栃木県はが郡の

陶工のつぶやき

昔の事を思い出した

2011-01-14 22:01:15 | 自分のこと
朝顔を洗っていてふと思った

「お湯になるまで、時間がかかるな。」



まあボイラーから蛇口までの配管の中は冷たいわけです。

お湯になるまでの、水がもったいないと思うんだけど

どうにもこうにも・・・

そして子供のころの事を思い出した。

小学校の1~2年のころは、まだ水道がなかった。

いや、これは我が家が貧乏だったとか、そういうことではなくて

当時は普通だったのですよ。昭和30年代。年がばれる。(笑)

ちょうど「となりのトトロ。」のサツキとメイみたいなもんです。

近所の公衆井戸まで水汲みに行って

家まで運んで、水瓶に入れる。

ふと思ったんだけど

あの井戸の水って・・・ただだったのかしら?

誰かしら掃除したり管理したりしてたんだろうな。

そしてほどなく水道が入り

家で水が使えるようになった。

当然お湯なんか出てこないわけです。

家に水道一本あるだけ。

冬などは母がヤカンのお湯を、洗面器にさしてくれたっけな。

そして中学の時だったと思うんだけど

瞬間湯沸かし器というものが台所に設置され

不自由なくお湯が使えるようになった。

まあ人類の進歩と言いますか

昭和の後半の歴史を歩いてきたような気がする。

風呂に入る時なんか

始めの頃はバケツで水を運んでいたんだけど

ある日親が長いホースを買ってきて

台所から風呂場まで

居間の中を通って

水を入れたんです。

いや~楽になった。

なんで最初からやらなかったのか?(笑)

今思うと、家に居ながらキャンプしているようなものです。

当然風呂場に水道はなく(笑)

水が無くなると

「水だして~!」

不自由ともなんとも思わなかった。

それが普通だと思ってましたから。

何をするにも一人では出来なかったので、助けあっていたような気がする。

台所は廊下のはずれにあったから

多分冬なんかすごく寒かったんじゃないか?

水道もよく凍ったし。

朝起きて服を着るとき

服が冷たいから、薪ストーブで一回あぶってから着てたなあ。

朝なのでぼーっとしてると、なんだか焦げ臭いんですよ。(笑)

「ほら!焦げてる!」と母の声。

そのうち小学校高学年になってきたら

ナイロン製のヤッケと僕らは言ってたけど

ウインドブレーカーのようなのが出回るようになって

フリースのように一気にみんなが着るようになった。

これが熱に弱いんだ(笑)

よく部分的に焦げて縮れたのを着てたものです。

そして滑って転んでも、焦げたようにテカテカになるだこれが。

まあこう言うことをえんえんと書いていてもどうかと思うのでやめますが

何を言いたいかというと

昔は寒かった!でも子供だからあまり寒いとも思わなかった。

今はファンヒータやエアコン使って暖かくしてるけど・・・寒いなあ。(笑)





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