祈りを、うたにこめて

祈りうた(母  ママ!)

ママ!

 

 「ママ」ということばが、ウクライナのひとの口からよく出る。ロシアのひとの口からもよく出る。日々の暮らしの中のことば。息子も娘も、当たり前に口にすることば。その平和な言葉が、安心のことばが、なんとかなしく響くことか。まるで「こわい、いたい、くるしい、かなしい! 助けて!」という代わりに「ママ!」と声に出しているようだ。

 

  わかる

 

わたしには分からないけど

そういって泣いた

おまえのことを分かりたいと

うんと思っているよ

そういって泣いた

 

息子はただ黙っていた

分かってくれなくてもかまわないよと

こころで呟いた

強がっていた

 

おっかさんは息子の考えをわからなかったろう

おっかさんは けれど

息子の揺らぎを

自信のなさを

すっかり分かっていただろう

 

 この詩は、二〇二一年七月に投稿したものである。戦争を意識して作ったものではないが、わたしなりのもろもろの感情を込めた。今でも、遺影に向かって「おっかさん!」と呼ぶ日がある。幼児期・少年期、母はわたしの「世界」そのものだった。母が笑えばわたしもわらう。母が病めばわたしも病む。そのような関係だった。
 ロシアの兵士も、ウクライナの兵士も、ロシアの市民も、ウクライナの市民も、みな「ママ」と呼び、そのふところに抱かれたいと思うのではないか。「すっかり分かっている」母の、そのあったかい、平安なふところに。
 殺し合いをするために生まれてきた子どもなどいないのだ。
 殺し合いをする我が子を見て、悲しまない母親などいないのだ。

 

●ご訪問ありがとうございます。
2月26日に「死んだラザロのバラード」という詩を投稿しました。「もどって きて/家族は叫ぶ/戦場で」と書きました。いま、この叫び・嘆きが、兵士の家族の声と重なります。兵士だけでなく、ロシア軍に殺されたウクライナ市民の、その遺族の声とも。
胸が苦しくなる日々が続いています。


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