祈りを、うたにこめて

祈りうた(ウクライナ  「侵略」と「報復」と)

「侵略」と「報復」と

 

 

侵略を

報復と呼ぶ

狡猾(こうかつ)

 呆れたことに「報復」と言い放った。「侵略の続行」「侵略の増幅」と呼ばずに。つきとおせば嘘もいつしか真になる、とでも言いたいかのように。
 その唯一人の「悪しき者」に追随する者、いや、あおりたてさえする者がいる。徒党を組む非情な一味の、そのずるさに惑わされてはならない、と思う。

 

髪とかしワイシャツ洗い

ヒトころし

 ロシアの兵士たちは、何の大義ももたぬまま戦場へ送られ、殺す者となることを強いられる。あるいは、殺されて屍(しかばね)をさらす者となってしまうことを強いられる。
 一方、テレビに映る唯一人の人物は、いつも身綺麗にし、笑みさえたたえているのだ。薄くなった髪をきれいにとかして。
 彼は、一兵士の死に涙を流すことなどあるまい。
 理不尽なこの光景こそ、忌まわしい侵略の実相(じっそう)、それを映し出すものではないか。

 

この村も

あの村も皆

駆り出され

 ロシアの兵士たちは、より辺境の地の青年たち、より貧しい村の青年たちが多いという。国外へ脱出さえできぬ若者たち。
 「駆り出された」と表記したが、実情は「狩り出された(鳥や獣やザイニンを捜し捕らえること)」のではないか、暴君のキツネ狩りのように。

 

糞尿(ふんにょう)にまみれて眠る

(いくさ)びと

 泥の季節がウクライナに来たという。侵略を止めないロシアの暴虐が、その泥に塗り固められることを願う。
 ウクライナの兵士たちは、またロシアの兵士たちは、塹壕(ざんごう)でどのような夜を過ごしているのか。大小便の始末をどのようにしているのか。清潔なトイレに戻れる日、それは遠いのか、まだ。

 

 

●ご訪問ありがとうございます。
 テレビのニュースで、多くの場合「ロシアの報復」と言っていることに違和感を覚えます。ウクライナ軍がロシア領土へ攻め込み、それに対してロシア軍が対抗措置をとっているかのように聞こえます。
 「ロシアは、自分たちのミサイル攻撃のことを『報復』という言葉で説明している」もしくは「ロシアは、侵略を『報復』という言葉で表現している」という言い方が合っていると、私は思います。
 マスコミの表現で違和感を覚えることは他にもあります。
 「とる」という言い方が、その一つです。「ウクライナ軍が○○州をとる」という言い回しです。軍事評論家とか大学の先生とか、司会者とか、少なくない人たちがその言い回しをしています。少数のひとたちは「奪還する」「奪い返す」という言葉遣いをしていますが。
 戦争をゲームのように見ているのかと、哀しい気持ちになります(ウクライナ軍の「反転攻勢」を、「ゲームチェンジ」と表現する司会者もいます)。
 BS放送で見るワールドニュースの司会者や解説者とは緊張感が違うな、と思います。

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