欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

嵌められた大日本帝国 日中戦争の真実 南京大虐殺

2015-07-17 21:05:46 | 中国共産党
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史上最悪の内戦国家中国
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大東亜戦争の緒戦となった日中戦争(1937-1945)当時の中国はひどい混迷と分裂の状態にあり、内乱と騒乱にあけくれる史上最悪の内戦国家であった。 各軍閥は血で血を争う抗争を続け、その犠牲となっているのは一般民衆だった。民間の犠牲者は、ときに数百万人、また数千万人にも達しており、そのうえ、頻繁に起こる飢饉により、百万人単位の民衆が餓死するといった事態も何度も起きていた。そしてその度に、中国人同士による「共食い」が発生している。 「日が暮れる前に、街という街には通行人の姿は見られなくなった」-資治通鑑 当時、中国の市場では「人肉」が売られていた。人肉は獣肉よりも「手軽に」入手できたため安値であり、男性の肉は女性の肉よりも硬いために最も価値が低かったという。 彼らは、生きる術として人を狩りその肉を喰った。そうした、生きるだけが目的である「最大不幸社会」の中、人々の中に「他人が早く死ぬことを望む性格」や、「人の弱みを見ればとことんつけこむ民族性」などが形成されていった。

西欧列強は、当時次々とアジア諸国に手を伸ばし、「植民地化」を進めていた。「主人は白人で、黄色人種は召使いとなる」という「白人至上主義」がアジアを覆っていた。 1839年には、英国が大量のアヘン(麻薬)を清国に売りつけようとしたことが発端となり、それを清国が拒むと、圧倒的な軍事力をもって清国を叩いた(阿片戦争 1840-1842)。 一方、ソ連も、アジアに対し膨張主義をとっていた。共産主義革命を経たソ連は、さらに「世界革命」を目指し、全世界を「赤化」(共産主義化)しようと、「南下政策」すなわち侵略を続けていた。 この混乱する中国に「西欧列強またはソ連」の勢力が居座ってしまえば、それは日本の危機に繋がることから、日本は、中国が外国の勢力に侵されることのない近代化された強力な国家となり、やがて日本と共に西欧の植民地主義やソ連の侵略に対抗していく戦略をとった。

日本は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、清国(中国)からの留学生を毎年受け入れた。 その中国人留学生の数は、ピーク時の1906年には、2-3万人にものぼった。 後に中国に、親日また反共(反共産主義)の南京国民政府を樹立した汪兆銘(おう ちょうめい、1883-1944)も、法政大学で学んだ人物である。日本は彼らを進んで受け入れ、中国の未来のために官民をあげて支援していった。 日本は、それが「資源獲得と安全保障のため」というだけでなく、中国と東アジア全体の繁栄のために不可欠と考えた。 それが中国社会に与えた文明開化の衝撃は、かつて日本が遣隋使や遣唐使を通して文明開化を経験したときに匹敵するものだった。 「人民」「共和国」「社会」「主義」「改革」「開放」「革命」「進歩」「民主」「思想」など、現代中国語にある外来語のうち約36%は、元々日本語のものである。



中国人の子供や大人と共に正月の万歳をする日本兵たち(1938) すでに日中戦争は始まっていた



中国人の子供と日本兵(1938)

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清朝の滅亡と中華民国の誕生 大東亜共栄圍構想の頓挫
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清朝の終わりに中国で革命が起こり、南京に「中華民国」臨時政府が樹立した(1911)。臨時大総統に革命家の孫文(そんぶん)が就任する。 しかし、それが全土を統治していたわけではなく、実際は他に幾つもの自称「政府」が乱立していた。そしてその「政府」たちは、互いに他を「偽政府」と罵り合い、内戦を繰り返していた。 孫文は「日本と連携して近代的な独立国家の中国をつくろうとした」が、清朝の軍人、袁世凱(えんせいがい)の陰謀により、新政府は乗っ取られる。 中国の歴史は、李登輝・台湾元総統の言葉を借りれば、常に「騙す者と、騙される者」の歴史である。中国『六韜』(ろくとう)と呼ばれる歴史書が有名で、これは一言でいえば、「いかにして人を騙すか」ということが趣旨になっている。

袁世凱は、崩壊寸前の清朝から孫文を討つために遣わされて来たが、こともなげに清朝を裏切り、新政府の乗っ取りを謀った。新政府の弱体さに悩んでいた孫文は、やむなく袁世凱に大総統の地位を譲ってしまった(1912)。 かつて日本の明治維新の推進者たちは、私利私欲では決して動かず、大局を観て、国家の未来だけを思っていた。しかし中国では「利害次第でどうにでも動く人々」が大勢を占めていた。 あの関東軍の石原莞爾も、孫文の中華民国政府が誕生し心から喜んだ一人だったが、孫文の袁世凱への政権委譲を聞いて落胆し、「漢民族に近代国家を建設するのは不可能だ」と語った。この時、中国での維新を目指し「中国人による中国人のための近代的中国」をつくろうとしてきた日本の「大東亜共栄圍構想」は、実質的に「頓挫」した。こうして、近代中国の独裁政権による歴史が開始された。

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反日運動の発生と継続
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袁世凱は、中国の伝統的手法「夷(い)をもって夷を制す」(敵勢力同士を対立させ戦わせて力をそぎ、自己の延命をはかること)を実践し、西欧列強と日本を対立させ、さらに嘘とデマゴギーにより反日運動を展開する。 さらにそこには「中華思想」(中国は世界の中心であり最高であるという根拠無き独善的思想)があり、西洋人に対するテロや、焼き討ち、虐殺といった事件が多数起こされた。 しかし、中国人のそうした排外運動は、やがて西洋人よりも「とくに日本人に対して」向けられるようになる。西洋が排外運動を強圧的に封じ込めたのに対し、日本はそれをしなかったからである。 台湾の歴史家 黄文雄氏は「自分の敵わない相手とみるや、とことん従順になるのが中国人の特性である」と語っている。 1926年の「万県事件」では、反英運動が広まるなかイギリスの商船が中国側に拿捕されたが、その時イギリスは、砲艦二隻を派遣し、砲撃の末、町を徹底的に破壊した。 これにより反英運動は消滅した。

日本の中国での行動は、暴虐な西洋諸国に比べるとあまりに誠実だった。 西欧列強の軍隊が占領した地域では「白人至上主義」により、住民への略奪、暴行、殺人が繰り返されていたが、日本軍の占領地域では、ほぼ完璧なまでに治安が維持され、住民の救済も周到に行なわれていた。日本には、「弱きを助け、強きをくじく」という伝統的美徳があるが、中国人にはこれが理解できず「単にそこに弱味があるから」と解釈する。 中国の文豪・魯迅(1881-1936)も、「中国人は、相手が弱いとみるや、その弱みにつけこむ民族だ」と嘆いている。 中国にとって米国は昔も今も大きな敵であるが、米国は日本のように「理由も無く謝り引き下がらない」ので、中国で反米運動は燃え上がらない。 そして反日運動を利用して「国内の不満を外に向け」中国政府への不満のガス抜きをする。

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中国共産党の台頭
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さて、孫文の作った「中国国民党」は、孫文亡き後、蒋介石(しょうかいせき)が継いだが、国民党もひどい内戦を繰り返し、分裂していく。しかしそこから分かれた汪兆銘(おうちょうめい)が、中国の未来を考え、1940年親日政権(南京政府)を樹立した。 汪兆銘は、当初は反日家だったが、国民党内では蒋介石より人望があり、孫文の「三民主義」を継承し、日本と中国の協力により東アジアに平和と安定と繁栄を築けると信じていた。 日中戦争は、大東亜戦争(太平洋戦争)終結までの8年間と言われているが、実際には日中の戦闘は1年半あまりで終結し、日本軍はそれ以上進攻せず、占領地域でのインフラ建設や、経済建設に集中した。 その支配地域では、経済、財政、物価、治安が安定し、鉄道も作られ、民衆の生活は他と比べると天国と地獄ほどの差があった。  蒋介石は当初、日本と戦う気は無かったが、毛沢東率いる「中国共産党」の策略に嵌った。 蒋介石は、「張学良」の裏切りにより、西安にて潜んでいた際 中共兵に捕らえられ捕虜となってしまう(西安事件・1936)。そこに、ソ連のモスクワにある「コミンテルン」(国際共産主義運動)本部から、「蒋介石を殺さず日本軍と戦わせよ」との指令が下された。 毛沢東は蒋介石に「命を助けてやるから、お前は日本軍と戦え」と告げ、いわゆる「国共合作」が実現した。 また、ソ連政府からも、直接、蒋介石へ要請があった。この当時、蒋介石の息子の蒋経国がモスクワに留学中だったので、蒋介石としては息子がソ連の人質に取られているようなものだった。昭和12(1937)、国民政府とソ連との間で「中ソ不可侵条約」が締結され、国民党政府はソ連から大量の武器援助を受けることになった。

蒋介石が、敵を共産軍から日本軍に変更したことは、彼の人生において最大の過ちといっていいだろう。 なぜならば、そのために彼は後に共産軍に負け、中国大陸から逃げ出して、泣きながら台湾に渡らねばならないはめになったからである。 また、これは単に彼の過ちだったというだけでなく、中国の歴史にとって極めて不幸なことだった。「国共合作」といっても実際は共産軍はほとんど何もせず、日本軍と戦ったのは(米国に手引きされた)蒋介石だけだった。 国民党軍が日本と戦っている間に、中共軍は力を回復し、やがて日本が中国大陸から去った後に国民党軍を打ち負かすことになる。 その結果、中国は近代的国家になるどころか、結局、独裁的な共産国家となってしまった。



道端に打ち倒されていた孫文の銅像に中華民国旗をかける日本兵。日本の文化には破壊的行為はそぐわない。


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盧溝橋事件/通州事件から日中戦争へ
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当時、日本軍は中国の北京近郊や満州に駐留していた。こうした駐兵は、平時においてはすべて国際条約に基づいた合法的なものであって「北京議定書」という法的根拠に基づいていた。当時の中国は、外国の平和維持軍の存在なしには治安を守れなかった。 ここで毛沢東の共産軍は、盧溝橋(ろこうきょう・北京市南西郊外)の北で夜間演習の休憩時間中の日本軍に、国民党軍第29軍(宋哲元軍長)の駐屯地の方角から数発の銃弾を撃ち込んだ(事件の首謀者・劉少奇自身が自分の手柄話として語っている)。 しかし当時、日本は中国との紛争を避ける方針だった故、それに応戦しなかったが、翌朝、再三にわたる銃撃を受けたため、ようやく付近にいる「国民党軍」を攻撃した。 これが、「盧溝橋事件」(1937)と呼ばれる「日中戦争」すなわち蒋介石の軍と日本軍の最初の交戦である。しかし、この事件は現地の日本軍も国民党軍にも腑に落ちない事件であって、「共産党軍が仕掛けたワナ」だということが分かり、数日後には「現地停戦」が成立。これで収まってしまえば共産党軍が意図している国民党軍と日本軍の戦争拡大には繋がらないので、中共軍は、現地の停戦協定が成立しそうになると、各地で日本人に対するテロ虐殺を繰り返し、挑発した。米国の新聞記者、ウォルター・リップマンも、「日本は激しい挑発に直面しながら、通常の国際的基準からすればきわめて忍耐強かった」と記述している。当時のイギリス陸軍の元師も、「彼ら(日本)はひどい挑発を受けてきた。……彼らが満州で地歩を固めれば、それは共産主義の侵略に対する真の防壁となる」と述べた。 そして日中全面戦争突入の決定的な原因となった事件は「通州事件」である。 中共軍に対して日本は忍耐の限りを尽くし、1938年から1941年の間に、中国側に有利な条件で12回もの和平提案を行なっている。 しかしやがて日本は中共軍の罠に嵌り、蒋介石の国民党軍と全面的戦争状態に入っていく。

北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られない。学校の教科書には全く出て来ず、多くの歴史書や年表からも消されているため、事件の名前すら知らない人が殆どかもしれない。 この事件は、昭和12年(1937)7月29日に起こった、「中国人の保安隊」による大規模な日本人虐殺事件である。通州の日本軍守備隊は全滅、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で惨殺された。 戦後の「東京裁判」で、弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出しようとしたが、しかしウェッブ裁判長によって、その申し出は「却下」された。何故なら、この事件にふれてしまうと日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという判断があったからだと思われる。ただし、通州事件の目撃者による口述書だけは受理された。あまりに残虐な内容だが、その一部を引用しよう。 「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全員強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7,8名の女が全員裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。 東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、叫び、各戸ごとに捜索すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた」 中国の保安隊は、日本人居留民を通州城内に集め、城門を閉じ、逃げられないようにして一斉に殺戮行為を開始したとされる。決して偶発的な出来事というわけではなく、明らかに事前準備と計画をともなった組織的な行為だった。この虐殺は、当然ながら現地の日本軍兵士を激昂させ、東京日日新聞は1937年7月31日付号外で「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」と事件を報道し、国民の中国に対する怒りは頂点に達した。 「盧溝橋事件」は純粋に軍どうしの衝突であり、それは現地で解決がはかられたが、この「通州事件」は明らかな「国際法違反」であり、その殺し方はまさに鬼畜の仕業と言える。この事件を他に置いて日中戦争を語ることはできない。

やがて、国民党軍はどんどん弱体化し、首都南京が陥落。首都を重慶に移し、そこに日本軍が爆撃を行うと、それが「中国に権益を持つ欧米」の反感を買い、日本への「経済制裁」へと繋がった。一方、中共軍はどんどん力を回復し、日本軍の後方に広がることに成功した。 やがて1945年、日本がポツダム宣言を受諾し連合国に降伏すると、日本は中国大陸から引き上げていく。しかしその直後、共産軍と国民党軍の内戦が再び勃発し、共産軍はまたたく間に国民党軍を破り、全土を制覇する。こうして共産主義の「中華欺瞞共和国」が誕生した(1949)。

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中国民衆を虫けらのように大虐殺した中国軍
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中国軍と日本軍の間には、大きな質的差異があった。それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し、また大虐殺したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようとした。 中国では伝統的に、「民衆とは戦乱で虫けらのように殺される存在」であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなっていなかった。梁啓超(りょう けいちょう)は、中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)と呼んでいる。 共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち共産主義の匪賊(盗賊)と呼ばれていた。 彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため、食いっぱぐれがなかったからであり、中国の司令官は、ある土地を占領すると、最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせた。また、そうしないと司令官が殺されてしまう状況があった。 また、中国兵は、負傷すると置き去りにされた。ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していた。それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したと言われる。彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられていたからだ。 しかしこれらも至当な政策だということができるだろう。 中国では人民は不足しないからである。そしてこれらの記録にはその証拠は少ない。であれば、中国の嘘プロパガンダは有効なはずである。 「南京大虐殺」もまた、そのようにして、戦後創作されたものだ。



「中国無名戦士の墓」と書いた墓標の前で、慰霊祭を行なう日本兵(1938)。
日本軍は戦闘が終わると敵味方の区別なく、戦闘地にお墓を作ってきた。 このような文化は中国には無い。

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南京大虐殺
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南京大虐殺とは、日中戦争において「日本人が中国人を30万人虐殺した」という捏造事件である。 日本軍は、都市に近付く時には必ず自由都市(オープン・シティ)宣言をした。これは、「降伏するなら都市を破壊することもせず住民の安全を保証する」というもの。「歴史ある都市を戦場にし破壊してはならない」との発想である。 これに対して中国の場合は、退却のたびに道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を次々に破壊する「焦土作戦」を採った。それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を受け、人民は苦しむばかりとなった。 とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちだった。 一方、その後にやって来た日本軍は、中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組んだので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆は驚き、日本軍を熱烈に歓迎した。統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを、彼らは生まれて初めて見た。 これこそは、「人民解放軍」と呼ぶことができるだろう。



日本兵と遊ぶ中国人児童ら(1937)

日本政府は1938年に中国での「農業復興計画」を発表し、実行している。それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を築くことを目的としたものだった。 絶望視されていた中国の製糸業を復興させたのも、日本の投資によるものである。 1945年までの日本の対中国投資の累計は、約47億円にも達していたとされる(当時の日本の国家予算は約20億円)。 当時を知る中国人には当然親日家は多く、いわゆる中国残留孤児は彼らによって保護されたと思われる。

「南京学会」の調査によれば、日本が南京を占領したあと避難していた市民たちが戻り、1ヶ月後には人口が25万人になっている。仮に大虐殺が行なわれたとすれば、その都市に住民が戻ってくるわけはないと考えることが出来る。 東中野修道著『南京事件「証拠写真」を検証する』では、3万余枚の写真を3年あまりかけて、撮影者、撮影場所と時期、キャプション、出所・提供者など写真の特性を洗い出し分析し、「証拠写真」とされる143枚の写真に通用するものは1枚もないことを明らかにした。 南京で、日本軍兵士による犯罪がまったくなかったわけではないだろう。その中国人の中には劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将のように、南京戦で日本軍の捕虜になりながら、のちに汪兆銘の親日政府において和平救国軍軍長になった人物もいた。 南京攻略の司令官だった松井石根大将は、南京攻略戦の最中、焼け跡から赤子の泣き声を聞き、秘書の岡田尚に捜して来るよう命じた。彼は松井の一字をとって「松子」と命名し、南京の入城時には、岡田秘書がこの赤子を背負って入城した。


南京城内には、無数の軍服が脱ぎ捨てられていた。上海・南京戦で日本が最も悩まされたのは、支那の「便衣兵」(ベンイヘイ)である。便衣とは、民間人の平服(普段着)のこと。 彼らは戦況不利と見るや、軍服を平服に着替えて一般市民を装い、武器を持って市中に潜伏し、隙を見て、奇襲・破壊工作をする。 このゲリラ部隊が、「便衣兵」と呼ばれ、日本軍は便衣兵を攻撃したが、軍人を何人殺しても「虐殺」とはならない。 指揮官が相手の指揮官に正式に降伏を申し入れれば、捕虜として扱われる場合はあるが、軍司令官は既に逃亡していた。これが、南京事件の本質である。

日本軍は、大東亜戦争時アジア諸国に迷惑も掛けたが、日本の戦いが、「欧米による支配からの解放」のきっかけとなった見方があり、感謝されている。 元南海支隊の西村幸吉さんによれば、「対オーストラリア戦」にて、日本側の小隊長が狙撃され亡くなり、その遺骸を西村さんが引っ張りに出たとき、彼らオーストラリア兵は、一切、西村さんに対して、撃ってこなかったという。そして西村さんが自陣に戻ったそのあと、猛然と撃ち掛けてきた。これが、「オーストラリアの武士道精神」である。 中国、朝鮮人には、武士道精神は無い。福沢諭吉は、今から100年以上も前に『脱亜論』にて、「中国、朝鮮の狡猾さ」を看破し、「彼らとの絶交」を宣言している。

※参考1:【南京大虐殺は真実ではないと思う理由】:月刊「WiLL」2011年4月号 アナウンサー鈴木史朗さん:歴史を学べば学ぶほど、また中国での日々を思い出せば思い出すほど、「大虐殺なんてあり得ない」という確信を得るに至ったのです。
※参考2:【南京大虐殺というデタラメ】:当時の日本軍の機関銃は、米国製の1秒間に何発という高性能機関銃ではなく。断続的に撃つのが精いっぱい。1分間に打てる弾はおおむね40発。これで30万人殺すには、いったい何日かかるのか。
※参考3:【国際委員会の日本軍犯罪統計】:当時外交官補佐の福田篤泰(ふくだとくやす)氏談:「役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。

1997年、中国系アメリカ人のアイリス・チャンが、『ザ・レイプ・オブ・南京』を出版した。 米国では「ワシントン・ポスト」が大きく本書を取り上げ、チャンの主張を詳細に紹介し、「ニューヨーク・タイムズ」でも絶賛され、同紙のベストセラーリストに10週間掲載された。 しかしその後その内容やデータの誤りが多くの批判書によって明らかになり、岩波書店は全面謝罪文を掲載するまでに至った。 米国は、日本国民30万人を無差別殺戮したが、これは当時の国際法にも違反する残虐行為であり、彼らはそれを正当化するために日本軍の蛮行を探したが、不法裁判として悪名高い「東京裁判」でも、南京大虐殺は根拠無く主張されたに過ぎず、著者・アイリス・チャンは、その死の前に「日本人に謝罪しなければならない。私の本は絶版にしてほしい」と語り、2004年の暮れにピストル自殺している。中国共産党のプロパガンダの手口を知る意味では価値がある書と言えるだろう。 南京が日本軍によって陥落した時、日本軍兵士日本人記者たちだけでなく、ロイターやAPなど欧米の多くの新聞記者やカメラマンが共に南京市内に入った。その総勢は100人以上。しかし、その中の「誰一人として」大虐殺を報じていない。

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ローマ法王も日本の行動を支持していた
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そもそも、中共の策略に嵌められたかたちで中国内部に足を踏み入れた日本軍だったが、介入した以上、多大な尽力をなした。 日本は中国の「領土保全」を掲げ、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生し、アジアを共産主義から守る防波堤になること、そこに一大経済圏が生まれることを目指した。 日中戦争が始まった年である1937.10に、当時のローマ法王、平和主義者として知られるピオ11世(在位1922-39)は、この日本の行動に理解を示し、全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけた。 法王は、「日本の行動は侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしている。日本は共産主義を排除するために戦っている。独裁共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」との声明を出している。 この声明は当時の日本でも報道された(「東京朝日新聞」夕刊、昭和12年10月16-17日)。 しかし、そのピオ11世も1939年には世を去ってしまい、欧米の反日主義や日米戦争勃発を防ぐまでには至らなかった。



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南京大虐殺の源流
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中国では、歴代王朝が交替するたびに京師(都)での「屠城」(兵士による城民の大虐殺)と「市民による共食い」が繰り返されてきた。これは、「正史」や「資治通鑑」などの記録に多く残っている。南京城では虐殺のたびに共食いが発生した。 西安、南京、北京、揚州など、政治、文化、経済の中心地であった都では、人口が増えすぎたことにより共食いが起こった。戦乱時になれば、多くの民衆は軍隊に捕らえられ、敗残兵も数千単位で喰われた。軍は人肉を加工し、最前線に輸送していた。 「耕作をする人が居なくなり、加えて飢饉の酷い年であったので、ほとんどの人間は人肉を喰らい年を越した。その混乱は空前のものであった」-「唐書」昭宋本記 中国では大量の人骨が出土した場合「万人坑」(まんにんこう)として騒がれる。そしてそれがそのまま「日本軍虐殺の根拠」とされ「便利な反日のプロパガンダ」となる。 このような中華の欺瞞に、いかに対処するのか、それが、我々、大日本帝国人の末裔に問われている。

初出:2011-01-20 16:20:37

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19 Comments

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ありがとうございます (桃太郎と改名)
2011-01-24 00:39:41
本当にシナや韓国がすごくあせってますね
日本人にもみえみえです。
民主政権だから?それとも何かあるのでしょうか
改名しました。
縁起担ぎです。鬼を退治できれば、、
リンクさせてくださいね
Unknown (一般人)
2011-01-25 11:48:53
元えびさん?こんばんは。
とにかく、日本人には、強烈なキビダンゴを投与せねばならないでしょう。

先日、米中首脳会談で、胡錦濤は、数年前とは打って変わり、国賓として迎えられました。
「人権」中国には聞こえず 米中首脳会談で凍り付く中国記者団
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110121/chn11012109020038-n1.htm

中国は崩壊する。あるいは中国は世界の覇者となる。 私はペシミストですので後者だと思っています。
チベットやウイグルの民に対し 奴らがどんな非道を行っているのか。
それは我々の想像以上です。
絶対に許しません。
彼らの国家と人民すべてを虐殺以上のレイプし、根こそぎ抹殺する。 これは至当な戦略でしょう。そしてその収益の恩恵を米国が貰っている。
つまり、チベットやウイグルの血によって、日米が助けられている。
それなのに米国は、中国の人権侵害、侵略を非難する。 矛盾しています。つまり、すべては金と力でどうにでもなるわけです。

日本は 大東亜戦争によってアジア諸国を開放し、さらに戦後の経済復興という2個の奇跡を起こした偉大な国家です。 しかし現在では斜陽。
しかし大和民族は必ずまた目覚めます。 そして、侵略国家・中国をやっつけるのです。

先日、NHKスペシャルで
「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110109.html
が放映されました。 今回もNHKがしょうもない親中路線を展開していたようです。
これもいずれまとめようと思います。
Unknown (Unknown)
2011-02-16 03:31:50
それにしても日帝は酷いことをしたもんだな。 20万人しかいない市民を、30万人も殺したんだから。
Unknown (モンブラン)
2011-02-21 04:38:05
こんにちは。yamato789さんのところから来ました。
そこでも言わせていただきましたが、ローマ法王の発言に関しては、(飽くまで私が探した限りでは)他にそのような報道をした記録が見付けられない為(特に海外メディアにおいて)、朝日新聞の捏造記事の可能性が非常に高いという事を留意して置いて下さい。

それから毛沢東の発言ですが、彼が中国で何千万人もの中国人を虐殺したところを見れば、日本を擁護する発言も、悪い冗談にしか聞こえません。

何かの情報を得る時は、常にそのソースを確認する事を強くお勧めします。どうか常に謙虚さと慎重さを忘れずに、凝り固まった独り善がりの愛国で事を終えてしまわないよう、くれぐれもご注意ください。
もう一つ、 (モンブラン)
2011-02-21 05:33:30
上の書き込みを見ていて思い出しましたが、中国の人権侵害を受けて、米国をはじめとする欧州は中国に対して経済制裁を加える事で合意しました。もちろん日本も参加するよう要請されましたが、日本は拒否しました。そういう事もあったのだという事も記憶しておいて下さい。
連続投稿申し訳ありません、 (モンブラン)
2011-02-21 05:47:21
ただ大事な事だと思うので。

私は米国カリフォルニア州に住んでいて、年配の日系アメリカ人の方々と交流する機会も多いのですが、カリフォルニア在住の日系人は強制収容所送りにされた訳ですが、それでも皆穏やかで、古き良き日本の良心と辛抱強さを感じさせる立派な方々です。ある方は戦後すぐに名門UCバークレーに入学し、敗戦直後という事でいじめにもあったそうですが無事卒業し、医療関係の仕事に従事されたそうです。その内、薬害エイズ問題に関わる事となり、日本政府の対応を見て、酷く失望したと仰っていました。因みにお兄様はシベリアの生存者だそうです。余談かも知れませんが、薬害エイズ問題の責任者が、事実はどうであれ悪名高き731部隊の出身者だというのだから始末に困ります。

とにかく、灯台下暗し、日本政府も大概いい加減なのだという事を(説明するまでもないかも知れませんが)まずご理解下さい。
Unknown (一般人)
2011-02-22 02:15:23
こんばんは。
>どうか常に謙虚さと慎重さを忘れずに、凝り固まった独り善がりの愛国で事を終えてしまわないよう

そのとおりですね。 そういう連中が逆に迷惑であるように、私も注意しなければなりませんが、いずれにしろ「伝聞」ですからね。 論述には、可能な限り精査することが求められます。

>中国の人権侵害を受けて、米国をはじめとする欧州は中国に対して経済制裁を加える事で合意しました。もちろん日本も参加するよう要請されましたが、日本は拒否しました。

ありがとうございます。 いつのことでしょうか。教えていただければ幸いです。 そこで日本が拒否するのはもう驚きません。

>私は米国カリフォルニア州に住んでいて
>シベリアの生存者だそうです。
>薬害エイズ問題の責任者が、事実はどうであれ悪名高き731部隊の出身者だというのだから

中国の戦略は、韓国・米国と日本を敵対させることだそうです。 そのためには何でもやるのが中国の政策です。 カナダ・米国でも、反日工作が成功しています。日本は情報戦に破れています。 シベリア、731部隊に関しても今後マトメていきたいです。 ちなみに、731部隊 というのは、日本軍の「給水部隊」であり、元々、化学兵器や細菌兵器は中国の宮廷内での闘争に多用され、中国の伝統文化とも言えるようです。

参考:虚構「731部隊“元隊員”」の“証言”調査! http://grandbee.iza.ne.jp/blog/entry/151197/

>とにかく、灯台下暗し、日本政府も大概いい加減なのだという事を

それはそうでしょう。大日本帝国を全部信頼なんてしていませんよ。しかし 悪質な中国にカウンターパンチを食らわせるには こちらも強く主張することが求められます。日本人はいつまでも黙ってませんよ。
校正しました (モンブラン)
2011-02-22 05:31:31
お返事ありがとうございます。同じ文章を投稿させていただきましたが、誤字脱字があり、お見苦しかったので直させて下さい。

最近は日本も愛国ムードに溢れていますが、行き過ぎるとステレオタイプな狂信的日本帝国国民に逆戻りしてしまいそうで怖いです。特に、横柄な振る舞いは絶対に止めた方がいいと感じています。飽くまで真実に忠実に、謙虚な姿勢でありたいものです。

1989年、天安門事件が起きた時の事です。民主化を求めた人民を虐殺した事により、中国は世界から孤立しましたが、日本だけは狂信的に中国を援助して回ったそうです。これは虐殺行為を肯定したに等しく、日本の汚点と言えるかも知れません。が、詳しくは分かりません。何かやむを得ない事情があったのかも知れません。

確かに、第二次世界大戦を語ると「レイプ・オブ・ナンキン」だの、「セックス・スレイヴ」だの、「バターン・デス・マーチ」だの、「パール・ハーバー」だので困ってしまいます。最早事情を説明する事さえ不遜な行為と看做されてしまいそうな雰囲気です。ここはひたすら誠実に資料を基にした議論を重ね、1人でも多くの人に事情を理解して行ってもうらしかないかなと考えています。ベスト・セラーやハリウッドの威力は絶大ですが、真実の前には無力だと信じています。

私も731部隊に関しての議論は聞いています。ただ、軍事機密というものもあり、大っぴらに記録に残す性質のものでもないだろうと考えています。ただ、中国人が中国で繰り広げた横暴に無頓着な人があまりに多いのは不自然だと感じています。それはやはり、まだ中国が民主化されておらず、肝心の被害者である中国人自身が被害を訴える事が出来ないからではないかと考えもしますが、どうなのでしょう。やはり留学生の数が減っている事も問題でしょう。アメリカ式に信用に足る資料に基づいた論文を発表する学者が増えれば、それに呼応する識者も出て来ると思うのですが。

確かに黙ってはいられませんね。黙っていては嘘が真実に取って代わってしまいます。明るい未来が日本に訪れる事を願うばかりです。
Unknown (一般人)
2011-02-22 13:12:58
こんにちは。

>黙っていては嘘が真実に取って代わってしまいます
それを狙っているのが中国なので、これは多くの証明、証言がありますから、とにかく嘘を暴き事実を揚げていくことしかない。

>行き過ぎるとステレオタイプな狂信的日本帝国国民に逆戻りしてしまいそうで
中国はそこを揚げ足取ってきますね。 軍国主義復活だと。それに臆してはいけません 未来は修正できます。

>天安門事件 日本だけは狂信的に中国を援助して回った
まったく冗談じゃありませんね 当時小平が鎮圧やったそうですが、彼の言い分は、「中国の為には民主化はまだはやい」というものだったようです、これはこちらでも http://blog.goo.ne.jp/deception_2010/e/6a587acaf1e411f2e9d00192d0de5ab6
Madeleine Sophie さんという方が言ってます。 小平の言い分は分かりますが、↑こういう欺瞞も棄却していかなければなりません。 そして小平は「中国は覇権国家になってはいけない、なるならそれは非難すべきものだ」と言っていて、ここには納得できますが彼の死後、このようになっているので 中国を許すことは出来ません。

中国を援助・・・の部分の一端はこちらで http://blog.goo.ne.jp/deception_2010/e/230e276691b4ecb2ab9303aed2fd27e5
説明してますが、他にも援助の内容が在るのでしょうか。ODAとかでしょうか。

>「レイプ・オブ・ナンキン」だの、「セックス・スレイヴ」だの、「バターン・デス・マーチ」だの、「パール・ハーバー」だの
日本が掛けられている冤罪 ・・・上記以外でも東京裁判とか、一々晴らしていかなければなりません。 真珠湾に関しても、あれは我々が罠に嵌ったのです。 南京に関してはまとめたので、さらに穴を埋めて行きます。

>肝心の被害者である中国人自身が被害を訴える事が出来ない やはり留学生の数が減っている事も問題でしょう。
留学生がどうなのか何をおっしゃりたいか分かりませんが、日本の中国への下僕対応はこちらにまとめました。
莫大な国費投入で『中国の頭脳』を育んでいる『日本の大学』 http://blog.goo.ne.jp/deception_2010/e/b00318aa60d92de177c8752b9f0366b6
Unknown (モンブラン)
2011-02-23 13:07:45
仰る通りです。私もそう思っているからこそ、ローマ法王の記事はどうかと思った訳です。明確なソース(例えば教会の記録など)があれば問題ないのですが、今のところそういったものは見付けていません。

日本の軍国主義アレルギーは、日本人自身が強く持っているものだと感じています。ですから、如何にそれを刺激しないで、理性的に対話が出来るかが大切だと思っています。

天安門の件、管理者様の方が私よりもずっとお詳しそうですね。こちらで勉強させていただきます。貿易に関しても、日本は欧米よりずっと規制が緩かったように記憶していますが、詳しく記憶しておりません。とにかく、あの時期に日本も欧米のように厳しく中国を締め上げていれば、中国の共産党政権は倒れていた可能性もあり、アジアの現状を見ると日本人として悔しいやら情けないやらでで言葉を失います。

真珠湾に関しては、汚い罠に嵌められたにせよ、日本側が戦争を始めたのは紛れもない事実です。何とかその誘いを払いのけ、ABCD包囲網を耐え抜き、核武装をして自立を図るという事も可能だったのではないかと今になって考えると思う訳ですが、それは都合が良過ぎるのでしょうか。私は単に当時の指導部が絶望的に無能だったのだと思っています。

最近、海外に興味を持っている日本人が減っている気がしています。いくら国内で議論を重ねても、海外に情報を発信し、理解を得られなければ何も変わらないのではないでしょうか。日本の頭脳流出も大きな問題ですね。勉強させていただきます。

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