活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

「猿投」って読めますか

2012-11-19 13:43:11 | 活版印刷のふるさと紀行

 ハイ、「さなげ」が正解です。

 唐突になんだと思われそうですが11月17日の日経夕刊「文学周遊」の、芝木好子「青磁砧(きぬた)愛知・猿投に目が留まったのがきっかけだと思ってください。

 猿投神社、名鉄猿投駅、名鉄平戸橋駅、編集委員の岩田三代さんの書かれた紀行文のあちこちに踊っている地名活字に懐かしさが込み上げてきたからです。

 猿投は父の生地で、私の戦争末期の疎開先でした。毎朝、通学で猿投駅に向かう道に猿投神社の「一の鳥居」があり、きまって山鳩が鳴いていました。朝は猿投山を背に、夕方下校時は猿投山に向かって4キロ歩きました。

 猿投山は標高600mちょっと、稜線がなだらかでやさしい山でした。戦争中に登ったら、米軍機が電波妨害のために落とした銀箔テープが木の枝にひっかかっていて、友人と取りっこをしました。菊の花弁の文様を散りばめたような花崗岩「菊石」が名物で、地酒の名称になっていました。「猿投山は降下訓練の目標」と話してくれたのは近くの伊保原海軍航空隊の予備学生だったと覚えています。

 平戸橋はダムの近くで桜の名所です。名古屋や岡崎からのバスのターミナルがありました。上流のダムでボートを漕いだのは戦争が終わってからでした。 芝木さんの作品は未読ですが、平戸橋で加藤陶九郎さんを見かけたことも思いだしましたし、陶土を瀬戸に運ぶ牛車や山裾でまわっていたいた砕土用の水車も知っています。

 先日、大阪への途中、新幹線の窓から猿投山を探しましたが、曇っていたために見落としてしまいました。

 

 

 

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