コレジヨ館に別れを告げて、いよいよ、天草本の印刷所があったであろう場所の探索に移らねばなりません。
前の加津佐の天辺の丘では、思わずなにもモニュメントがないことを悔しがりましたが、、ここ、河浦では、ありがたいことにコレジヨ跡が史跡になっています。
目標は何年か前に訪ねたときは河浦中学校だったのですが、こんどは町の庁舎です。庁舎の横手といいますか、回り込んだところに葛河内川の堤防があります。
ヨッコラショとその堤防にのぼると、サクラ並木の道で、川っぷちはツツジの植え込みが続いていて、「ふれあい橋」という小さな橋がかけられていました。
ちょうどツツジの満開で川べりが赤く染まって、葉桜のサクラと絶妙なプロムナードの雰囲気をかもしだしておりました。
川に沿って歩いていくと、その葛河内川が一町田川に合流します。
そこに、コレジヨ跡のモニュメントが作られていました。ベンチが置いてあり、
ゆるやかなカーブを持つ石壁がありますが、その壁面にヴァリニャーノの肖像を真ん中に、右に少年使節、左に印刷所の状景がポルトガルのアズレージョ(青のタイル画)で表現されていました。
ベンチに腰をかけて、「そうか、あの町役場のあたりにコレジヨの校舎や教会があって、この辺に印刷所があったのか」と、400年前を夢想するひとときは、悪くないものです。
ただ、ここでも蛇足が必要です。コレジヨが河内浦ではなく、本渡城のあったいまの本渡だという人もいることをです。
前の加津佐の天辺の丘では、思わずなにもモニュメントがないことを悔しがりましたが、、ここ、河浦では、ありがたいことにコレジヨ跡が史跡になっています。
目標は何年か前に訪ねたときは河浦中学校だったのですが、こんどは町の庁舎です。庁舎の横手といいますか、回り込んだところに葛河内川の堤防があります。
ヨッコラショとその堤防にのぼると、サクラ並木の道で、川っぷちはツツジの植え込みが続いていて、「ふれあい橋」という小さな橋がかけられていました。
ちょうどツツジの満開で川べりが赤く染まって、葉桜のサクラと絶妙なプロムナードの雰囲気をかもしだしておりました。
川に沿って歩いていくと、その葛河内川が一町田川に合流します。
そこに、コレジヨ跡のモニュメントが作られていました。ベンチが置いてあり、
ゆるやかなカーブを持つ石壁がありますが、その壁面にヴァリニャーノの肖像を真ん中に、右に少年使節、左に印刷所の状景がポルトガルのアズレージョ(青のタイル画)で表現されていました。
ベンチに腰をかけて、「そうか、あの町役場のあたりにコレジヨの校舎や教会があって、この辺に印刷所があったのか」と、400年前を夢想するひとときは、悪くないものです。
ただ、ここでも蛇足が必要です。コレジヨが河内浦ではなく、本渡城のあったいまの本渡だという人もいることをです。
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