日本はなくなり、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、抜目がない経済的大国が残るであろう。
持丸博 氏による 三島由紀夫の予言
雑誌|文藝春秋_100801 より
昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫は市ヶ谷台で衝撃的な自刃を遂げました。その四ヶ月余り前の七月七日、産経新聞夕刊に「私の中の二十五年」と題して、予言的な一文を寄せています。
その中で、これからの日本には大して希望を持てないとした上で、このまま行ったら日本はなくなってしまうと嘆き、「……その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。……」と悲観的な予言を残しました。
三島由紀夫は戦後の日本に強烈な異議を唱えて自決しましたが、三島が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/19/7227a8e47920669840c8de407a3cb1ed.jpg)
それは外的な面から見れば、GHQが作成した日本国憲法と日米安保条約が一セットの枠となり、その縛りによって身動きがとれなくなっている閉塞状況を指し、内的には戦後の平和主義によってもたらされた偽善と自虐史観の呪縛によって、限りない精神の荒廃と欺瞞をまねいてきた戦後的風土であると思われます。
アメリカから与えられた憲法を内発性と擬制し、これを後生大事に守りながら、「自らの国を守る気概と機能を棚上げにして来た」戦後日本の怠慢。 現実には「安保によって国の安全が担保され」ながら、「一方でアメリカは日本から出てゆけ」と主張する甘ったれた意識構造がいまもこの国に続いています。
三島はこの根源を、日本国憲法に起因するとして、昭和四十年代初頭から活動の軸足を大きく政治に移しました。三島と私はこの頃から付き合いを始め、あの盾の会は、私が学生を組織して三島と共に自衛隊に体験入隊したことがはじまりでした。自決当時、私はすでに盾の会を辞めていましたが、その後の日本は、三島の予測通りひたすら破滅に向かって走ってきたように思われます。
世の中がますます「カネ」と「ゲーム」と「利己主義」に落ちて行く様子を見るにつけ、三島の問いかけはいま一層深い意味をもつようになりました。
しかし、三島の時代、日本はまだ幸福でした。 混乱はしていたが若者には明日を切り開こうとする「意志があり、希望があり」ました。それが今はどうでしょう。 三島が生きていて、あの無気力・無表情な若者の姿を見たら腰をぬかすでしょう。いや、三島はこれも見通していました。三島の目は、現代文明の落ち行く先をしっかりと見据えていたようです。
あの事件から四十年がたった今年、三島と奇しくも同じ名を持つ鳩山由紀夫が首相の座にありました。 どこか自信なさげで、キョトキョトした無機的な目、からっぽで内容のない言葉、そして富裕な出のお坊ちゃま首相の出現は、まさに三島の予言通りでした。
彼は沖縄県民とアメリカ、そして連立仲間に対してそれぞれにお愛想をふりまき、相矛盾する約束を交わして、それゆえ政権は行き詰まりました。
「トラスト、ミー」といえば相手は信じてくれる、「友愛」を掲げれば近隣の人たちは皆仲良くしてくれる、と思い込んでいた彼の信条は、日本国憲法前文の「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。……」という無責任な他人依存心理と生き写しです。
だが 鳩山由紀夫に見るこの論理と心理こそ、笑えぬ戦後日本人の姿です。 鳩山は正に戦後体制――矛盾と欺瞞の象徴でした。東日本大震災 都市伝説 sengoku38 GHQ 在日 蓮舫 中国共産党 侵略 チベット ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ AKB48 福島原発 ぺ・ヨンジュン![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/7b/ace595a6e56d00537607cf0c8356e584.jpg)
さて、2010年06月、今度は、抜き目のない、ニュートラルな、中間色の衣を身にまとった新しい首相が誕生しました。 その名は菅直人。彼は「平成十一年成立の国旗国歌法案」に反対票を投じました。国歌嫌いでも有名です。 彼の本質は前首相と同様に日本という視点が欠落した ※コスモポリタンです。
さても三島が命に代えて訴えた憲法改正はますます遠のきました。 「国民の生活が第一」などという甘い声にだまされて、いいとこ取りのポピュリストにこの国を任せて、日本は解体される。
しかし、四十年前、三島由紀夫の放った予言の矢には、1つだけ決定的な誤りがあります。 現在の日本をご覧下さい。「抜け目が無い」どころか、「抜け目ばかり」ではないでしょうか。
※コスモポリタン = 国籍・民族などにこだわらず、全世界を自国とみなして行動する人。世界主義者・世界市民・国際人。 鳩山由紀夫や管直人は、この立場を取ることで、日本を他国に明け渡す行為を正当化している。
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持丸博 氏による 三島由紀夫の予言
雑誌|文藝春秋_100801 より
昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫は市ヶ谷台で衝撃的な自刃を遂げました。その四ヶ月余り前の七月七日、産経新聞夕刊に「私の中の二十五年」と題して、予言的な一文を寄せています。
その中で、これからの日本には大して希望を持てないとした上で、このまま行ったら日本はなくなってしまうと嘆き、「……その代りに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう。……」と悲観的な予言を残しました。
三島由紀夫は戦後の日本に強烈な異議を唱えて自決しましたが、三島が提起した戦後体制の虚妄とは一体何であったのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/19/7227a8e47920669840c8de407a3cb1ed.jpg)
それは外的な面から見れば、GHQが作成した日本国憲法と日米安保条約が一セットの枠となり、その縛りによって身動きがとれなくなっている閉塞状況を指し、内的には戦後の平和主義によってもたらされた偽善と自虐史観の呪縛によって、限りない精神の荒廃と欺瞞をまねいてきた戦後的風土であると思われます。
アメリカから与えられた憲法を内発性と擬制し、これを後生大事に守りながら、「自らの国を守る気概と機能を棚上げにして来た」戦後日本の怠慢。 現実には「安保によって国の安全が担保され」ながら、「一方でアメリカは日本から出てゆけ」と主張する甘ったれた意識構造がいまもこの国に続いています。
三島はこの根源を、日本国憲法に起因するとして、昭和四十年代初頭から活動の軸足を大きく政治に移しました。三島と私はこの頃から付き合いを始め、あの盾の会は、私が学生を組織して三島と共に自衛隊に体験入隊したことがはじまりでした。自決当時、私はすでに盾の会を辞めていましたが、その後の日本は、三島の予測通りひたすら破滅に向かって走ってきたように思われます。
世の中がますます「カネ」と「ゲーム」と「利己主義」に落ちて行く様子を見るにつけ、三島の問いかけはいま一層深い意味をもつようになりました。
しかし、三島の時代、日本はまだ幸福でした。 混乱はしていたが若者には明日を切り開こうとする「意志があり、希望があり」ました。それが今はどうでしょう。 三島が生きていて、あの無気力・無表情な若者の姿を見たら腰をぬかすでしょう。いや、三島はこれも見通していました。三島の目は、現代文明の落ち行く先をしっかりと見据えていたようです。
あの事件から四十年がたった今年、三島と奇しくも同じ名を持つ鳩山由紀夫が首相の座にありました。 どこか自信なさげで、キョトキョトした無機的な目、からっぽで内容のない言葉、そして富裕な出のお坊ちゃま首相の出現は、まさに三島の予言通りでした。
彼は沖縄県民とアメリカ、そして連立仲間に対してそれぞれにお愛想をふりまき、相矛盾する約束を交わして、それゆえ政権は行き詰まりました。
「トラスト、ミー」といえば相手は信じてくれる、「友愛」を掲げれば近隣の人たちは皆仲良くしてくれる、と思い込んでいた彼の信条は、日本国憲法前文の「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。……」という無責任な他人依存心理と生き写しです。
だが 鳩山由紀夫に見るこの論理と心理こそ、笑えぬ戦後日本人の姿です。 鳩山は正に戦後体制――矛盾と欺瞞の象徴でした。東日本大震災 都市伝説 sengoku38 GHQ 在日 蓮舫 中国共産党 侵略 チベット ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ AKB48 福島原発 ぺ・ヨンジュン
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さて、2010年06月、今度は、抜き目のない、ニュートラルな、中間色の衣を身にまとった新しい首相が誕生しました。 その名は菅直人。彼は「平成十一年成立の国旗国歌法案」に反対票を投じました。国歌嫌いでも有名です。 彼の本質は前首相と同様に日本という視点が欠落した ※コスモポリタンです。
さても三島が命に代えて訴えた憲法改正はますます遠のきました。 「国民の生活が第一」などという甘い声にだまされて、いいとこ取りのポピュリストにこの国を任せて、日本は解体される。
しかし、四十年前、三島由紀夫の放った予言の矢には、1つだけ決定的な誤りがあります。 現在の日本をご覧下さい。「抜け目が無い」どころか、「抜け目ばかり」ではないでしょうか。
※コスモポリタン = 国籍・民族などにこだわらず、全世界を自国とみなして行動する人。世界主義者・世界市民・国際人。 鳩山由紀夫や管直人は、この立場を取ることで、日本を他国に明け渡す行為を正当化している。
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今後も、あらゆる真実を掘り出し、世界のため、日本のため、人類のためにがんばって行きましょう。
善は善として、悪は悪として認識することが大事です。
当時は子供だったため事件の意味は解からなかったものの、ニュースで見たのは覚えています。
高度経済成長、バブルを経て、日本経済の衰退、そして今正に国家の崩壊ともいうべき非常事態に突入しつつある中、「何故あの時、自衛隊は決起してくれなかったのか」と思わずにはいられません。
三島先生の予言はほぼ的中しました。
抜け目の無い、という部分は私も同感です。
抜け目だらけです。
もう一つ付け加えるならば、民主党政権によってアメリカの傭兵ですらなくなりつつあるということ。
政財界もマスコミも敵性国家の手中にある現状を見るに付け、一度全てをリセットすべきと考えます。三島氏の意思を受け継ぎ、現代に生きる我々が決起しない限り、日本に未来はありません。
今後も、愛と正義のために、共に戦って行きましょう。
三島由紀夫氏の預言の誤りがあるとするならば、彼の言葉を理解出来る者が滅びてはいなかった事では無いでしょうか。駄文ですみません(。-_-。)
2012年10月29日 06:07:15
これまでの歴史的事実を鑑みれば、そもそも、アイツらと仲良くできるわけがありません。
特集ワイド:ミャンマーが呼んでいる 日本企業進出へ熱視線、「謎の国」有望市場に
http://mainichi.jp/feature/news/20120510dde012030041000c.html
こんど安倍が復活します。これが、日本の、最期の戦いでしょう。 美しいアジアのためにも、日本が立ち上がるしかありません。
http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hss/b1fha400.html
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=130556
https://www.youtube.com/watch?v=hy3tPen4saM