夫婦喧嘩
沸点(ふってん)の低い男を
夫にし
女房は
ストレス玉を打ち返し
喧嘩する夫婦の時間
もう少し
樹木希林の『一切なりゆきー樹木希林のことば』(文春新書)を読んでいる。
その中に、われわれ夫婦のことに近いことばがあった。
(主人は)なかなか出会える人ではありません。向こうも、これだけ、へこたれない女はいないって。お互いに中毒なんです。主人は私に、私は主人に。だから、別れられないんです。
喧嘩をしない夫婦もあるという。我が家では信じがたいが、そのような夫婦もあるのだろう。
我が家は喧嘩夫婦である。冷静になると、原因のほとんどが私のせいであるとわかる。が、この「冷静になると」がくせ者なのだ。なかなか頭が冷えないのである。
ほんとうに昔から短気だった。
小学生や中学生のときに「自分の長所と短所」を書く機会があった気がするが、「短所は。気が短いこと」と、そのころから書いていた覚えがある。
自分の内部に怒りのマグマがある、という自覚をするようになったのは、二十歳以降かもしれない。
幼児期からずっと我慢してきた家族への負の感情―特に父への憎悪と怒りが、恐怖心に抑えつけられて心の奥へ奥へと固まっていった、という自覚である。心理学的にはわからないが、自分の解釈として、そう思っている。
大学時代「学生運動」に没入した根っこにも、このマグマがあったと思う。社会正義という噴出口を見つけたのだと、挫折して十数年経って、ようやく自分に認めた。
齢(とし)をとって丸くなる人はいるだろう。若い時はやんちゃをしたが、今は穏やかなお父さんやおじいちゃんになっているというような人たち。そういう人をうらやましく思う。
私はといえば、齢とともにキレやすくなっている。磨きがかかっている。腕力はふるわないが、口撃(こうげき)が激しいと、妻はいう。口が達者な分、困ったものだと。
樹木希林のように「お互い中毒です」といえる夫婦のありかた、ちょっといいなと思いながら、今朝も己の暴言を反省し、ごめんなさいを言ったのである。
だが、日が経つと、すっかり忘れたかのように、頭に燃え盛る火をのっけてしまうのだ。
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―柔和な人は幸いである。(新約聖書「マタイの福音書5章5節」)
この聖書の言葉は、ノドから手が出るほど欲しい心です。喧嘩しているときの私の顔はさぞ醜いでしょう。「柔和さ」からほど遠いと思います。
だからこそお前を救ったのだと、イエス・キリストの御声をききながら、今日も自分にしょんぼりしつつ、反省しつつ、良くなりたいなあと願うのです。