欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

韓国は日本に謝罪する

2011-04-01 00:07:51 | 韓国 朝鮮
韓国人って??? 「KARA」「ペ・ヨンジュン」「東方神起」最新情報 2

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韓国は16兆9300億円ゲッツ!
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「韓流ブーム」というのがあるそうですが、日本と朝鮮との関係はあまりよろしくないようです。 韓国との間には「竹島」問題がありますが、彼らは国際司法裁判に、絶対に出て来ないそうです。竹島は元々日本領なので、裁判に負けるからです。 さて、歴史的には 2010年は、「日韓併合100年」だそうです。 大東亜戦争前には「朝鮮は日本国」だったわけですが、敗戦後、日本が撤退し朝鮮に残してきた資産は「53億ドル」相当、現在価格で「16兆9300億円!」だそうです。 つまり、韓国さんは「美味しい思いをした」と言えるでしょう。逆に日本は大損ですね。  韓国は大金ゲッツ!!



そして

※日帝三十六年の七奪(チルタル)-韓国人が日本を糾弾するための攻撃材料を覚えやすく7つに分類したもの。 大日本帝国が韓国から「主権、国王、人命、国語、姓氏、土地、資源を奪った」と主張するものだが、果たして真実は如何なのか?
・・・これが嘘であれば、韓国は、日本に謝罪するべきでしょう!!  

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朝鮮近代史年表
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0918-1392 高麗王朝時代
1392-1910 李氏朝鮮 朝鮮半島の最後の王朝(1897-1910 大韓帝国 李氏朝鮮が使用していた国号)
1446    ハングル文字公布 朝鮮語または韓国語を表記するための表音文字
1894    日清戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争
1895    下関条約締結 日清戦争に勝利し下関条約で朝鮮の独立を認めさせた
1904    日露戦争 朝鮮半島領有権をめぐる戦争
1905    第二次日韓協約締結 日本は朝鮮の外交権を接収し、内政・財政に関しても強い影響力を得て朝鮮の保護国化を推し進める
1909    伊藤博文がハルビン駅で安重根に暗殺される
1910-1945 日韓併合時代
1937-1945 大東亜戦争(太平洋戦争)/日中戦争/1941(昭和16)に、真珠湾攻撃→第二次世界大戦開戦
1948    韓国/北朝鮮建国
1950-1953 朝鮮戦争 朝鮮半島の主権を巡って共産圏側が軍事境界線を越えて韓国に侵攻

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日韓基本条約を2004年まで国民に隠し
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1965年に、日本は日韓の歴史問題の清算として「日韓基本条約」を締結した。 これは、恐ろしい不平等条約である。 日本は幕末に欧米列国と不平等条約(安政五カ国条約)を結ばされたが、それを解消する為に50年を費やした。 中国は日本に対し、大東亜戦後の賠償を「拒否」したが、韓国は日本と戦ったか??? 戦ったどころか、韓国は、「日本のおかげで」発展した。 しかし何故か、戦後、賠償を21億ドル(現在価格≒7兆5600億円!)要求して来た! それまでの恩を忘れ、賠償を21億ドル要求した! GHQによる調査によれば、日本が韓国に置いてきた資産は「53億ドル」相当、 日本はそこで譲歩し、53-21億ドルの差額を要求したがそれも悉く却下された。まさに、「恩を仇で返す」恐ろしい不平等条約である。  協定によって日本は、上記に加え、さらに次のような資金供与及び融資を行った。 3億ドル 無償金 2億ドル 円有償金 3億ドル以上 民間借款(1965年当時1ドル=約360円 合計すれば、当時の韓国の国家予算の2.3倍!) 。ちなみにこの賠償額は、朝鮮半島全地域が対象であり、韓国政府が「北朝鮮を統一したら北の人に支払うから北の分もくれ」と言って持って行った額である。 他のアジア各国の植民地と比較すると、韓国は最高の待遇を受け、日韓基本条約で韓国が日本から貰った資金は、主に朝鮮戦争で蹂躙された国土と経済の建て直しに使用され インフラという形で韓国全国民が恩恵を受けた。 そして日本は「個人補償形式」による賠償を提案したが、韓国はこれを「拒否」し国家賠償としてお金を受け取り、個人賠償の分配は韓国政府が行うものという形で日本政府と合意した。しかし、韓国政府はそれを2004年になるまで国民に隠していたが、2005年韓国の外交文書で、個人補償の道を閉ざしたのは韓国側だという交渉過程が判明したため、韓国内で批判が強まった。 また、戦後の日本は韓国に「経済援助と技術支援」をし続けてきたが、韓国社会では 日本がどれだけ韓国に援助していても「日本の貢献という類は国民に知らされない」。



(左)核兵器でも作って日本に打ち込むべきなんだ。
(中央)日韓友好年・2005年に 韓国旗を持ち日本旗を踏み付ける大人の韓国人たち。
(右)正直 日本は海に沈んで欲しいわ

右の写真の女の表情が全てを物語っていると言えるだろう。

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奇跡の貧国・朝鮮 街には鼻をつく悪臭が満ち
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学問は排他的な儒教があるだけで、科学も医学も無かった。学校も病院も治水施設等もほとんどなく、中国の文豪・魯迅からは「世界一貧しい国」とまで呼ばれた国が朝鮮だった。 外国人はソウルを「世界有数の不潔な街」と評し、「道で糞尿を踏まずに歩くのは不可能だった」と述べている。 街には鼻をつく悪臭が満ち、当時の朝鮮にいた宣教師は、あまりに水が汚いので、「風呂に入れば入る前よりも汚れてしまうほどだった」と言う。。

英国人女性旅行家 イザベラ・バード氏 が朝鮮を訪れたのは、1894年、62歳の時である。以後3年余、バード氏 は4度にわたり朝鮮各地を旅した。 「朝鮮には2つの階級しか存在しない。盗む側〈王族・両班(ヤンバン・官吏貴族)〉と、盗まれる側(平民・奴隷)だ。 25万人の同市民は地上に瓦または藁を並べた一階屋の下に潜り込んで生活している。いや、不潔な道路に蠢動(しゅんどう)していると形容したほうがよいだろうか。 都会であり首都であるにしては、ソウルのお粗末さはじつに形容しがたい。路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。

酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬(皮膚感染症)もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。 蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した排泄物や塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女達の姿。ソウルには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない。結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がここには無い」。



日韓併合前の朝鮮


日韓併合後の朝鮮


「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(糞)が場所も嫌わず狼藉と咲き乱れて居て、足の踏み場もなく潔癖者は一見その不潔と臭気に驚くのだ…。 至る処人糞或いは牛馬糞を見ざる無で、紛々たる臭気は鼻を襲ひ眼を顰(ひそ)めぬ者とてはない。そこで京城市内を流れて居る川の如き各戸より、排泄する糞尿を混じ、その水は一種の黄色を帯び、ドロドロとなって居るなど、実に眼もあてられぬ光景で、洗濯などに遣って居る。なんと鼻持ちならぬ咄(はなし)ではないか。毎年夏期になると伝染病が流行し、その伝染病に罹(かか)る患者の多くは韓人で、非常なる大流行を極め何千人を驚かすは珍しくない……」 細井肇「漢城の風雲と名士」

「朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む 実に味噌も糞も朝鮮人には一所である。 といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあぐれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。 さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる いよいよ病気が重くて生きられまいという時は「大便を食べさす」ということも聞いている なんと驚かしいことではないか。 塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い」

「日本の者が朝鮮に入り、朝鮮人家の間に雑居し、または朝鮮内地を旅行して朝鮮人の家に泊まると、一番に困るのは家の不潔であるのと、一種の臭気を吐き気を催すほどであるうえに、南京虫がやって来るので、実に快く眠ることができないからである。 また、小便壷はたいてい室の中に置いてあって、大人でも小児でも、客の前であろうが、誰が居っても構わず、、ジャ~と小便する、またその小便器を口の側に持って寄せて唾を吐き込む、彼らは久しい慣習で、別になんとも思わぬらしいが、日本人の目から見ればいかにも見苦しい、たまったものではない。 これが田舎になると一層ヒドいのはいうまでもないが、しかし田舎のみではない、京城でも割合に不潔でないのは大路位のみで、少し折れて小路に入ると、その臭気は鼻をおおっていなくては通れない程で、塵や芥が道の上に散り乱れており、家々の便所から大小便は勝手に流れ出でつつある、そこらあたりを朝鮮の小児らは平気でガヤガヤと戯れ遊んでいる」 衆議院議員・中国新聞社主筆 荒川五郎「最近朝鮮事情」 1906(明治39)年

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朝鮮医療の悲劇
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不衛生な環境であったため疫病がたびたび流行したが、医学の立ち遅れていた朝鮮では、病気治療や伝染病予防は迷信に縋るしかなかった。  グレブストの『悲劇の朝鮮』の中に、いくつかの治療法が書かれている。 たとえば、牛糞を塗る。ヒマワリの種を湯がいて食べる。小さな蛙を3匹生きたまま丸飲みする。重症の場合は、煮たカササギを1羽、あるいは焼いた犬の足を4本食べるといい。あるいは、茄でた熱い海藻を腹のまわりに巻く。じっくり沸かしたお湯に40歳の女性の髪の毛を入れて飲む。ガマガエルを地面に仰向けにし、その腹を3度叩いて地中に埋め、また掘り出してから紐でしっかり縛ってから火で焼いて粉にして水で飲む、など。こういった民間療法は、「数千年来」ほとんど変わっていなかった。

ところが、大韓帝国(1897-1910)の最後の皇太子(純宗)の妃・純明皇后は、こういった民間療法の医者にかかって死んでしまった。皇太子妃ははじめ、腹が腫れた病気にかかり、女医たちに診てもらったところ、「ご懐妊」との診断であった。女医たちは高宗からご褒美をもらったが、間もなく大変なことになると察知して逃げてしまった。 妊娠ではないとわかった高宗も、あわてて韓国一の名医に診てもらい、妃の腹に悪霊(鬼)がすみついたと信じ、城門の戸板をはがして煎じて妃に飲ませたものだった。その数日後、妃はあえなく逝去した。 韓国最高の名医でさえこの有り様である。韓国の医療衛生状況が、いかなるものだったかが窺い知れるだろう。 「韓国は日本人がつくった ―朝鮮総督府の隠された真実―」黄文雄

嘗糞(しょうふん)とは、人間の糞を舐めて、その味が苦ければその人物の体調は良くなっており、甘ければ体調が悪化していると判断する、古代中国や朝鮮半島の李氏朝鮮時代まで行われた民間療法。儒教では孝行の一種とされている。 朝鮮では、6年以上父母の糞を嘗めつづけ看病し病気を治した孝行息子の話などの記録があり、指を切って血を飲ませる「指詰め供養」(断指)や内股の肉を切って捧げる「割股供養」などと共に、親に対する最高の孝行の一つとされた。こうした風習は朝鮮時代まで続き、日韓併合後に禁止された。 世宗が編纂を命じた儒教的な教訓を纏めた書、『三綱行実図』には孝行の一例として挙げられている。 『朝鮮医籍考』によると、後に娯楽化し、人の糞を舐めてその味で誰の糞であるか当てる遊びが流行した。 また、朝鮮王の中宗は、解熱剤として人糞を水で溶いたものを飲んでいたという(東亜日報 2005年8月22日)。 20世紀に入っても人間の大便を民間医術に使用する例があり、『最近朝鮮事情』には重病人に大便を食わせる例が載せられている。 また『朝鮮風俗集』には人中黄(冬期に竹筒に人糞と甘草を交ぜ地中に埋め、夏期に取り出し乾燥させて粉末にしたもの)と言う民間薬が載っている。

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千年属国
清国の使者に迎恩門まで出向いて三跪九叩頭の礼をした李氏朝鮮

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三跪九叩頭の礼とは、中国清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つ。 朝鮮は「千年属国」と言われるが、そもそも韓国の古い国旗にまで「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから否定しようがない。 そして、宗主国の国王にこの礼を行うだけではなく、「その使者にさえもわざわざ ※迎恩門まで出向いて」この礼を行ったという事実が、哀しく在る。 (※迎恩門(げいおんもん)とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門) 中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であり、その立場は「琉球」(沖縄)以下だった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣であり、また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。(黄文雄「韓国は日本人が作った」徳間書店)  朝鮮国王は清の皇帝によって任命されていた。朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられていなかった。「朝鮮国王が、宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった1つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止する」という厳しい処罰を受けている。 「清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければ」ならなかった。朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。

・・・このどうしようもない惨めな朝鮮を 清の属国から独立国にしたのが日本である(1895)。 この、1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、彼ら朝鮮民族の「民族気質」に深刻な影響を与えることになる。

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日韓併合 破産状態にあった朝鮮
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19世紀から20世紀前半にかけての世界は、弱肉強食の「植民地化」の時代だった。 大東亜戦争(太平洋戦争)前には、アジアのほとんどの国は、西欧諸国の植民地となっていた中、最後に極東地域が残り、その中で日本のみが、明治維新を成し遂げ近代化と富国強兵により西欧諸国と対等な力を得ることに成功していた。 朝鮮は混乱し、国としての体裁は無く、防衛力もなく、財政は破綻し、国家的破産状態にあり、植民地とされるのはもはや時間の問題だった。

日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で清の冊封体制から李氏朝鮮の独立を認めさせた。 日本にとっての朝鮮の位置は、脇腹に突き付けられた短刀のような物であり、そこで朝鮮に独立と近代化を求めた。しかし朝鮮は、ロシアに「事大(弱者が強者に付き従い保身を計る態度)」する有様であったが、韓国最大の政治組織「一進会」が、維新のため、日本に併合を求めた。それをもって、世界が認める形(アメリカが仲介でポーツマス条約)で日本は朝鮮を「保護国」とした後に併合した。 併合反対派は、朝鮮王室と支配者層である両班であった。 こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し、1897年独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。 朝鮮人の玄永燮は、「日韓併合前の朝鮮は地獄であったといってもよい」と述べている。 

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国を救う道は併合しかなく、併合相手は日本しかない。 欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。 それ以外に、我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して人間としての幸福が受けられる道はない」 朝鮮全権大使 李成玉「李完用侯の心事と日韓和合」

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皇民化政策
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皇民化政策とは、大日本帝国の支配地域において、諸民族に対し行われた同化・教化政策。 韓国では「強制的に氏名や言葉を奪い文化を奪われ天皇への忠誠を誓わされた」として騒がれている。 現在では、中国でも、チベット族など少数民族に対し「侵略と民族そのものの絶滅を目的とした教化や強制連行、堕胎、虐殺などが強力に推し進められているが、日本の場合はどうだったか。

まず、皇国臣民ノ誓詞(こうこくしんみんのせいし)を毎朝斉唱させるなどして、日本国民の意識を確立しようとした。 「創氏」とは、改名とは異なり、即ち「朝鮮式の姓名と日本式の氏名という2つの名前を持つこと」である。 麻生太郎氏が 2003.05.31.東大での講演会で言及している。『歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。 たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。 しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり「朝鮮人だな」と言われた。 仕事がしにくかった。だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ』 このムード作りに大きく貢献したのが、李光洙(イ・グァンス)を筆頭とした親日派ジャーナリストの活躍である。

李光洙は、「三・一独立運動」により2年半の実刑判決を受けたが、釈放後親日派に転じた。 彼等の主張は「参政権・義務教育等日本人と同じ権利を獲得するには、兵役・徴用・納税等日本人と同一の義務を果たすと共に、創氏改名・神社への参拝等・日本人と同化している実績を示すことが必要である」というものだった。 問題は、「それがどの程度国家権力により強制されたか」であるが、知事や議員や将校には、創氏しなかった多くの朝鮮人が実在したことから、彼らが創氏せずに、地方行政が組織として創氏改名を推し進めたとは考えにくい。  ちなみに、台湾総督府では 許可制をとり、日本語常用家庭、神道崇拝者、家庭清白者(犯罪者がいない)の3条件を満たす者しか許可されなかった。その結果許可されたものは2%にも満たなかった。 当時は支那事変の最中である。日本人か台湾人か区別がつかなくなることが、最も懸念されたのである。   ※ 創氏改名後も朝鮮風氏名を名乗り続けた著名人

実は朝鮮人というのは日本の併合以前にも何度も自ら名前を変えている。  まず、高麗時代に現在のものに近い中国式の名前に改名、その後、モンゴルが大陸の覇者になると、国王を筆頭に次々にモンゴル風の名前に改名、そして日本併合後ば8割が日本名を創氏することとなる。そして終戦後、朝鮮半島が日本の領土でなくなった時、また中国式に改名する。  彼らにはまったく「節操」という物が無く、永年、ただただ従属する立場だったことが分かるだろう。。。

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またも、韓国の破産を救った日本
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日本の1998年までの韓国へのODAは、合計で6742億4500万円、さらに、韓国のIMF危機の際 約30億ドルを提供している。 反日国家・韓国は、日本が育てたのである。 1997年、韓国政府が破産。 先進各国は「韓国をサポートする必要は無い」と断言した。 そのまま推移すれば、韓国は北朝鮮の生活水準に転落した筈だったが、旧宗主国である日本政府は韓国の窮状を見かねて、「韓国通貨ウォンを保証して」韓国を国家破産から救い出した。  また、韓国W杯時、日本の1/10以下の経済規模でしかない韓国ではスタジアムが建設できなかったので、日本に建設を頼んできた。 しかし、日本に援助してもらうというのは彼らが自尊心を守りたいという「勝手な理由」で「日本が第3機関に援助→その機関が韓国サッカー協会に援助」という馬鹿な形態を日本に要請した。大日本帝国 大和民族 大東亜戦争 中国共産党 韓国 朝鮮 原発 原爆 在日 KARA カルト 東日本大震災 チベット ウイグル 北方領土 竹島 尖閣諸島 反日 アグネス・チャン 売国 詐欺 ASEAN 福島瑞穂 趙春花 ペ・ヨンジュン 배용준 Bae YongJoon 勇俊 イ・ジュンギ ASEAN 李準基 チャン・グンソク 장근석 Jang GeunSuk 張根碩 イ・ビョンホン 이병헌 Lee ByungHun 李炳憲 ハン・ヒョジュ 한효주 Han HyoJoo 韓孝珠
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1 Comments

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Unknown (Unknown)
2012-02-24 14:23:04
語られざる「善政」
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-2594.html

今お話したように、統治時代のことについては戦後誇張されているウソがいっぱいあるわけですが、実際には「一視同仁」を実現するために、朝鮮総督府は本当によくやったと思います。 例えば、併合直後に朝鮮に渡った私の大叔父の話によると、釜山港に上陸したら道らしい道がないことに驚いたそうです。なかには、道の真ん中に家が建っているところもあった。 なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の属国でしたから、「道路を作ったら侵略される」ということで、道らしい道がなかったのだそうです。 それから、家にトイレもなかったから、臭いもすごかったすごかったそうです。朝鮮人は部屋の中で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるから、もう臭くてプンプンしていた。 伊藤博文が「仁川で上陸してソウルの王宮まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いてますけれども、当時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うんだ。異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。 そういう非衛生的な状態が蔓延していたから、コレラ、チフスがすぐ出る。それに、病院がないから人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。大叔父はそのような話をしていました。 日本人はそういうところに行って、街路をきれいに整備した。そのお陰で朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わったんです。 また、病院をどんどん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶され、餓死者が一人も出なくなった。 餓死者というのは、栄養失調だけでなくて病気もありますからね。この功績はいくら強調してもしすぎることはないと思います。 そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知っていたはずなんですよ。
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