祈りを、うたにこめて

祈りうた(病み記  がんだって)

がんだって

 

 

病の告知を受けた日に

長男の妻が熱を出して苦しんでいた

―たいへん、可哀想に

 うずくまってなんかいられない!

妻は立って台所へ行き

りんご一個をすりおろし

もう一個を煮りんごにし

シチューをつくり

煮ころがしの里芋を温めなおし

大根とコンニャクも煮返して

―もっと早く気づけばよかった

そう悔いながら

階段をのぼったりおりたりした

 

 

ヒトの千日は神の一日

というそうな

 

いま生まれ出たばかりの者には

この先は積み重ねていく時間にしか見えないだろう

だが 砂時計はもう逆さに返されているのだ

 

有難い一日 もったいない今朝

ぼくらは神じゃないから今日の光をアテにして

今夜までそれぞれの道を歩いて行こう

できたら笑って

 

 

 

がんだって病気の一つ

顔上げる

 ふたりに一人ががんに罹(かか)るという。家族・親族、周囲の親しい人たちを見たら、思い浮かぶひとたちが何人もいる。種類はさまざまだが、「がん」という大きな円のなかに入っている。
 孤独な病ではないのだ。
 なあに負けるものか、という心意気で、堂々と病んでいきたい。

 

病む妻と声わらいつつ

飯を喰い

 病名を告げられても妻は妻、変わりはない。すべてが病んだ妻でなく、妻の隅っこに病が陣取っただけである。
 昨日と同じように、おとといと同じように、二人一緒に食卓につく。ニュースに憤慨したり、悲しんだり、バラエティ番組に笑ったりしながら。今日を生きる糧(かて)を腹の底にためていくのだ。

 

 

 

  

がん・癌・ガン どの字で書いたっていやな名だ

死のにおいプンプンじゃないか

―そうふてくされていた

検査検査で疲れ果て

不安で心配で眠れなくて食べられなくて

その挙句の告知と来たのだから 

 

なに、二人に一人だって?

身近な病気なんだ 怖くないんだ

―そう言う声がきこえてくるじゃないか

負けてないひとたくさん居る

笑って今日を過ごそうとしているひと たくさん居る

健やかに病む 

そしてほんとに健やかになる

死のにおいぷんぷんなんかじゃない

深い生き方を探せるチャンスなんだ

 

 がんだって病気のひとつ

顔上げな

 

 

 暮らしの大半を侵すような病はある。頭痛薬とか胃腸薬とか、市販の薬で短時間で回復するというようなものではない病。続く検査、病名の告知、入院、手術、治療など、「闘病」といいたい病である。
 わたしは、「健やかに病む」ということばをずっと心に置いている。矛盾したことばだが、たとえ「闘病」の状態になったとしても、そのひとの全部が病に「占拠」されたわけではない。健やかな部分は必ず残っている。そう思う。事実、そのような姿を見せてくれた家族・親族・友人・知人たちの顔が思い浮かぶ。
 顎は下がり気味になりやすい。
 胸の息は浅くなりやすい。
 朝の光が夜の闇をおおえないような気持ちになることもある。
 でも健やかに病むこと、それを心に置き続けたい。
 

 

 

★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば 
★いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。

 
 

 

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