祈りを、うたにこめて

祈りうた(でくの坊  「同情疲れ」のひと休み  しあわせの歌「同情疲れ」って疲れる) 

「同情疲れ」のひと休み

 

 「同情疲れ」とか「共感疲労」とかの言葉がある。
 つらい状況やかなしい状況などに置かれたひとたちに対し、共感・同情が強くなりすぎ、共感する自分自身・同情する自分自身がくたびれてしまう、メンタル面で弱ってしまう、体にも出てきてしまう、というような状態をさすという。
 わたしも思い当たった。
 ロシア軍のウクライナ侵略が始まった日、それから二か月余り経ったころだろうか。―絶えず胸のつかえを感じるようになった、気持ちがワサワサざらざらするような気がしてきた、妙にキレやすくなった、妙に涙もろくなった、頭がぼーっとすることや後頭部に痛みが走ることが増えた、面倒だなと感じて先延ばししてしまうことが増した、憂鬱な雲が心にかかっている気がする、自分には結局何の力もないのではと、これまでのことを皆否定してしまいたいような無力感や徒労感に襲われる、などのことが起きてきた。
 鈍いわたしの感性や想像力なのに、と思うのだが、もう一人のわたしが勝手に同情して勝手に傷ついている、というありさまなのだった。
 そんな状態なら、ニュースを見ないとか話題にしないとかすれば良かったのだが、たとえば選挙速報を、次々にチャンネルをかえながらずっと見てしまうようなわたしである。侵略のニュースを日に何度も見たのだった。早朝のBS放送で世界のニュースも見たのだった。戦場の様子をネットで検索さえしたのである。
 ウクライナのことだけではない。
 コロナのこと、自殺のこと、虐待のこと、海難事故のこと、行方不明のひとのことなど、自分の小さな頭では応じきれないのに、変な責任感が湧いてしまって、「他人事(ひとごと)」と思えなくなってしまうのだった。
 かさねて、身近な者たちにもつらいことや厳しいことが重なった。こちらは「他人事」では済まないことだった。
 そんなこんなで、ひとと自分との距離感が取りにくくなった。のべつ幕なしに考え、心配するようになった。「これを続けていくと、いつか自分が参ってしまうのではないか」と思いながら、離せなくなった。驚いたことに、自分はこれらの課題・重荷から目を離してしまってはいけないのだ、という罪悪感のようなものさえ感じるようになったのである。こうなるとお手上げである。
 わたしは、自分流の工夫をしてみることにした。
 心理学的にはいい加減なものかもしれないが、ともかくも無い知恵を絞ってみた。
 ・まずは分をわきまえること。己のキャパの小ささを自覚すること。また妄想的な責任感ももたないこと。たとえ自分が何もしなくても、事態は動くのだ。卑下しすぎもしないが、過大評価の方がよろしくないのではないか。
 ・人と自分とを区別すること。それぞれの重荷を、それぞれが負っている。だからこそ、おたがいに支え合うこともできるのだ。「寄りかかり」と「寄り添い」とは違うのだ、ということ。
 ・時間を区切って向き合うこと。四六時中関心を向け、心を雨ざらしにすると、乾く暇がない。
 ・からだを動かそう、こもりきりにならないで。
 ・くたびれたら眠ろう。よだれをたらしながら。
 ・テーマの重い小説はちょっと置いてみよう。またいつか読むかもね、と言おう。
 ・菓子のむさぼり食いをやめて、おいしいものを味わって食べよう。ケチらないで。
 ・好きな音楽を聴こう。近所迷惑だからボリュームはほどほどで。
 ・妻ともっと話をしよう。嫌われすぎない程度に愚痴ろう。
 ・なにより神さまのことばにもっと心を傾けよう。深呼吸するときの安らぎが、きっと与えられる。

 はてさて、もともとお節介のわたしである。「健やかに悩む」ことができるようになるだろうか。
 
 


 

 

しあわせの歌 
「同情疲れ」って疲れる

 

んぱいを止められない それがわたしのわるい癖

のニュースこのニュース 何度も見て何度も疼(うず)くのだ

が事のように思いこんで 神経をかきむしって

かいじゅうの悲劇をこんなネズミほどの頭に詰めこんで



ずかにしなくては、かなしんでいる人の前だから

かるい声も、まして笑い声などもってのほか そんな勝手ルールを作った

さわさザラザラになった心が 妻に喧嘩をしかけたり

かいへいわを願う心が スーパーの店員さんにねちこく文句をつけたり



きりの線を引かないと やがて「同情疲れ」がたまるだろう

の人はあの人の重荷、私は私の課題を持っている そこがきっと肝心だ

すれる隙間を作る勇気 それがないと自分こそが病みそう

みのように殻を棄て 新たな、タフな翅(はね)をひろげられればいいのかな

 

 

んどいな、しんどいな とワザと呟いてみる

あ疲れた、つかれたよ とため息などもついてみる

が身の丈ではおっつかない哀しさ悔しさむごたらしさ

んそうもコロナも虐待も今日いち日 「キューケイ、はいりまーす」

 

 

 

●ご訪問ありがとうございます。
 詩に書いたように「休憩、入ります」と、自分に言っています。気負いすぎないために、すりきれないために。
 

神よ。私をあわれんでください。
私のたましいはあなたに身を避けていますから。(旧約聖書「詩篇」57編1節)

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