活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ17

2009-08-26 10:22:46 | 活版印刷のふるさと紀行
 ヴィセンテ法印-ヴァリニャーノに国字版下の作成を頼まれた養方軒パウロの息子です。僧侶からイエズス会入りした父と同じ道を歩き、父と同じように能筆で文章家でした。
 彼は、高齢にもかかわらず、自らを鼓舞してあれこれ奔走している父を見ているのが辛くなりました。父を手伝う決心をして動きだしていました。
 
 その彼に手をさしのべてくれた修練院仲間がいます。 
ジョアン・ロドリゲスです。この1577(天正5)に来日した22歳のポルトガル人は、短い間に日本語をマスターし、修道士に任じられる直前でした。
 「日本の木版とヨーロッパの金属活字を使う印刷はまったく違う。二人してフロイス様のお許しをいただいて、実際に向こうの印刷を知っている者を仲間にしよう」
 活版印刷の工房をみたこともないパウロ様とヴィセンテ、あなたがいくら頑張っても限界がある」
 ロドリゲスとヴィセンテ二人が同じようにルイス・フロイスに目をかけられているのが幸いでした。

 有難い申し出でした。さっそく、ロドリゲスはアブレウ、ゴンザレス、カラコスといった同じポルトガル人で気心の知れた何人かを集めてくれました。いまでいう
プロジェクト・チームの編成ができたわけで、ミヤコから帰った養方軒の喜びようったらありませんでした。
 彼らから聞く向こうの印刷と、ミヤコで見聞きしてきた整版方式の木版とは大違いでした。それに、木活字の話と鉛でつくるという金属の活字の話とは噛み合いません。養方軒は頭を抱え込みました。

 ロドリゲスは自らが日頃、日本の文字の多さに辟易していましたから、文字数の多い活字づくりの大変さを見抜いていました。
 「私に提案がある。ヴァリニャーノ様がヴィセンテのおやじ様におっしゃった国字の版下をつくるには、まず、たくさん使われるであろう文字を選び出すことが必要だ。こればっかりはわれわれポルトガル人の手には負えないので、あなた方親子で始めてほしい」 これも、もっともでした。


コメント
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