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深空(mi so ra)

忘れたくないこと、憶えておきたいこと、心に留めておきたいこと・・・
記憶の受け皿に少しずつ並べていく。

2006年3月8日

2006-03-08 21:54:26 | 映画
「空中庭園」 豊田利晃監督


観ながら、ああ凄く凄くよく分かると何度も頭の中で呟いた。
とりわけ母娘の関係性に胸を衝かれた。

映画の冒頭では、観覧車のように景色が切り替わっていくさまが、どこか茫洋としていて、その先の展開を暗示していて、確固たるものとして自分が大事にしているものですらも、実は幻なのかもしれない、と思わされてしまう。

人と人は、いつもいつもうまくいくとは限らない。うまく触れ合えないことも多い。それは家族の間においてもそう。

豊田監督はいつも作品の中で、人と人との間に横たわる闇の部分を容赦なく照らし出して、本質を暴き出そうとしていたように思う。

人との関わりにおいて、うまくいかないからこそ夢を持つし、少しでも歩み寄りたいと願うのか。

この映画でも、小泉今日子扮する主人公の家庭はいつ破綻してもおかしくない状態なのに、家族が皆そこに踏みとどまる。それぞれの誰かを思う思いやりによって。

思いやりというのは、その人を好きと思う気持ち、大事にしたいと思う気持ちに成り立っているのだろうか。

家族といっても他者の集まりで、一番小さな社会集団であり、物理的に離れた場所にいても、その家族に属しているということ、母親の子供なのだ、という事実からは逃れられない。それは墓場までずっと続いていく。

生育した環境に絶望し、自分が構えた新しい家庭に希望や拠り所を求めても、過去は消せないし、何かを許さなければ、認めなければ、思いは叶わないかもしれない。

主人公の母親がバースデーケーキのろうそくを消しながら「立ち止まって・・・・・」と呟きを繰り返すシーンは、自身と娘に、人生における過去の後悔と未来の希望を示唆しているようで、象徴的である。

そしてラストに心を救われる。

小泉今日子扮する主人公が、雨の中ずぶぬれになりながら堰を切ったように叫び、自分を解放していくシーンには涙が止まらなくなった。
そして最期に主人公が開けたドアの先には、今までとは違う何かが待ち受けている。その何かを“違う”と認められること。それが人間の強さであり、再生力なのだと感じずにはいられなかった。


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2006年2月22日Ⅱ

2006-02-22 22:18:46 | 映画
「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」マルク・ローテムント監督

最初から最後まで緊迫感に充ちていて、涙も流せないくらいずっと画面を凝視してしまった映画だった。

ドイツ人でありながら、ヒトラー政権下の母国の有様に異を唱えつづけた学生グループ“白バラ“のメンバー達。主人公のゾフィーはまだ21歳の女子大生で、流行歌に胸躍らせたり、婚約者との満ち足りた夢を持ちながらも、己れの信念に殉じていく。
同じ白バラのメンバーで最後まで権力に屈することのなかったゾフィーの兄ハンスが残した「強い信念と優しい心」という言葉が胸を打つ。当たり前のことが当たり前にとられない時代。かつての日本がそうであったように。時を隔てた今ならば、ゾフィー達の理想や信念は、人間が持ち得る普遍的な良識であり、決して人を咎めるものでも、罰するものでもないことは明白だ。でも、そんな普遍的と思われることが許されない世界が、確かにこの世界に存在しているということを改めて思い知らされる。そして、そこで信念を持ちつづけることがどんなに勇気のいることであるか。閉じ込められたハコの中で、身を潜めていくか、諦めるか、それでもそのハコを押し広げようとするか。紛れもなくゾフィーは押し広げようとした女性なのだ。独房や尋問室の窓から見える空をいつも彼女は見つめていた。空に自分の理想や夢や自由を投影していたのだと思う。空は映画を観ている自分にとっても、ゾフィー達の”希望”を体現しているように思えた。でも、ゾフィーや兄達は当局に逮捕されてわずか5日後には処刑されてしまう。突然突きつけられた”死”という現実を前にしてゾフィーはうめきとも慟哭とも取れる声を体の中から絞出す。次の瞬間、涙を拭いながら、愛する婚約者への別れの手紙を綴るのだ。そしてまっすぐな眼で刑場へ赴いていく。結局、いつも求めていた空へ彼女は魂となって、還っていくことになる。

ユリア・イェンチが、その眼に静謐で強い信念をたたえ、優しく強い女性であるゾフィー・ショルを見事に演じていた。また、モーア尋問官を演じたアレクサンダー・ヘルトも素晴らしかった。尋問室での二人のやり取りをメインにストーリーが綴られていくのだが、緊迫感迫る静と動が入り組む二人の言葉の応酬には圧倒され息を呑んだ。モリー尋問官がゾフィーとの対峙によって、自身の信念を揺さぶられ、動揺する姿に、人間的な一面を垣間見せるのだが、それでも彼は彼の職務をまっとうするためにゾフィー達を窮地に追い込む調書を書き上げることになる。ゾフィーを最期に見送るモリーの、ポーカーフェイスを装いながらも悲哀を滲ませたその表情を彼女はどんな思いで受け止めたのだろうか。

今を大事に生きること、受け止めるだけでなく誰かに何かを与えていくこと、それも生きていくためにはとても大事なことなのだと改めて考えさせられた作品でもあった。






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2006年2月22日

2006-02-22 21:34:02 | 映画
「楽園 流されて」亀井 亨監督

ひょんなことから無人島に流された男女。県知事を父に持ち参議院議員に立候補する女子アナと、故郷の五島列島に戻り、結婚して漁師を目指しながらも中途半端な生活を送る男。

まったく環境の異なった二人が、孤島という二人だけの世界に閉じ込められて、相互理解を深めていく・・・というようなお定まりの展開にはなかなかならない。
独りよがりともいえるプライドと傲慢さで己れを矜持し続ける女と、停滞している今までの生活を断絶させて島での新しい生活を考える男。まったく二人の意のそぐわないまま、島での日々が流れていく。食べるものにも事欠く極限の状態で、人間の身勝手さとか、弱さとか、暴かれていくのは当然の事で、二人はぶつかり合い、距離を保とうともする。気持ちが重なりそうになりながらも、なかなか距離が近付かない。一瞬気持ちが重なる瞬間があっても砂の城のようにあっけなく消え去ってしまう。波のように満ちたり干いたりの二人の関係性が面白かった。女の心は、海の彼方のそれまで自分の住んでいた世界に戻ることばかりを考えているわけで、男女にとって、それぞれ思い描いた「楽園」は違っていたということか。個人的には、最後に一人島に残った男のそれからの人生がいい方向に向いてくれればいいなと思ったのだが、榊英雄が不器用で情けないその男を好演していて良かった。


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2006.1.7

2006-01-07 22:01:10 | 映画
「狼少女」深川栄洋監督

新年第一作目 がこの映画でよかったと思う。とても素晴らしい映画だった。ラストシーンは溢れてくる涙を止められなくて、こんなに自然に涙が止まらなくなる映画は久しぶりのような気がする。

昭和40年代の小学生達を描いた話なのだけど、とても素朴で、素直で、子供達が生き生きと描かれていて、彼らの感情が痛いほど真っ直ぐに観るものに伝わってくる。子供って残酷。だけど、残酷な分、決して自分の気持ちは偽らない。自分の気持ちを誤魔化す術をまだ持ち得る歳ではないのかもしれないけど。大人にはなかなかというか、もはや出来ないその純真無垢さが、とても心に響いてくる。そして、子供達の笑顔や涙に、画面を通して自分も暖かい気持ちに浸ることができるのだ。時代背景がより子供の純粋さを引き出しているのかもしれないけれど、時代に関係なく、こういう子供の感情って普遍的に在るものだと思う。

母親役の手塚理美がよかった。貧しいけれど、凛としていて、子供に暖かい愛情を注いでいる太陽みたいな存在。大塚寧々&利重剛の両親もよかった。親の愛情は子供を幸せにしてくれるのだ、と、考えさせられた。

音楽もピアノの一音一音が心にとんとん響いてきて、残酷だけど優しい時代だったあの頃へ誘ってくれる。

深川監督は「紀雄の部屋」を観たときから気になっている監督さんなのだが、初の長編映画がこんなに素晴らしいものになってくれて本当に嬉しい。

極私的だが、年末から引き摺っていた風邪が、この映画を観た直後から具合が上向きになってきた(笑)。そう、映画館を出るときも外はとても寒かったけれど、すごく暖かな幸せな気持ちで、正に浮き足立ちながら駅に向うことにできた。こういう気持ちに浸れる映画っていいな、と心から思う。深川監督の次回作が楽しみである。


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9月14日☆

2005-09-14 17:05:24 | 映画
「皇帝ペンギン」

何考えているのか一向に読めないその眼、泰然とした佇まい、でも歩くとそのぎこちなさが可愛いい。そして気をつけの姿勢で立っている姿に哲学的な趣きを感じたり、後ろ姿が燕尾服をまとっているようで気品を感じたり、その真っ白なお腹とか、赤ちゃんの円らな眼やグレーの体毛とか、撫でてみたいなーと思ったり、とにかく、種類とか一切関係なく、ペンギンそのものが昔から大好きだった。
なので、映画「皇帝ペンギン」も楽しみにして行った。

映画の冒頭、南極の氷の世界が映し出されて、いつどんな風にペンギンが出てくるのかわくわくしながら待っていたのだけど、一列に整列して氷の大平原を歩いている姿は壮観だった。コロニーで子供りをし、卵を守り、生まれた子を守り、また海に戻っていくペンギンの営みは、南極のマイナス40度にもなる壮絶な寒さの中で命がけで行われるわけで、そんな過酷な状況下の中の動物に対して、例えば寄り添う姿や親の足元に隠れている赤ちゃんの姿に、単純に愛おしさを感じてしまうのは人間の勝手と思いつつ、でも、そう思わずにはいられない。
そんな感じで、ペンギンをたくさん見ることができて、そういう意味では大満足だったのだが、正直、ナレーションは要らないと思ってしまった。。。というより、あまりにもペンギンを擬人化していて、それが自分には浮いたものに映ってしまったのだ。ペンギンの“夫婦”や“親子”が寄り添う姿に重ねて家族の愛が語られるのを間違っているとは思わないが、そこまで人間の世界にペンギンを嵌め込まなくても、、、と思ってしまったのである。例えば「ピングー」のように、人間が作り出したキャラクターが語ることについては違和感は感じないが、想像を遥かに越える壮絶な冬の世界に現実に生きているペンギン達が何を感じて生きているか、大仰に推し量るのは穿った見方のように思えてしまったのである。
でも、ナレーションを差し引いても、ペンギンを大画面で観ることができて幸せだったことには変わりない(ナレーションについては、あくまでも私個人の主観であるので、どうぞご勘弁を・・)。
一列に整列して歩く姿には本当に感動してしまったので、DVDが出たらゆっくりと、また歩く姿を堪能しようと思っている。


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7月12日

2005-07-12 12:22:46 | 映画
「帰郷」 監督 萩生田宏治

少しずつ胸に沁みていく映画。観終ったあと余韻をしみじみと噛み締めた。
主演の二人がとてもよかった。西島秀俊は真っ直ぐで不器用な青年を好演し、父性に目覚めていくその表情がとても切ない。2年ぶりの映画復帰となった片岡礼子も微妙な感情の揺れ動きが上手くて、一歩ずれると破天荒な女性にも成り得るのだけど、微妙なバランスを保っているから嫌味が全く感じられない。そして子役の守山玲愛がとにかく可愛いい。顔をくしゃくしゃにして笑うその顔は、一点の曇りも感じられない“無垢で無邪気”そのもので、何とも愛くるしい存在感を放っていた。西島秀俊に怒鳴られて泣き出すシーンは、そんなことが自分の幼い頃にもあったような、うっすら記憶を呼び覚まされたようで、映画の中なのに思わず自分が駆け寄って抱き寄せてあげたくなるくらいだった。
何ということはない2日間の出来事が、登場人物のそれぞれの心に小さな波を立てる。それは人生の中で通り過ぎていく一つの出来事に過ぎないのだけど、そんな日常が何よりもいとおしいと思わせてくれる。こんな何気ない暮らしの中で、人間は人生の意味を無意識に悟っていくのだろう。
とても素朴で木漏れ日のような暖かさを放っている映画。例えば片岡礼子が深夜の街中を一人自転車で走るシーン、西島秀俊が守山玲愛を肩車して「クラリネット壊しちゃった」を歌いながら波打ち際を延々と歩いていくシーン、そんな淡々としたシーンも、画だけで真っ直ぐに訴えかけてくるものがあって、人間の何気ない所作は、言葉がなくても雄弁にその映画の世界を物語るのだな、と感じずにはいられなかった。こういう映画を久しぶりに観た気がする。萩生田宏治監督の次回作が楽しみである。
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6月9日

2005-06-09 12:28:28 | 映画
「爆裂都市」(監督:石井總互)“これは暴動の映画ではない。映画の暴動だ”

「爆裂都市」がDVD化されるという。映画のために結成されたバトルロッカーズ(陣内孝則、大江慎也、池畑潤二、鶴川仁美、伊勢田勇人)の「セルナンバー8」は大好きな曲である。
サントラ盤では、一曲目のインダストリアルなインスト「ソルジャー」の地の底から響いてくるような音に毛穴が開くような感覚を覚え、次の「セルナンバー8」では、冒頭のオーディエンスのシュプレヒコールから切り込むようにギターのイントロがなだれ込み、あとは曲の最後まで、メーター振り切れるまでひたすら疾走していく・・・そのスピード感にいつ聴いてもぞくぞくさせられる。DVDの発売が待ち遠しい。



ルースターズ「RE・BIRTHⅡ」(監督:石井總互) 8/24 DVD発売

ああ、やはりそうきたか、というのが正直な気持ち。昨年発売されたBOXについていた「RE・BIRTH」にはフジロックのステージが完全収録されていなかったので、いつかは完全版が出るような気はしていた。
でも、完全版が出ることが、嬉しいことには変わりない。
季節が一巡りしたけれど、映像という形で、また去年のフジロックのステージを観ることができる。
花田、池畑、井上、大江にまた会える。


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6月6日

2005-06-06 12:17:33 | 映画
「美しい夜、残酷な朝」

久しぶりの三池崇史監督作品が観られるということで楽しみにしていったのだが、最初のフルーツ・チャン監督の「dumplings」が一番鮮烈に印象に残った。撮影がクリストファー・ドイルだからなのか、出演している女優(ミリアム・ヨン、バイ・リン)がとても綺麗だった。が、綺麗さを身に纏ったその肢体の内側にどろりと蠢いている女の性とでもいおうか。衝撃的なラストには思わず涙が出そうになってしまったのだが、登場する女性達の自己本位な強欲さ、でも、孤独と背中合わせに立っているその姿に哀しみをおぼえてしまったのかもしれない。人は誰だって望むものは手に入れたい。届かないものへのジレンマを内包させながら生きているものなのだ。だからこそ、行き過ぎた行為だからこそ、その想いが哀しく映ることもあるのだ。
三池監督の「BOX」は、静かな映画だった。どこか懐かしさを感じさせる芝居小屋と、北国の雪の風景が叙情的で、幻想的だった。“夢”をモチーフにした話だったので、その主題にはかなり惹かれてしまった。ラストは予想外であったけど。
イ・ビョンホン主演の、バク・チャヌク監督の「CUT」もなかなか面白かった。イ・ビョンホンは、あまり出演作品を観たことがないのだけど、「CUT」を観ながら、この人は演じることがすごく好きな人なんじゃないのかな、と思った。

「dumpling」は大陸を喚起させる鮮やかな色と煤けた色が混在している。「BOX」は静謐なブルー。「CUT」はおもちゃ箱をぶちまけたような色。そんな印象のオムニバス映画だった。
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