【レディー・ジェーン・グレイの処刑】ポール・ドラローシュ
わたし、時々「雲の間にある虹」のバックナンバーを読み返すのですが、その中にマーリン・キャロザースさんの連載があって……前にも読んでいながらあらためて「ハッΣ(゚ω゚)」とするところがあったので、少し抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>神を愛する人々のためには、神がすべてのことを(個々別々ではなく、一緒になって)働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙、第8章28節)
個々の出来事が、お互いに作用しあって益として働くなどということを正確に理解しようとしたら、人の頭は救いがたい混乱に陥るでしょう。だが、私たちの身の上に起きる出来事はすべて、「一緒になって」、神さまの意図される良きことを実現するのです。
メリー女王治世下の英国で、ある男が、福音を宣べ伝えたとの罪で、火あぶりの刑に処されることになりました。間もなく死ななければならないことを告げられたこの男は言いました。
「いや、かまわんさ。すべてのことは益になるのだからな」
この死刑判決が、どんな成り行きで益に変わるのかと聞かれた男は答えました。
「それは、わからん。だが、そうなることだけは分かっている」
処刑されるためロンドンに連れていかれましたが、看守がひどく手荒な扱いをしたため、男は片方の足の骨を骨折してしまいました。すると、看守は嘲笑って言いました。
「さて、教えてもらおうか。これがどんなふうになって、お前さんの益になるのかな?」
男は答えました。
「わからんよ。だが、わかっているのは、神さまはこのことを、ほかの状況とともに用いて、私の益にされることだ」
折れた足には粗末な添え木が当てられましたが、その治療にかかった時間のため、看守たちはロンドン行きを一日延期する羽目になりました。そして、一行がロンドンに着く前日に、メリー王女は崩御されたのです。
新しく即位したエリザベス女王は、この判決を反故にし、男は自由の身となりました。
骨の骨折、関節炎、心臓病などなど、すべて困った問題は、それ自体は、益とは言えません。しかし、神さまは、これらを他の出来事とともに働かせて、私たちの益とすることがお出来になります。ただし、私たちが、神さまを愛しているならですが。さらに、愛することは、信じ、ゆだねることが要求されます。
私たちが、「神さま、あなたはこの折れた足を用いられて、何か良いことをしてくださいます」と言えるほど、信じゆだねることができれば、神さまは、私たちの信仰を認めてご自身の約束を果たされるのです。
(『雲の間にある虹』2012年、12月号よりm(_ _)m)
これは、マーリン・キャロザースさんの感謝と讃美の法則を信仰生活に適応させていった時に――大体似たことが起きてくることが多いですよね(^^;)
「すべてのことを感謝か!よし、素晴らしい!わたしもやってみよう♪」と思った時に……感謝なことには(笑)、土砂降りにドザーッと降られ、横を通りすぎていった車に泥水をかけられ、そこまでして欲しいものを買いにデパートへ行ったのに、なんとその日に限って臨時休業だったとか、何かそんなような小さな訓練が与えられるっていうことですけど(^^;)
そして次の詩は、わたしの好きなエミリー・ディキンスンの詩だったりします
おお 豪華な一瞬よ
ゆっくりといけ
わたしがほれぼれと眺めていられるように――
飢えても決して前と同じではないだろう
わたしはいま 豊穣を見る
そのときかいまか 飢えるはずだった
日のちがいが
彼を処刑台へと運ぶ
朝の空のしたを
(『エミリ・ディキンスン評伝』トーマス・H・ジョンスン、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
エミリーが意図した詩の意味とは違うかもしれませんが、毎日、この一瞬一瞬が喜びに満ちた豪華なものであったとしたらどうでしょうか?そして、マーリンさんの「(神さまへの)感謝と讃美」を実践すると、確かにそのような喜びに満ちた生活が可能となるかもしれません。
もちろん、毎日やらなければいけないことや周囲の人々にイライラさせられるとか、そうしたことに変化はないでしょう。
けれど、「そのような心がけによって生きる」ということを決意した場合、確かに「飢えても決して前とは同じ」ではないのです。わたしたちにお金がなくても暮らし向きが豊かでなくても、そのことを喜び感謝するなら――間違いなく何かが変わってくると思います。もしかしたらそれは、今日明日、突然にしてもたらされるようなものではなかったとしても……。
そして、その一ミリの差、一秒の違いのようなことが日々積み重なって、確かにある瞬間から、変更不能な大きな出来事をはっきり体験することになると思います。
そしてこの差が、処刑台へと運ばれ、死ぬはずだったのに何故か幸運にも生かされることになったという、何かそうした出来事の中に表わされてくるのではないでしょうか。
マーリン・キャロザースさんが亡くなられてから、『雲の間にある虹』にはマーリンさんの感謝の実践の連載がなくなってしまったのですが、再びバックナンバーのメッセージを読み、慰めと励ましを受けたいと思っています♪(^^)
それではまた~!!
わたし、時々「雲の間にある虹」のバックナンバーを読み返すのですが、その中にマーリン・キャロザースさんの連載があって……前にも読んでいながらあらためて「ハッΣ(゚ω゚)」とするところがあったので、少し抜粋させていただきたいと思いますm(_ _)m
>>神を愛する人々のためには、神がすべてのことを(個々別々ではなく、一緒になって)働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ人への手紙、第8章28節)
個々の出来事が、お互いに作用しあって益として働くなどということを正確に理解しようとしたら、人の頭は救いがたい混乱に陥るでしょう。だが、私たちの身の上に起きる出来事はすべて、「一緒になって」、神さまの意図される良きことを実現するのです。
メリー女王治世下の英国で、ある男が、福音を宣べ伝えたとの罪で、火あぶりの刑に処されることになりました。間もなく死ななければならないことを告げられたこの男は言いました。
「いや、かまわんさ。すべてのことは益になるのだからな」
この死刑判決が、どんな成り行きで益に変わるのかと聞かれた男は答えました。
「それは、わからん。だが、そうなることだけは分かっている」
処刑されるためロンドンに連れていかれましたが、看守がひどく手荒な扱いをしたため、男は片方の足の骨を骨折してしまいました。すると、看守は嘲笑って言いました。
「さて、教えてもらおうか。これがどんなふうになって、お前さんの益になるのかな?」
男は答えました。
「わからんよ。だが、わかっているのは、神さまはこのことを、ほかの状況とともに用いて、私の益にされることだ」
折れた足には粗末な添え木が当てられましたが、その治療にかかった時間のため、看守たちはロンドン行きを一日延期する羽目になりました。そして、一行がロンドンに着く前日に、メリー王女は崩御されたのです。
新しく即位したエリザベス女王は、この判決を反故にし、男は自由の身となりました。
骨の骨折、関節炎、心臓病などなど、すべて困った問題は、それ自体は、益とは言えません。しかし、神さまは、これらを他の出来事とともに働かせて、私たちの益とすることがお出来になります。ただし、私たちが、神さまを愛しているならですが。さらに、愛することは、信じ、ゆだねることが要求されます。
私たちが、「神さま、あなたはこの折れた足を用いられて、何か良いことをしてくださいます」と言えるほど、信じゆだねることができれば、神さまは、私たちの信仰を認めてご自身の約束を果たされるのです。
(『雲の間にある虹』2012年、12月号よりm(_ _)m)
これは、マーリン・キャロザースさんの感謝と讃美の法則を信仰生活に適応させていった時に――大体似たことが起きてくることが多いですよね(^^;)
「すべてのことを感謝か!よし、素晴らしい!わたしもやってみよう♪」と思った時に……感謝なことには(笑)、土砂降りにドザーッと降られ、横を通りすぎていった車に泥水をかけられ、そこまでして欲しいものを買いにデパートへ行ったのに、なんとその日に限って臨時休業だったとか、何かそんなような小さな訓練が与えられるっていうことですけど(^^;)
そして次の詩は、わたしの好きなエミリー・ディキンスンの詩だったりします
おお 豪華な一瞬よ
ゆっくりといけ
わたしがほれぼれと眺めていられるように――
飢えても決して前と同じではないだろう
わたしはいま 豊穣を見る
そのときかいまか 飢えるはずだった
日のちがいが
彼を処刑台へと運ぶ
朝の空のしたを
(『エミリ・ディキンスン評伝』トーマス・H・ジョンスン、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社より)
エミリーが意図した詩の意味とは違うかもしれませんが、毎日、この一瞬一瞬が喜びに満ちた豪華なものであったとしたらどうでしょうか?そして、マーリンさんの「(神さまへの)感謝と讃美」を実践すると、確かにそのような喜びに満ちた生活が可能となるかもしれません。
もちろん、毎日やらなければいけないことや周囲の人々にイライラさせられるとか、そうしたことに変化はないでしょう。
けれど、「そのような心がけによって生きる」ということを決意した場合、確かに「飢えても決して前とは同じ」ではないのです。わたしたちにお金がなくても暮らし向きが豊かでなくても、そのことを喜び感謝するなら――間違いなく何かが変わってくると思います。もしかしたらそれは、今日明日、突然にしてもたらされるようなものではなかったとしても……。
そして、その一ミリの差、一秒の違いのようなことが日々積み重なって、確かにある瞬間から、変更不能な大きな出来事をはっきり体験することになると思います。
そしてこの差が、処刑台へと運ばれ、死ぬはずだったのに何故か幸運にも生かされることになったという、何かそうした出来事の中に表わされてくるのではないでしょうか。
マーリン・キャロザースさんが亡くなられてから、『雲の間にある虹』にはマーリンさんの感謝の実践の連載がなくなってしまったのですが、再びバックナンバーのメッセージを読み、慰めと励ましを受けたいと思っています♪(^^)
それではまた~!!
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