祈りを、うたにこめて

祈りうた(信仰くねくね  自分教Ⅶ―善魔④)  

自分教Ⅶ―善魔④


 あるとき、先輩の社員が会議の場でわたしをバカと言ったことがあった。
 その先輩は正義感の持ち主で、会議中、上司のやり方を正面から批判していたのだ。そしてわたしに同意を求めたのだった。
 わたしは、ちょっと違うなと思いながら先輩の批判を聞いていた。それで素直に同意できなかったのだ。先輩は、自分の批判が的を射ているものと信じていた。わたしにも当然それが理解できるはず、だから同意するべきと思っていたにちがいない。
 「君はバカだね。わたしの言ってることが何もわかっていない」―その先輩は、わたしをあわれな人間のように見ながら、そう冷たく言い放ったのだった。
 正しいとそのひとが信じたことでも、それに同調できないことがある。だが、そのひとは自分の正しさを譲らない。他者にも認めさせたい。しかしそのひとの思い通りにならないとき、そのひとの正しさゆえに裁くことがあると知った。
  バカとののしられた悔しさもあったが、それと同じくらい、正義は大手を振って歩きたがる、という怖さも思い知らされたのである。



 今度は、わたしが後輩を追い込んだ話である。
 会社の話ばかりで恐縮だが、長年会社員をしてきたので、いくつも思い出すことがあるのだ。
 あるとき、わたしは後輩に資料作りを頼んだ。後輩は快く引き受けてくれた。
 できあがった資料を見て、わたしは少し手直しを求めた。説明不足だったと反省しながら。そして修正された資料を見ながら、わたしはまた手直しを求めた。今度は、新たな考えが思い浮かび、それを加えたいと思ったのだ。
 今思えば当然なのだが、その後輩は反発した。「また直しですか。あんまりですよ。僕はもうできません」ときっぱり断ったのだ。
 わたしは逆ギレした。そう、逆ギレしたのだ。
 「わたしは良いものを作りたいと考えている。良いものを求めること、その姿勢は正しいではないか」と思って。逆ギレの見本のような話である。
 質を向上させるのは正しいことだ、そう思って後輩を巻き込む、それは正しくない。良くしたいなら自分で直せばいいのだ。その後輩の人の良さを利用して楽をしようとしただけではないか。
  それを、彼は向上心が薄い、努力を惜しむ、おまけに先輩としてのわたしのメンツも傷つけた、―そう思って裁いてしまったのだ。非を認めないどころか、問題をすり替えてしまった、奢ったわたしだった。


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