活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ8

2009-08-14 10:41:16 | 活版印刷のふるさと紀行
 ヴァリニャーノはバドヴァ大学で教会法学を学んでいたころ、論文の印刷でたびたび足を運んだヴェネツィアの印刷所の内部を思い描きました。

 その1560年代そうそうといえば、グーテンベルクの活版印刷術の発明から100年、ヴェネツィアには手広く活版印刷を営んでいる印刷所が何軒もありました。
 ヨーロッパではいちはやく「写字の時代」がはるかに遠ざかって「印刷の時代」が盛んになっておりました。印刷がニューメディアでしたから学生は印刷に大変な興味をもっていました。印刷の恩恵が計り知れないことを知っていました。
 ヴァリニャーノもその一人、印刷所を訪ねるたびに、鋳造や植字や印刷の職場を目を皿のようにして見てまわりました。食事時間になって親方夫妻の食卓に招じいれられたことさえありました。

 《日本に印刷機を持ち込めば、印刷は出来る》
 《問題は活字だ、日本文字の活字がなければ、日本人は読めない》
 親指の爪にも満たない鉛の活字がヴァリニャーノの頭の中で踊った。
 ヴァリニャーノは日本での印刷のネックが「活字」にあることを直感したのです。さすがでした。

 それにしても、と、彼は頭をめぐらす。
 《私はあまりにも日本文字について知らなすぎる》
 フロイスを呼んでふたりで日本に活版印刷を持ち込む相談をすることにしたのでした。印刷について知識があり、日本をよく知っているからです。
 フロイスは日本文字について養方軒パウロという仏僧から改宗した70歳はゆうに超えているであろう老人に来てもらいました。木版には知識がありますが、鉛活字を使う活版印刷が想像も出来ないパウロに話をのみこませるのは大変でした。

 日本の文字には中国から入って来た「漢字」と、日本で作られた簡略文字の「仮名」の2種類がある。仮名は数が限られているが、漢字となると万はくだらないということがわかりました。自分の勘が当たっていたことはうれしかったが、この壁にどう挑むかでした。






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