多摩美大美術館の展覧会では古い話ではあっても「そうだったのか」と新しいことを知ることがあってなんだか得をした気分になりました。その最たることは日本が戦争へ、戦争へと傾斜している時代に、こんなに子どものために真剣に絵雑誌作りに取り組んでいた人たちがいてくれたのかという畏敬の念を覚えたことです。
発行の代表者の鷹見久太郎(思水)さんはもとより、座談会のレクチュアーで名前が挙がった人に当時、東京女高師の幼児教育に携わっていた倉橋惣三さんや前出の多くの画家や詩人のエピソードには耳を傾けることがたくさんありました。また、ここにお見せするのは野口雨情の「兎のダンス」の草稿ですが、雨情に限ってもコドモノクニで発表した詩がこの「兎のダンス」始め、「あの町、この町」、「雨降りお月さん」など今に残る有名な童謡になったことも初めて知りました。
意外だったのは、やはりレクチュアーで鷹見本雄さんが話されたコドモノクニの画料や原稿料が当時としては破格で、稿料を手にしたとき足が震えた作家がいたという話、それと、会場で東山新吉の童画を発見したことです。ここにお見せするのは1934年に描かれた「ロンドン動物園」で26歳のときの東山魁夷作品です。ここで思い出したのは以前、といっても30年ほど前には「童画会」というような団体があって毎年数多くの優秀作品が発表されていました。あれはどうなったのでしょう。いまは、コミックが優位ですが、もっとコドモノクニ的なイラストがでてきてもよいのではないでしょうか。2歳から7歳児が対象とありましたが、当時の子どもにとってコドモノクニの存在はしあわせでした。