祈りを、うたにこめて

祈りうた(メメント・モリ  善人の祈り)

善人の祈り

 

 

その善人はいった

わたしには少しの蓄えがある

出会ったひと、別れたひと 人間の蓄えがある

食べた物、飲んだ物 身体の蓄えがある

家庭をもった、子どもを育てた 幸福の蓄えがある

働いた、稼いだ、株で儲(もう)けた 金銭の貯えがある

人並みに病んだ、失敗をした 苦労の蓄えだってある

 

その善人はいった 胸を張って 

わたしは義(ただ)しい自分が好きです

哀しみ、さびしさ それだってわかる自分が好き

気配りもいたわりも 人並みにできる自分が好き

ユーモアあります 多趣味です

赤い羽根共同募金に千円出します

なによりヒト好き、ヒト思いです 

「あなたは善い人」 そういわれる自分が誇りです

 

その善人はいった 小声になって

でも ちょっと嘘をついたことがある 

ちょっと意地悪したこともある

ちょっと威張った ちょっと妬んだ

いばったとき、ねたんだとき 何度か悪口をいった

ほめられて謙遜するフリもした

誠実で正直だといわれて本気で否定はしなかった

拾った五円玉を財布に入れたことがある

一度カンニングをした 赤信号で何度も渡った 

酔って道に吐き そのまま帰った

電車で女性の髪を後ろから嗅いだ

弱い人、甘えているひとは苦手

つき合いのよくないひと それも苦手

ドッキリ番組でひっかかった人を見て大笑いした

道で転んだ老人をちらっとだけ見て通り過ぎた

だがそのくらいは許されるだろう みんなする事

 

ああ、ただ一つの心残りがある! とその善人はいった

時間を蓄えなかった 使いすぎた

朝から忙しく 夜まで忙しく 寝る間も惜しんだ

「お忙しそうで何より」と云われて 得意だった

早送りの毎日だった

おかげで魂のことを考えずに済んだけれど

神なんてご無用と 他人事(ひとごと)にできたけれど

 

だから 

とその善人は宣言した

―死ぬ事はあしたに延ばす!

 

 

●ご訪問ありがとうございます。

 徐々に生涯を閉じるひとも、ある日とつぜん亡くなるひとも、一回の生、一回の死です。信仰が与えられて、「自分は刑に服するほどの罪は犯していない。けれど、ギリギリセーフというところだ」という自分を認めました。退職して、「忙しいことは自慢になる」という密かなうねぼれがあったことに気づきました。
 メメント・モリ(死を忘れるな)の視点のなかに、「善人誇り」「多忙誇り・仕事誇り」はほどほどに、というものが含まれていると思います。どちらも一回の死の前に何一つ力を発揮できないと思うからです。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「いのち」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事