活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

バレンタインの「活字チョコ」

2011-02-14 09:41:16 | 活版印刷のふるさと紀行
 きょうはバレンタイン・デー。
デパートはもちろんコンビにもきれいな包装のチョコレートの山が築かれております。。
最近は女性から男性へばかりではなく、学校や職場でも女性同士でも交換しあうといいますから納得です。

 そこで思うのですが、「活字チョコ」というのはいかがでしょうか。
 たとえば、正方形の板チョコ状のチョコレートに「愛」とか「友」とか「憧」とかの文字が活字体で浮き出している。
あるいは本当の活字のように、左文字で彫られている。こんなのがあったらおもしろいのではないでしょうか。
「別」なんというのをもらってドキリ。もっと凝れば、ホンモノの活字の形状にすれば、活字をみたことのない若い人も
口に入れる前に興味を持ってくれそうです。

 特設売り場にあいうえお から んまで五〇音のひらがなとかアルファベットの26文字のチョコレートが用意されていて、自分の名前とか相手に伝えたい言葉をお客がセッティングして包装してもらうというアイデアもあります。

 美しいデザインのチョコレートもバレンタインの彩りとして楽しいものですが、「活字チョコ」、「タイポチョコ」
も知的で格調があると思いますがいかがでしょうか。


 
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色校正がつまらなくなった

2011-02-12 11:44:22 | 活版印刷のふるさと紀行
 今年は雪が多いせいでしょうか毎日のようにテレビが 豪雪地や日ごろ雪とは無縁の都市の雪景色を映し出してくれています。
 あれを見ていて「おおっ真白だ」と感心しているのは私一人だけでしょうか。私の経験ではオフセット印刷の色校正の場合、白い雪がブルーをかぶって出校されてくることが多くて、「もっと白く」などと素人っぽい赤字を入れたことが何度もあったからです。

 もちろん、以前のフィルム製版の時代の話です。
 当時の「色校正」は面倒でした。白の反対色、黒ならいいかといいますと、着物の留袖の
黒が黒ではなくて藍っぽく出てきたもりしました。色だけではありません、その被写体のもつ質感などもどうもウマク再現されないケースがありました。

 「ポジフィルムは透過光で見ます。印刷物は反射光で見ます。だから、写真原稿通りとはいきません。色も印刷の場合は印刷インキですから」印刷会社の営業担当の人は言い訳とも慰めともつかぬことをいうのです。

 「まあ、いいか」、こちらも開きなおって、該当箇所をマルで囲んだり、斜線でつぶしたりして、「アカおさえる」とか「黄みツヨク」とかやや、あてずっぽうで書き込むのです。どうも文字校正と違って色校正にはキマリがなくって校正マンがめいめい我流でやっていたフシがあります。
 そして再校が出てきます。たいていの場合、初校よりも数段良くなっていました。オフセットの神様、レタッチの達人がいて、直してくれたのでした。

 そのフィルム製版の時代が終わり、DTPデータ処理の時代がきて色校正も様変わり、神様が姿を消したかわりに、なんだか簡略化されたようで気に入りません。校正でちょっと複雑な注文をつけると、もう一度、製版からやり直し。それもコンピュータで数値処理をするのですから、いったい、どうなっているのかわれわれにはわかりません。
 おまけに、簡易校正とかで、インクジェットで色を出した校正紙を見せられたり、本機校正などと勿体をつけて「これは本紙ですから」と特別扱いみたいにいわれるのはスカンです。




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校正のこと、出張校正のこと3

2011-02-11 12:43:14 | 活版印刷のふるさと紀行
 校正のしかたも時代とともにずいぶん変わってきたものです。

「ゲタをはいている」といいましたが、初校でむずかしい字で活字がないとき、あるいは、同じページに同じ文字がたくさんあって、植字現場の活字が足りないときなど、「二の字、二の字の下駄のあと」ならぬ〓が活字変わりに入っていました。〓の多い校正刷りは汚くていやなものでした。再校には〓が消えて、ちゃんと活字が入っているのが普通でしたから、その間にいそいで「作字」をしてくれていたのでしょう。

 校正には「読み合わせ」といって二人がかりで、読み手と確認して、赤字を入れる人の二人で組んで進めることがあります。
 しかし、それよりも二人で別々に同じゲラを校正した方が確実でした。校正は一人よりも二人、二人よりも三人と、できるだけ「違う目」で見た方がより確実でした。

 それに活版の場合、ふつう校正刷は二通、多くても三通しか出ませんので、手わけするといっても限度がありました。コピー機が出てから、校正刷のコピーを何通もとってばらまいて短時間でみんなで校正する手法もありましたが、最後に一通にまとめなくてはなりませんし、そのとき、転記ミスが出て苦い思いをしたこともあります。

 その点、印刷所のコンピュータと結ばれているパソコンのディスプレ上で直接、訂正を
入れる昨今のデジタル校正は機能的です。
 しかし、校正紙のやりとりで編集者と印刷現場の人ががつながっていたアナログ時代の校正には捨てがたい味がありました。








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校正のこと、出張校正のこと2

2011-02-10 09:28:18 | 活版印刷のふるさと紀行
 出張校正室の話を続けましょう。私がいちばんよく知っていた大日本印刷の市ヶ谷の出張校正室はこんなでした。
 
 ホテルで廊下を挟んでルームが並んでいるあのスタイルで、廊下の左右に校正室がいくつも並んでいました。たいてい、ルームナンバーの下に「月刊○○」とか「××出版社」とか、その室の主人公の誌名や社名のネームプレートが掲出されております。
 
 室内に入ると、横長の机に椅子が並んでいて、8人ぐらいから12,3人は楽に校正が出来るようになっていました。それにコート掛けや珈琲茶碗やコップのおいてある机があったりして、かなりのスペースでした。校正机の上にはペン皿によく削った赤鉛筆やペン、消しゴムなどが整然と並べられていてちょっとした「編集室」といった空間でした。

 辞典とか年鑑とか長期にわたって校正作業のある社の出張校正室は午前中から使われていることもありましたが、ふつう多くの室が混み合うのは夕方からでした。
 印刷工場から校正刷があがってくるまでは編集部員同士あるいは校正マンの談話室で
賑やかですが、校了時点には殺気だって戦場に早変わりです。編集長の怒号さえ飛び交うことがありました。

 神楽坂あたりの旅館まで著者の先生をお迎えにいって、この校正室で原稿を書いていただいて、ひったくるようにして「組み」に回す綱渡りがおこなわれることも日常で、時代小説の某作家など、新米部員がトイレまで同行することがありました。脱出防止です。

 出張校正室では食事どきになると、弁当が出ました。学校給食などとちがい、どうやら
社によってグレードがちがったようです。なかにはビールや酒を持ち込んでチビリチビリ
とやりながら校正を進めているつわものもいました。
 校了になった日など、大日本が呼んでくれるハイヤーで銀座に飲みに向うのが通例の
編集者もいました。これは、アナログ時代の話。校正は大きく変わらざるを得なくなりました。出張校正室も、いつも親切だった係の老嬢も消えて行きました。
 
 

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校正のこと、出張校正のこと

2011-02-07 10:40:12 | 活版印刷のふるさと紀行
 きのう、おとといと出張校正をしました。といっても出版社に出向いて編集の人とディスプレの上で最終確認をしただけのことです。初校は入力ゲラを印刷してもらって紙の上で校正できるのですが、再校となると省力化でパソコンのディスプレ上で編集者立ち合いで訂正してハイ終わりというわけです。

 出張校正というのは、以前は印刷会社の出張校正室に缶詰めになってするものでした。
指定された時間に行くとインキの臭いがする刷りたてホヤホヤ初校のゲラが出てきます。
 丹念に原稿とつけ合わせしながらひとわたり校正して「要再校」で工場に戻します。
待っていると訂正されて「再校」が出てきます。

 再校から「要三校」ともう一段階進むことがありましたが、たいていの場合、直しが少なければ、「責了」でいちおう校正は終わりです。責了とは責任校了の略で、印刷工場の方で訂正に責任をもって校正段階は終わりにしてつぎの段階に進むことになります。

 ただ、慎重を期さねばならないときは、「要念校」でもう一度、校正刷りを出してもらう場合もありました。ときには、「ヌキ念」といって直しを念入りにチェックするために
確認したいページだけ抜き出して印刷してもらうこともありました。

 印刷のデジタル化で校正作業もすっかり変わってしまいました。アナログ時代の校正や出張校正室には実にいろいろなことがありました。

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活版刷りの名刺を添えて来た手紙

2011-02-01 13:05:12 | 活版印刷のふるさと紀行
 ブログをやっていましていちばん楽しいことはレスポンスのあることです。
私のブログのような地味なテーマの場合は猥雑な書き込みをされることはあっても、コメントをいただくケースはさほど多くありませんからなおさらです。。

 昨日のことです、このところ私が何回かにわたって書いて来ました「秀英体100」企画展のブログを読んで便りをくださった先輩がおられます。
 
 封書をあけたらパラリと便箋の間からおちたものがありました。見ると、秀英体活字で
組んで、直刷(じかずり)した先輩の名刺でした。
 「少々圧が強いようですがこれも活版のあかしです」という付箋がついておりました。
なんだか見せびらかされているみたいな気持ちと活版をこよなく愛しているぞという先輩の心情がストレートに伝わってきてうらやましい気持ちとうれしい気持ちにかられました。この気持ち、わかっていただけますか。

 手紙には秀英体にからむエピソードが満載でした。
 岩波の『広辞苑』の第三版がCTS(コンピュータライズ・タイプセッティング)組版になってオフセット印刷に移行するので、秀英体フォントの修正にかかわったときのこと、杉浦康平さんや滝口修造との活字に絡む思い出のかずかず。紹介できないのが残念です。

 もちろん、先輩はGGGへ飛んで行かれたようで、会場のポスターデザインや上の写真の秀英体改刻の歩みについても触れておられました。ブログが縁の懐かしくて、うれしくて、ありがたい手紙でした。
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