時本当に狂ったように野球をしたようだ”と初めて野球に没頭した理由を明らかにした。

また実際にこの年조마조마(ZOMAZOMA)は6個のトーナメントで5個の優勝トロフィーを獲得して優勝カップをその友達の影像にプレゼントした。

ここまでならハッピーエンドだけれど裏話がまたある。その後イム・テギョンはツアー公演などによりずっと競技に出て行くことが出来ず、昨年夏に
なってリーグに再び合流した。けれどしばらく運動を休んだために以前と同じプレーが出来ないのが問題であった。

イム・テギョンは、“予想はしたが思ったよりも更に体が壊れた。私の体がバカになったようだった。それでそこに挿されてその週からずっと山に登っ
て体を作って競技に出て行った。そうしたらますます以前のプレーが出来てきた。私は私の本来の技量を取り戻していく途中であったけれど周囲
では別にレッスンを受けてるのかと尋ねてきたりした。ハハ。そのようにしてみたら今年10月リーグで優勝をしたし、上下半期キング オブ キング戦
でも勝って優勝をした。その時に私がリーグMVPを受賞した”と話した。

当然満たされて喜ぶことだが、イム・テギョンが感じる感情はそんなことではなかった。イム・テギョンは優勝とMVPを成し遂げるとすぐに却って空し
さと虚脱感が訪れてきたと明らかにした。

イム・テギョンは、“満たされるより生き様に対して若干の恐慌状態がきたようだった。優勝してMVPを打鼓すれば気分が良いことと思ったが違った。
今回野球に陥ったのも、どんなに冷めてしまった意欲や火が消えたような情熱を燃やそうとしたのと同じだ。優勝したら空しさがとても大きかった。
喜びよりは虚弱でもう何をしなければならないかも分からなくてそのような空しさが来た”と打ち明けた。


これから本論だ。イム・テギョンはすでに意欲と情熱が冷めてしまったし、それを生き返らせるために野球に邁進したがこれさえも一時的な取り繕う
策に過ぎなかった。イム・テギョンは現在の業界はもちろん、生き様に対する失望と挫折を感じていた。





イム・テギョンは、“私はどうかしても人々とした約束を守りたい。コンサートをどこですると言えば、観客の方々と約束をしたことだ。けれど公演を
すればイム・テギョンが公演をすると言ったけれどその後ろには数多くの人々が絡まっている。私がいくら約束を守ろうとしても他の問題のために
取り消しになることが起こるのをいくら努力しても完全に防げなかった”として、“(個人的な)事故とかコンディションの問題はなかった。私は舞台に
行く前に体の管理を本当に徹底する。もちろんいくら熱心にしても不可能な場合もあるがそれでも最善を尽くして舞台に立とうとする。他の外敵で
ある問題のために観客たちと約束を守れない時はとても気に障って、申し訳なくて、虚しくて、そんな感じだった”と自身でない他の理由で公演が
取り消しになる事態に深い心残りを表わした。

具体的な例もあった。イム・テギョンは、“8月にチェジュ島で公演があったが慈善公演の概念だった。趣旨が良くてすることにしたが、公演2日前に
取り消しをした。私はすでにチェジュ島に行っている状態であった。慈善公演なのに一体なぜ取り消しをするのか理由は未だに分からない”として、
“また、ファンたちはホテルや航空券までの問題があった。それで担当者に観客に公演料の払い戻しをして航空券も手数料を支払いなさいと要請
した。すると自分が責任を負うと言ったが最後まで責任を取らなかった。後で分かったのだが(公演企画者が)詐欺罪で拘束されていた”と話した。

イム・テギョンが失望と挫折を感じたのは単に一度の事態に限定されたのではなかった。デビュー以後数多くの所で何回も体験した失望感が積も
りに積もって今爆発したのだ。

イム・テギョンは、“2002年にワールドカップ前夜祭でデビューしたので14年の間こうしたことが一度や二度ではなかった。今まではそのまま一人で
漬けてしまったことがとても多い”と話した。

引き続き、“人々が自身の話に責任を取らなかった事をとてもたくさん体験した。私は本当にこうしたことで謝るのが嫌だ。そして私の公演で一緒に
した人々がお金を貰えなかったという話を聞くのも嫌だ。私もギャランティーをもらってする公演であったのに、演奏者にはペイが支給されなかった
ことがある。後ほど分かった。けれど私が寄付をして善行をすると、‘演奏者にお金などあげてください’そのようなコメントが走ったりもする”と複雑で
息苦しい心境を表わした。

ミュージカルも同じだ。実際のイム・テギョンはすでに2年前からミュージカルに全く出演しないでいる。

ミュージカルに対する愛情はある。イム・テギョンは、“私のデビューはクロスオーバー歌手だけれど、ミュージカルに足を漬けた後には抜けられな
かった。あたかもドロ沼のような魅力がある。また、俳優は多いが実際に製作者は、主演級の俳優がいないという。なのでいつも同じ人が主人公を
するようだ。製作者が主人公をしていた俳優を逃すのは嫌なことだ。そうしながら情に引きずられて、(俳優を)していれば歌手イム・テギョンが遅れ
てくる。そうこうするうちに2年前から歌うイム・テギョンを準備した”と口を開いた。

引き続きイム・テギョンは、“簡単に例えれば、公演をする時に舞台が転換されればセットが入ってくるべきなのにそこで騒音が本当に大きく出る。
そしてセットがスライドに入ってくる時は暗転になった状態なのに観客の集中力を捉えることができなくてずっと揺らぐ音がする。それでは深刻な
場面がコメディになってしまう。私がでしゃばることもできるけれどひとまず観客の目に映るのは俳優だ。けれどむしろ舞台で俳優の能力を害する
程の要素がある。俳優もこれを揉み消そうと更に熱情的にしたりもする。情熱は良いがこれが科すれば事故が起きることもある。ひやひやする気
持ちで舞台に立たなければならないということだ”と観覧に適合しない舞台環境を指摘した。

セットのスライドの騒音は一つの例であって、イム・テギョンが本当に望むのは観客と俳優すべて満足できる公演環境を構築しようと思うことだ。け
れど、いくら努めてもこれは改善されなかったし、結局イム・テギョンはミュージカルを出て行かないでいる。

イム・テギョンは、“高い値段を払って来た観客に、‘この公演は本当に面白い’という感じを与えれば良いけれど、私の目には完全でないように見え
ると臆した。観客がこれぐらいのお金を出して見る公演でないと考えればとても申し訳ないことのようだ。それでいつからかは契約する時にスライド
音がすること、突然止まることと同じように小さい部分まで全て直してほしいという確約までもらって契約をした。それでも公演が始まれば直さなかっ
た。私は専攻が工学だ。どのようにすれば良くなるようになるのか私も知っていて、助言をしても、みんな責任を転嫁する。いつかは、これが本当に
直せないか?と尋ねるとすぐに、‘お金だけあれば直すことができる’と答えた”と話して虚しいように笑った。


他の見方をすればイム・テギョンが科して鋭敏だと考えることもできる。だが、イム・テギョンは断固としていた。

イム・テギョンは、“私が科すると考えることもできるけれど私は科すると考えない。それで2年前からただ(ミュージカルを)しない。私が観客に本当に
お金が惜しくない満足感をプレゼントする、そのような作品に会う前まで(ミュージカルは)しないつもりだ”と断言した。

この言葉は再びミュージカルをすることもできるが、反対にずっとミュージカルをすることができないこともあるという意でもある。これはミュージカル
だけでなく歌手でも同じだ。

実際にイム・テギョンは11月18日に予定された‘한국가곡의 밤 - 임태경의 얼굴(韓国歌曲の夜 - イム・テギョンの顔)’が、自身の最後のコンサー
トになり得ると話すこともした。

イム・テギョンは、“現在の計画は、11月18日にLGアートセンターで韓国歌曲でリサイタルをする。シン・クィボク先生の‘얼굴(顔)’ 50周年でもあり、
叔母がシン・クィボク先生の弟子だ。その縁で繋がりができて進めるコンサートだ”と話した。

引き続き、“来年は決心した計画がぴったり一つある。エベレスト山に行くことだ。野球をしようと山に登ってみたら山が良かった。自然は時々大きく
ひどい目に遭わせるが、いつもそのままでいて慰めになる”として、“エベレスト登攀(とうはん)して来ないこともある。帰ってこなければ11月18日が
最後のコンサートになり得る。私なりのままの脅迫だ。本当にそのようなこともある”とびっくり宣言をした。

イム・テギョンは、“今は率直に歌も楽しく出来ずにいる。本当に意欲がないということだ。何もしたくなくて何の意欲がない。意欲を失うことになった
状態で何ヶ月間、自分自身を置いている。生き様に神経を多く使って長く悩んだ。国の状況に比較すればつまらないことかもしれないが、根本的に
これも今、我が国に処している状況と大きく異ならない。どこでもその間に私たちが吐いた話に責任を背負って生きたら、多分今よりはるかに愉快な
環境で人生を営まなかっただろうかと考える”と今の状況に疲れていることを打ち明けた。





誰かは明らかに差し出がましい、過度に鋭敏な性格ということもできるだろうが、イム・テギョンの夢は共に楽しい世の中だ。

比喩をしようとするなら一人一人の解脱を強調する小乗仏教でなくすべて共に悟りの道を行く大勝仏教に近いわけだ。

イム・テギョンは、“高校の時、スイス留学に行ったがその時親しい友達と最後にした言葉が、‘この広い世の中を熱心に学んで我が国をより良い
国として作ってみよう’であった。他の見方をすれば幼稚なそのような話をした。幼くてテコンドーをする時、毎日国旗に対する敬礼をして誓約文を
読んで韓国はナショナリティーを越えたとても格別の意味がある。国がないけれど私がどのようにするか。特に外国に出て祖国があることがどんな
感じなのか分かる。国を失った所から来た友達に会うとその人々は足を踏まなければならないそのような空間がないという気がすると言う。可愛い
くても、憎くても私たちの祖国で生まれて生きたが少しでももう少し良い社会を作りたかった。けれど、この頃は(私が)とてもつまらないことのようで
私が歌を歌って何をしたかったりするかのようだった”と話した。

引き続き、“私の本来の夢が福祉仕事をすることだ。私が考える幸福で良い人生のために私の生涯を捧げて尽くしたいという意を持って歌を始めた。
私が歌う素質があって私の職業だと考えたことはない。(歌は)福祉仕事をするための私の準備過程だ。航海をするために船を購入した計算なのに、
今は船が漂流中であるようだ”と打ち明けた。

イム・テギョンの歌に幸福感を感じる人々も沢山いると言うとすぐに彼は、“私の歌で幸せになる人々がいるという確信があるならば少なめに漂流す
るのだが、これがまたそうではない。例えばイム・テギョンの音楽のために幸せだと言ったファンたちが私が考える時は些細な問題などを契機にアン
チで背を向ける姿を見れば、私が間欠的な、瞬間的な幸福は与えることができるが、永く粘り強い幸福は与えないようでそのような気がする”と打ち
明けた。


イム・テギョンはこのような自身を苦しく見ることができるということを知っている。だが変えるつもりはない。

イム・テギョンは、“苦しいと考える人がいるだろうが仕方ない。人によって自分が重要だと考えるのが似ていながらもみんな違う。私一人だけを考え
る考え方が私にはないということと同じだ。 私が私一人だけを考えたとすれば更に気楽に生きたということだ”と自身が変わることはないことだと強調
した。

今までの話を整理すれば、イム・テギョンはすべて共に楽しく幸せに暮らすことができる社会を希望して、またそこに自身が寄与をしたいという夢を持っ
ている。だが、現実はそうでなかったし、そこで永らく自壊感と失望感を感じるあまり、約束のない旅行に出発する考えをしている計算だった。

それならこれは事実上の引退宣言と見なければならないのか。これに対してだけはイム・テギョンも確答を留保して余地を残した。

イム・テギョンは、“私はそのようだ、あのようだと話をしただけだ。その次は人々の各々の判断だ。相応しい行いと考えることもできるので仕方ない”と
話した。

最後にイム・テギョンは、“私はサインをしてあげなければならない時にはほとんど、‘幸せになってください’という言葉だけ使って差し上げる。多くの
方々がどのようにすれば幸福になるかに対して本当に深く、慎重に考えれば良いだろう。私たちが私たちの人生で重要なのが何だろうか、その価値に
対してももう少し考えてみたら良いだろう。特にこの頃のように乱れていた我が国の状況で祖国が何かに対しても考えたら良いし... そのようにする”と
付け加えた。


@스포츠동아