活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

想説/活版印刷人あれこれ16

2009-08-25 11:53:01 | 活版印刷のふるさと紀行
 そうはいっても養方軒パウロが事を進めるのには次々と障害が立ちはだかるのでした。
 ミヤコ行きも仏教寺との対立がはげしい九州よりも信長の保護があるだけ寺僧との接触が容易だろうと考えてのことでした。
 ところが、「伴天連法師がぬけぬけと山門をくぐって来るとは」と、力づくで追い出されることがしばしばでした。

 しかし、幸運にも唐がえりの僧から多少の知識を得ることができました。
 「長安でも我が国と同じで書写が尊ばれているが、書物を板印することも多い。書写だと一冊だが、板印だと何冊もできるし、再版も容易だからな」

 「私がうかがったところですと、かのエーウロッパには文字を一字ずつ、金属に刻んで、紙に押し付けて書写と同じに仕上げる方法があるとききますが」
 「唐にもあるある、ただ、金属ではなく、文字を板木に刻んで、それを一面に植えて刷るのじゃ。あれは木版とは違う」

 「ほれ、ほれ、これじゃ」、  僧は木版本と木活字本の両方をを持って来て見せてくれました。
  「このどちらも高麗本じゃ。唐で発明されたんじゃが、朝鮮にわたって朝鮮でも盛んでなぁ」
 
 養方軒はその寺を辞しながらこれから先を思いやるのでした。
 《金属であろうと木であろうと一字の大きさはさほど違うまい、まず、あの大きさで文字の版下をつくるとなると、難儀なことこの上もない》
 ヴァリニャーノとの約束をはたすためには、かなりの人の助けが必要です。長崎の来て、版下作業を共にしてくれる人材探しも加わりました。



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