活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

キヨッソーネの技術が受け継がれた

2011-02-17 17:51:57 | 活版印刷のふるさと紀行
 キヨッソーネは日本の来たとき既に「不惑」を通り過ぎた年齢でした。しかし、少しも大成した感じを与えないばかりか、銅版彫刻家としても油絵画家としても名の通ったアーティストでありながら、まだまだ青年のように創作意欲をみなぎらせていました。

 そして、みるみるうちに日本の古美術に傾倒していきました。
自分が日本政府に求められている紙幣のデザインには日本の風土がもたらしている美のエッセンスを盛り込みたい、それには伝統的な日本美術をうんと調査、研究しなくてはと考えたようです。それと、もうひとつ、自分の手もとに日本の優れたアートを置いて、つねにそれに触れていたい、眺めていたいという欲望がありました。

 来日数年後でしたか、大蔵省の後援もあって150日もの古美術探査の旅に出たのもその表れです。京都とか奈良、日光のように寺社があって美術品の収蔵が多い土地、岐阜や諏訪のような当時は交通不便な土地にも足をのばしました。正倉院の御物も拝観しました。

 その日本美術を求めての遍歴で彼は自分のコレクションもものにしました。大蔵省から入る高給がおおいに役だったのでしょう。
 たとえば浮世絵を例にとっても、菱川師宣のような大先達から、明治の河鍋暁斎にいたるまで浮世絵のすべてがわかるコレクションを手にしました。
 この彼のコレクションはイタリアのジェノヴァの東洋美術館の呼びものになっていますが、20年ほど前、たしか「里帰り展」があったと思います。

 とにかくキヨッソーネがもたらした原画の作成から製版・印刷技法が日本の金券・証券印刷に与えた影響の大きさははかりしれません。
 また、その優れた技術が本家の大蔵省印刷局にはもちろんのこと、凸版印刷株式会社に脈々と受け継がれてています。
 写真は銅版画で表現された岩倉具視(左)と三條實美です。そのほか明治天皇、昭憲皇太后、大久保利通、木戸考允、皇室から政財界の大物までキヨッソーネの描いた肖像画を見ただけで、彼が受けていた信望の深さがわかりますね。

コメント
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