- チベットで今でも続く拷問の数々 -
1949.10.01 中華人民共和国建国の日、北京放送は、突然「人民解放軍は、中国全土を解放しなければならない。 チベット、新疆(東トルキスタン)、海南島、台湾も例外ではない」と発表した。 北京放送を聞いたチベット人は、その真意をはかりかねていた。 そして1950年、毛沢東の指示により、人民解放軍がチベットに侵攻した。 当時、チベットにいた外国人は、10人未満だった。その数人の外国人を「帝国主義者」と断じ、その数人を取り締まる、という名目で 約8万4千人の軍隊が送り込まれ、チベット人虐殺が開始された。

チベットに笑顔を取り戻すために より 2002年のチベット
その翌年、軍事的威嚇の下に、両国の間に「十七ヵ条協定」が結ばれた。 毛沢東は、「チベットの文化を尊重する」「チベットには一切手を加えない」と確約したが、すべて言葉だけ、完全に裏切られる。これが中国流の「約束」なのである。 そのポイントは、「外交権と防衛権をチベットから取り上げる」ことにあった。 中国は、「チベットは元々国家として独立していなかった、中国の一部だった」などと主張しているが、「外交権と防衛権をチベットから取り上げる」と規定していることは、中国がチベットを「国」として認めていたことを意味する。 このように、詐欺師の矛盾した言説により「自ら化けの皮が剥がれる」ことを、日本では「語るに堕ちる」という。
毛沢東が、何故、国際法を無視し、120万人もの大虐殺を行ってまで、当時、資源も発見されていなかったチベットを侵略したのか。 それは長らく チベット人だけではなく国際社会でも最大の謎であった。 毛は第3次世界大戦を予測していた。1964年の核実験成功後、チベットに、インドとロシアを狙う核ミサイル基地を建設。さらに大陸間弾道弾、軍事レーダー基地、飛行場を 次々と建設。チベットを一大核軍事要塞としたのである。 そのためには、チベット人120万人程度の犠牲など、些細な問題でしかなかった。
中国政府が国連の拷問禁止条約に調印した1986年以来、拘留・監禁中に拷問死したチベット政治囚は確認されただけでも60人にものぼる。 拘留中における拷問は圧倒的に身体に対する虐待だが、虐待後、生き延びた者にとっても、拷問は心の傷となって後々まで残ることになる。これから下に綴られる証言は、拘留・監禁中の拷問を生き延びた人たちによるものである。
拘留中における拷問は通常、尋問とともに行われ、冷凍室に無理やり押し込められたあげく、鞭打ちや電圧を帯びた牛追い棒の電気ショックをあびせられる。拘留者の多くは、様々な種類の拷問具を耐え忍ばねばならない。 監禁中における拷問は、拘留中とは違った様相を帯びてくる。 強制労働、訓練がそれだ。チベット政治囚は日ごとに決められたノルマを課せられ、病気や殴打による傷害で苦しんでいても関係なく従わなければならない。
強制労働の方が拷問そのものより苛酷だ、と報告する証言者たちもいる。 そしてまた、精神の深いレベルまで傷を負わせるやり方、血液や体液の抽出、食事を与えない、などが挙げられる。 チベット僧たちはその宗教的信念のため、より一層心理的苦痛を味わされることもしばしばだ。 例えば、排泄物をタンカ(仏画) を使って強制的に運ばされることもあるのだ…
- ルンデュップ・ガンデンの場合 -
ルンデュップは1988年3月5日のデモに参加し、チベットにおける人権擁護及び政治囚ユロ・ダワ・ツェリンの釈放を要求。 警官が催涙ガスをデモ参加者たちに発射した後、ルンデュップは逮捕され、7人の他の僧たちとともに、独房に入れられる。 警官、兵士たちは、彼らを丸裸にし、木棒、銃の床尾、ゴムのこん棒、電気棒などを使って暴行し、その間ショックを増すために、彼らに水を浴びせかけた。
- 「釈放されてすぐに死亡」という謎 -
囚人が過酷な拷問で死にかけていると、通常、入院か釈放である。たいてい刑務所内で死亡することはない。当局の過失をできるだけ最小限に見せかけるためである。 プルブ・ツェリンは1989年3月5日、ラサの非暴力抗議デモに参加した。 その日のうちに公安当局に逮捕され、ジョカンのすぐそばの警察署内の拘留所で暴行を受けた。鉄棒で頭を強く殴打され、回復不能の重傷を負った。 その後ラサの人民病院に運ばれ、同日、親類たちは手術を受けねば助からないと知らされた。18日間もの間、昏睡状態に陥いり、半身麻痺状態のまま帰宅。それから痙攣をおこすようになり、1996年2月7日に死亡した。36歳だった。
- 巧妙な手口 -
ラクパ・ツェリンは3度以上にもわたって治療を拒否され、1990年12月15日、逮捕後13ヶ月で死亡した。 この件は国際的な関心を集め、中国政府からの反応を要求するまでになった。ドラプチ刑務所に外国の使節が派遣される前、ラクパは「チベットは中国の1部で、昔も今もそれは変わらない」と派遣団に告白するよう中国当局から命令を受けたが、勇敢にもそれを拒否した。そのあとすぐさま彼は集中尋問を受け、暴行された。彼の独房に隣接した部屋に入れられていた彼の囚人仲間は、彼が泣き叫ぶのを聞いたという。「お母さん、助けて… やつら僕を殺そうとしている…」 20歳の若さだった。
− 血液、体液の強制抽出 −
医療目的ということで、体液が抽出されることもある。 ピュンツォク・ヤルギはラサのミチュンギ尼僧院の尼僧であったが、92年2月3日逮捕された。 94年の中頃、警察病院に転送された際、彼女は中国人の医者に2度にわたって背中に注射を打たれた。 チベットでは生気を増すと信じられている体液を医者は抽出したのだった。 ピュンツォクはその後昏睡状態になり、毒のまわっている証拠に、爪、舌、そして唇は青みを帯びた黒色に変色した。 病院に収容されてから6日後、94年6月4日に20歳の若さで亡くなった。 中国当局が彼女の両親に遺体の面会を許可したが、それは面会について一切公表しないとの条件で、警察の同伴のもと許されたものだった。 遺体がトプデンに引き渡された際、彼は埋葬の儀式を行うことを拒否した。 それは彼女の遺体がかなり酷く損傷していたためだった。 チベットの風習では鳥葬は自然死の場合に限って行われる。 このことは彼女の両親、刑務所関係者たちの前で告げられた。 報告によれば、酷い暴行のため、遺体は全身にわたって黒色、青色に変色していた。 右足は真っ黒に、そして眼と口は血で染まっていた。
− 拷問のビデオ −
囚人たちは、集団死刑執行のようなチベット人に対する残虐行為を映した拷問のビデオを見せられることもある。 最も一般に見せられるものは、ある僧が残酷な拷問を受けている映像である。僧がまず手と足を釘で打たれて磔にされ、2度銃で打たれ、山積みになった小枝の上に吊るされ、最後に生きながら火で焼かれるというものだ。
− 冷気・熱気への身体のさらし −
冬の間、囚人たちは、厳寒や雪の降る中、裸あるいは薄い衣服だけで丸1日たたされることもある。 ラサでの冬の気温は平均0〜マイナス13℃になる。西方や北方では、気温は氷点下数十℃までさがることもある。苦痛を増加させるために、拷問者は囚人たちを裸でたたせて冷水を浴びせることもある。独房のなかには、極端に寒くなるように「工夫」を凝らしているものもある。
熱にさらすことも頻繁に行われる。 親指に手錠をかけられるか、両手を背中で縛られて天井から吊らされる。これには尋問をともなうこともある。そのままの状態で、拷問者は火にあぶられ、赤唐辛子をくべられ、熱湯をかけられることもある。 赤唐辛子を火で焼くと、すさまじく弾け散り、その煙で眼が痛み呼吸が出来なくなる。 両手に手錠をかけられたまま熱い煙突に固定され、まる1日中、水も食べ物も与えられず放置される。焼けつくような煙突の熱で全身は水ぶくれ状態になる。 体にできた水泡から水が流れ落ち、全身の傷が極度の発汗のために痛む。
******************************************
植民地時代、原住民の虐殺と侵略は普通のことであり、我々大和民族も「アイヌ民族」を卑怯な手段で陥れ、また「インディアン」や「アボリジニ」に対しても同様の対処が為された。 マヤ民族に対しても、当時の「キリスト教会」が同様の手段を採った。 そして現在、ウイグル・チベット民族が、筆舌に尽くし難い艱難に遭い、思い出の郷里は切り刻まれ、「その民族そのもののアイデンティティー」が抹殺されようとしている。 そして、我々はこの現状を放置できるのか。 毛沢東は、「大家族の一員としてチベットを抱擁する」と言い、1950年、大虐殺を開始した。 初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる 既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする これが彼らの常套手段だ。

「中国はいかにチベットを侵略したか」 マイケル・ダナム より
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。 特に尊敬されている僧たちは狙い打ちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。 ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
大勢のチベット人は、熱湯を浴びせられ、手足を切断され、焼かれ、首を切り落とされ、馬や車で引きずり殺されていった。 アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。 おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて 中共の学校や孤児院に強制収容されていった。 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。 僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。 何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。 僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた。 1956年終わり頃までに、ほとんどの男は断種され、女性は中共兵に犯され妊娠させられていった。 ある村では25人の村人が人々の前で生きながら焼き殺され、また別の村では24人の親が子供を中共の学校へ行かせるのを拒んだ罪で目に釘を打ち込まれ虐殺された。
現在、強い国力を持った国の中で、仏教が主な宗教になっている国は日本だけである。 チベットの仏教寺院が砲撃され仏経典が焼かれ、仏僧が「仏経典なんぞ糞だ」と書かれた看板を首に吊るされ大衆の前で跪く光景を見て、悲しみと怒りを共有できる民族は、世界の中で我々大和民族しかいない。 日本人は チベットを救うために立ち上がる。真如苑 寒修行 KARA最新情報 口蹄疫 尖閣義士・sengoku38 GHQ 管直人 在日 斎藤佑樹 ルーピー 鳩山 蓮舫 仕分け 中国共産党 侵略 チベット 尖閣義士・sengoku38 ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ 管直人 AKB48 千葉景子 韓国 KARA 少女時代 ぺ・ヨンジュン

『雪の下の炎』
33年間の拷問と投獄、チベット僧パルデン・ギャツォの不屈の精神を描いたドキュメンタリー
第1回チベタン・フリーダム・コンサート、ビースティ・ボーイズ、ビョーク、オノ・ヨーコら豪華ミュージシャンとともに一人のチベット僧が平和を訴えた。 中国軍の侵攻に対しチベット民族が蜂起した1959年に、平和的なデモを行ったという「罪」で投獄されたチベット僧パルデン・ギャツォである。 想像を絶するむごい拷問を受けながら33年間を生き抜き、非業の死を遂げた同胞のため、現在も闘い続ける。
この映画は、パルデン・ギャツォの苦悩の人生を通してチベット問題を浮かび上がらせると同時に、
人間が持つ精神の計り知れない可能性を私たちに見せつける。
******************************************
★ チベットの今
毛沢東は、「チベットを支配するには仏教と仏教の指導者を徹底的に滅ぼせ」と言った。 植民地における同化政策とは、被支配地で 古来よりの伝統文化を断絶させ、支配国の社会文化制度を持ち込むことである。また、支配国から大量の移住を推し進め、被支配国の民族アイデンティティーを喪失させることである。 被支配民族の抵抗に対して武力を行使するだけではなく、巨額の国家財政を投入し、融和政策を採ることで、抵抗する力を失わせる。 最近、中共は、チベット支配の正当性として、「チベット人の生活が格段に向上した」ことを強調するが、その実態は、漢族の資本を強制投入し、安定していたチベット経済を根こそぎ壊し すべてを中国に依存させる改造計画である。
★ 掌以上の大きさの火傷の痕
2008年以降のチベットは、この20年あまりで最も恐ろしい状況にあるという。 あるチベット人は、漢人と同じ教育を受けた。一応共産党員でもある彼は政府関連の職を得ているが、しかし最近は毎朝出勤の際に「今晩、無事に家に帰って来られるだろうか」と不安がよぎるという。 チャイナモバイルに勤務していた1人の青年は、朝の通勤途上、武装警官が無抵抗の僧侶を幾度も烈しく殴打する光景に出くわした。 彼はこれを看過できず、「ひどいことはやめてください」と止めに入ったために逮捕されてしまった。 約2ヵ月後、彼は瀕死の状態で家族のもとに帰された。皮膚が真っ黒に焦がされた掌(手の平)以上の大きさの火傷の痕が、体中に幾つも残っている。 拷問を受けたチベット人の体験談では「タバコの火を押し当てられた」という話がよく出てくるが、まさか、手がスッポリ入るほどの真っ黒の穴が出来るまで皮膚を焼く、などという行為は、我々の想像の外である。 うつ伏せに寝かされた青年の臀部は、繰り返し殴られ焼かれたために、それが人の臀部だと分からないほど 皮膚のすべてが抉り取られ肉が剥き出しになっていた。 この仕業に憤(いきどお)りを覚えるのは当然だが、それ以上に、「これほどまでの残虐行為をやり抜ける者の神経とは一体どんな代物」なのか。それはもはや人間の有様では無い。 チャイナモバイルの青年と同じ目には遭わないまでも、こんなことがいつ自分の身に起きても不思議ではない、と30代エリートのチベット人は言う。彼らがチベット人である限り、中国、チベットのどこに居ても安全は無いのだ。
★ 現在のチベットは、国全体が「刑務所」と化している
現在では、チベット本土の情報提供者とのコンタクトは非常に取りづらくなっている。集落の至るところに監視員が居り、自分の家に出入りするにも尋問をされる。 通信はすべてモニターされている。 中国政府は、北京五輪のあと、2008年中に5万人以上のチベット牧畜民に対し「家を与える」との名目で強制移住を計画した。 美しく平和な郷里から強制移住させられた牧畜民たちは、中国政府が用意した「定住キャンプ」に暮らしている。 しかし、それは住宅というよりも、「刑務所」と呼ぶに相応しい、あまりにも殺風景な建物群だ。 もちろん、その中に暮らしているのは、素朴で善良無辜(むこ)な元牧畜民だちである。 そこには 学校はおろかバスさえ通っていない。 そして、移住に伴って土地も家畜も取り上げられた彼らには、「飢え」が現実として迫っている。 当然、病院も無いが、「酒だけは十二分に配給され」アルコール中毒者が増加している。 これは、米国政府がインディアンから土地を取り上げ、移住させ根絶やしにしようとしたやり方そのものであり、今でも、アメリカ・インディアンの中には、先天性アルコール中毒を患う人が少なくない。 米国がかつて犯した卑劣な手口を、中国が現代になって採用しているのだ。
★ 闘い続けるチベットのサムライ
国際社会は、中国の主張の真実を突き止め、いかなる虐殺もやめさせなければならない。そのために、日本政府は国連に、第三国による調査団の設置と派遣を提案すべきであるが、それに民主党はどう対処したのか。 2009.9 の胡錦濤との会談で 鳩山由紀夫は チベット問題について「内政の問題と理解している」と述べ、岡田克也は 2009.8「中国への内政干渉は控える」と述べた。日本は中国から「日本の英霊が眠る靖国神社への参拝」への内政干渉を散々やられておきながらのこの発言。しかも、この侵略がほんとうに内政の問題、で済む話ならあらためて「内政の問題だ」などという必要さえ無い。 ・・・これが、現在の大和民族の姿である。
2009.3 今は青海省と呼ばれているチベットのアムドで、若い僧侶が当局への抗議の目的で焼身自殺を図った。このとき、炎に包まれる僧侶を中国当局は銃撃した。 膝の辺りを打ち抜かれ、全身に火傷を負いながらも彼は一命を取り留め、病院に収容された。 数日後、医師に足の切断を勧められるが、彼はそれを頑なに拒んでいる。 焼身自殺を図ろうとしている人間を、「止めるどころか銃で撃つ中国当局の非道ぶりとチベット人弾圧の実態」を、「自身の体に残る痕をもって訴えるため」の治療拒否である。 チベットでは現在も、丸腰の同胞が 命を賭けた壮絶な闘いを展開している。

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1949.10.01 中華人民共和国建国の日、北京放送は、突然「人民解放軍は、中国全土を解放しなければならない。 チベット、新疆(東トルキスタン)、海南島、台湾も例外ではない」と発表した。 北京放送を聞いたチベット人は、その真意をはかりかねていた。 そして1950年、毛沢東の指示により、人民解放軍がチベットに侵攻した。 当時、チベットにいた外国人は、10人未満だった。その数人の外国人を「帝国主義者」と断じ、その数人を取り締まる、という名目で 約8万4千人の軍隊が送り込まれ、チベット人虐殺が開始された。

チベットに笑顔を取り戻すために より 2002年のチベット
その翌年、軍事的威嚇の下に、両国の間に「十七ヵ条協定」が結ばれた。 毛沢東は、「チベットの文化を尊重する」「チベットには一切手を加えない」と確約したが、すべて言葉だけ、完全に裏切られる。これが中国流の「約束」なのである。 そのポイントは、「外交権と防衛権をチベットから取り上げる」ことにあった。 中国は、「チベットは元々国家として独立していなかった、中国の一部だった」などと主張しているが、「外交権と防衛権をチベットから取り上げる」と規定していることは、中国がチベットを「国」として認めていたことを意味する。 このように、詐欺師の矛盾した言説により「自ら化けの皮が剥がれる」ことを、日本では「語るに堕ちる」という。
毛沢東が、何故、国際法を無視し、120万人もの大虐殺を行ってまで、当時、資源も発見されていなかったチベットを侵略したのか。 それは長らく チベット人だけではなく国際社会でも最大の謎であった。 毛は第3次世界大戦を予測していた。1964年の核実験成功後、チベットに、インドとロシアを狙う核ミサイル基地を建設。さらに大陸間弾道弾、軍事レーダー基地、飛行場を 次々と建設。チベットを一大核軍事要塞としたのである。 そのためには、チベット人120万人程度の犠牲など、些細な問題でしかなかった。
中国政府が国連の拷問禁止条約に調印した1986年以来、拘留・監禁中に拷問死したチベット政治囚は確認されただけでも60人にものぼる。 拘留中における拷問は圧倒的に身体に対する虐待だが、虐待後、生き延びた者にとっても、拷問は心の傷となって後々まで残ることになる。これから下に綴られる証言は、拘留・監禁中の拷問を生き延びた人たちによるものである。
拘留中における拷問は通常、尋問とともに行われ、冷凍室に無理やり押し込められたあげく、鞭打ちや電圧を帯びた牛追い棒の電気ショックをあびせられる。拘留者の多くは、様々な種類の拷問具を耐え忍ばねばならない。 監禁中における拷問は、拘留中とは違った様相を帯びてくる。 強制労働、訓練がそれだ。チベット政治囚は日ごとに決められたノルマを課せられ、病気や殴打による傷害で苦しんでいても関係なく従わなければならない。
強制労働の方が拷問そのものより苛酷だ、と報告する証言者たちもいる。 そしてまた、精神の深いレベルまで傷を負わせるやり方、血液や体液の抽出、食事を与えない、などが挙げられる。 チベット僧たちはその宗教的信念のため、より一層心理的苦痛を味わされることもしばしばだ。 例えば、排泄物をタンカ(仏画) を使って強制的に運ばされることもあるのだ…
- ルンデュップ・ガンデンの場合 -
ルンデュップは1988年3月5日のデモに参加し、チベットにおける人権擁護及び政治囚ユロ・ダワ・ツェリンの釈放を要求。 警官が催涙ガスをデモ参加者たちに発射した後、ルンデュップは逮捕され、7人の他の僧たちとともに、独房に入れられる。 警官、兵士たちは、彼らを丸裸にし、木棒、銃の床尾、ゴムのこん棒、電気棒などを使って暴行し、その間ショックを増すために、彼らに水を浴びせかけた。
- 「釈放されてすぐに死亡」という謎 -
囚人が過酷な拷問で死にかけていると、通常、入院か釈放である。たいてい刑務所内で死亡することはない。当局の過失をできるだけ最小限に見せかけるためである。 プルブ・ツェリンは1989年3月5日、ラサの非暴力抗議デモに参加した。 その日のうちに公安当局に逮捕され、ジョカンのすぐそばの警察署内の拘留所で暴行を受けた。鉄棒で頭を強く殴打され、回復不能の重傷を負った。 その後ラサの人民病院に運ばれ、同日、親類たちは手術を受けねば助からないと知らされた。18日間もの間、昏睡状態に陥いり、半身麻痺状態のまま帰宅。それから痙攣をおこすようになり、1996年2月7日に死亡した。36歳だった。
- 巧妙な手口 -
ラクパ・ツェリンは3度以上にもわたって治療を拒否され、1990年12月15日、逮捕後13ヶ月で死亡した。 この件は国際的な関心を集め、中国政府からの反応を要求するまでになった。ドラプチ刑務所に外国の使節が派遣される前、ラクパは「チベットは中国の1部で、昔も今もそれは変わらない」と派遣団に告白するよう中国当局から命令を受けたが、勇敢にもそれを拒否した。そのあとすぐさま彼は集中尋問を受け、暴行された。彼の独房に隣接した部屋に入れられていた彼の囚人仲間は、彼が泣き叫ぶのを聞いたという。「お母さん、助けて… やつら僕を殺そうとしている…」 20歳の若さだった。
− 血液、体液の強制抽出 −
医療目的ということで、体液が抽出されることもある。 ピュンツォク・ヤルギはラサのミチュンギ尼僧院の尼僧であったが、92年2月3日逮捕された。 94年の中頃、警察病院に転送された際、彼女は中国人の医者に2度にわたって背中に注射を打たれた。 チベットでは生気を増すと信じられている体液を医者は抽出したのだった。 ピュンツォクはその後昏睡状態になり、毒のまわっている証拠に、爪、舌、そして唇は青みを帯びた黒色に変色した。 病院に収容されてから6日後、94年6月4日に20歳の若さで亡くなった。 中国当局が彼女の両親に遺体の面会を許可したが、それは面会について一切公表しないとの条件で、警察の同伴のもと許されたものだった。 遺体がトプデンに引き渡された際、彼は埋葬の儀式を行うことを拒否した。 それは彼女の遺体がかなり酷く損傷していたためだった。 チベットの風習では鳥葬は自然死の場合に限って行われる。 このことは彼女の両親、刑務所関係者たちの前で告げられた。 報告によれば、酷い暴行のため、遺体は全身にわたって黒色、青色に変色していた。 右足は真っ黒に、そして眼と口は血で染まっていた。
− 拷問のビデオ −
囚人たちは、集団死刑執行のようなチベット人に対する残虐行為を映した拷問のビデオを見せられることもある。 最も一般に見せられるものは、ある僧が残酷な拷問を受けている映像である。僧がまず手と足を釘で打たれて磔にされ、2度銃で打たれ、山積みになった小枝の上に吊るされ、最後に生きながら火で焼かれるというものだ。
− 冷気・熱気への身体のさらし −
冬の間、囚人たちは、厳寒や雪の降る中、裸あるいは薄い衣服だけで丸1日たたされることもある。 ラサでの冬の気温は平均0〜マイナス13℃になる。西方や北方では、気温は氷点下数十℃までさがることもある。苦痛を増加させるために、拷問者は囚人たちを裸でたたせて冷水を浴びせることもある。独房のなかには、極端に寒くなるように「工夫」を凝らしているものもある。
熱にさらすことも頻繁に行われる。 親指に手錠をかけられるか、両手を背中で縛られて天井から吊らされる。これには尋問をともなうこともある。そのままの状態で、拷問者は火にあぶられ、赤唐辛子をくべられ、熱湯をかけられることもある。 赤唐辛子を火で焼くと、すさまじく弾け散り、その煙で眼が痛み呼吸が出来なくなる。 両手に手錠をかけられたまま熱い煙突に固定され、まる1日中、水も食べ物も与えられず放置される。焼けつくような煙突の熱で全身は水ぶくれ状態になる。 体にできた水泡から水が流れ落ち、全身の傷が極度の発汗のために痛む。
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植民地時代、原住民の虐殺と侵略は普通のことであり、我々大和民族も「アイヌ民族」を卑怯な手段で陥れ、また「インディアン」や「アボリジニ」に対しても同様の対処が為された。 マヤ民族に対しても、当時の「キリスト教会」が同様の手段を採った。 そして現在、ウイグル・チベット民族が、筆舌に尽くし難い艱難に遭い、思い出の郷里は切り刻まれ、「その民族そのもののアイデンティティー」が抹殺されようとしている。 そして、我々はこの現状を放置できるのか。 毛沢東は、「大家族の一員としてチベットを抱擁する」と言い、1950年、大虐殺を開始した。 初めは友好的に振る舞い、そのうち暴力的になる 既成事実を周到に積み重ね、不条理を条理とする これが彼らの常套手段だ。

「中国はいかにチベットを侵略したか」 マイケル・ダナム より
妻、娘、尼僧たちは繰り返し強姦されまくった。 特に尊敬されている僧たちは狙い打ちされ、尼僧と性交を強いられたりもした。 ある僧院は馬小舎にされ、僧たちはそこに連行されてきた売春婦との性交を強いられた。あくまでも拒否した僧のある者は腕を叩き切られ、「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑された。
大勢のチベット人は、熱湯を浴びせられ、手足を切断され、焼かれ、首を切り落とされ、馬や車で引きずり殺されていった。 アムドでは高僧たちが散々殴打されて穴に放り込まれ、村人はそのうえに小便をかけるように命じられた。さらに高僧たちは「霊力で穴から飛び上がって見せろ」と中共兵に嘲られ、挙句に全員射殺された。 おびえる子供たちの目の前で両親は頭をぶち抜かれ、大勢の少年少女が家から追われて 中共の学校や孤児院に強制収容されていった。 貴重な仏像は冒涜され、その場で叩き壊されたり、中国本土へ持ち去られていったりした。経典類はトイレットペーパーにされた。 僧院は馬や豚小屋にされるか、リタン僧院のように跡形もなく破壊されてしまった。リタン省長は村人の見守る中で拷問され、射殺された。 何千人もの村民は強制労働に駆り出されそのまま行方不明になっていった。 僧院長たちは自分の糞便をむりやり食わされ、「仏陀はどうしたんだ?」と中共兵に嘲られた。 1956年終わり頃までに、ほとんどの男は断種され、女性は中共兵に犯され妊娠させられていった。 ある村では25人の村人が人々の前で生きながら焼き殺され、また別の村では24人の親が子供を中共の学校へ行かせるのを拒んだ罪で目に釘を打ち込まれ虐殺された。
現在、強い国力を持った国の中で、仏教が主な宗教になっている国は日本だけである。 チベットの仏教寺院が砲撃され仏経典が焼かれ、仏僧が「仏経典なんぞ糞だ」と書かれた看板を首に吊るされ大衆の前で跪く光景を見て、悲しみと怒りを共有できる民族は、世界の中で我々大和民族しかいない。 日本人は チベットを救うために立ち上がる。真如苑 寒修行 KARA最新情報 口蹄疫 尖閣義士・sengoku38 GHQ 管直人 在日 斎藤佑樹 ルーピー 鳩山 蓮舫 仕分け 中国共産党 侵略 チベット 尖閣義士・sengoku38 ウイグル 民主党 口蹄疫 虐殺 尖閣諸島 テロ 管直人 AKB48 千葉景子 韓国 KARA 少女時代 ぺ・ヨンジュン

『雪の下の炎』
33年間の拷問と投獄、チベット僧パルデン・ギャツォの不屈の精神を描いたドキュメンタリー
第1回チベタン・フリーダム・コンサート、ビースティ・ボーイズ、ビョーク、オノ・ヨーコら豪華ミュージシャンとともに一人のチベット僧が平和を訴えた。 中国軍の侵攻に対しチベット民族が蜂起した1959年に、平和的なデモを行ったという「罪」で投獄されたチベット僧パルデン・ギャツォである。 想像を絶するむごい拷問を受けながら33年間を生き抜き、非業の死を遂げた同胞のため、現在も闘い続ける。
この映画は、パルデン・ギャツォの苦悩の人生を通してチベット問題を浮かび上がらせると同時に、
人間が持つ精神の計り知れない可能性を私たちに見せつける。
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★ チベットの今
毛沢東は、「チベットを支配するには仏教と仏教の指導者を徹底的に滅ぼせ」と言った。 植民地における同化政策とは、被支配地で 古来よりの伝統文化を断絶させ、支配国の社会文化制度を持ち込むことである。また、支配国から大量の移住を推し進め、被支配国の民族アイデンティティーを喪失させることである。 被支配民族の抵抗に対して武力を行使するだけではなく、巨額の国家財政を投入し、融和政策を採ることで、抵抗する力を失わせる。 最近、中共は、チベット支配の正当性として、「チベット人の生活が格段に向上した」ことを強調するが、その実態は、漢族の資本を強制投入し、安定していたチベット経済を根こそぎ壊し すべてを中国に依存させる改造計画である。
★ 掌以上の大きさの火傷の痕
2008年以降のチベットは、この20年あまりで最も恐ろしい状況にあるという。 あるチベット人は、漢人と同じ教育を受けた。一応共産党員でもある彼は政府関連の職を得ているが、しかし最近は毎朝出勤の際に「今晩、無事に家に帰って来られるだろうか」と不安がよぎるという。 チャイナモバイルに勤務していた1人の青年は、朝の通勤途上、武装警官が無抵抗の僧侶を幾度も烈しく殴打する光景に出くわした。 彼はこれを看過できず、「ひどいことはやめてください」と止めに入ったために逮捕されてしまった。 約2ヵ月後、彼は瀕死の状態で家族のもとに帰された。皮膚が真っ黒に焦がされた掌(手の平)以上の大きさの火傷の痕が、体中に幾つも残っている。 拷問を受けたチベット人の体験談では「タバコの火を押し当てられた」という話がよく出てくるが、まさか、手がスッポリ入るほどの真っ黒の穴が出来るまで皮膚を焼く、などという行為は、我々の想像の外である。 うつ伏せに寝かされた青年の臀部は、繰り返し殴られ焼かれたために、それが人の臀部だと分からないほど 皮膚のすべてが抉り取られ肉が剥き出しになっていた。 この仕業に憤(いきどお)りを覚えるのは当然だが、それ以上に、「これほどまでの残虐行為をやり抜ける者の神経とは一体どんな代物」なのか。それはもはや人間の有様では無い。 チャイナモバイルの青年と同じ目には遭わないまでも、こんなことがいつ自分の身に起きても不思議ではない、と30代エリートのチベット人は言う。彼らがチベット人である限り、中国、チベットのどこに居ても安全は無いのだ。
★ 現在のチベットは、国全体が「刑務所」と化している
現在では、チベット本土の情報提供者とのコンタクトは非常に取りづらくなっている。集落の至るところに監視員が居り、自分の家に出入りするにも尋問をされる。 通信はすべてモニターされている。 中国政府は、北京五輪のあと、2008年中に5万人以上のチベット牧畜民に対し「家を与える」との名目で強制移住を計画した。 美しく平和な郷里から強制移住させられた牧畜民たちは、中国政府が用意した「定住キャンプ」に暮らしている。 しかし、それは住宅というよりも、「刑務所」と呼ぶに相応しい、あまりにも殺風景な建物群だ。 もちろん、その中に暮らしているのは、素朴で善良無辜(むこ)な元牧畜民だちである。 そこには 学校はおろかバスさえ通っていない。 そして、移住に伴って土地も家畜も取り上げられた彼らには、「飢え」が現実として迫っている。 当然、病院も無いが、「酒だけは十二分に配給され」アルコール中毒者が増加している。 これは、米国政府がインディアンから土地を取り上げ、移住させ根絶やしにしようとしたやり方そのものであり、今でも、アメリカ・インディアンの中には、先天性アルコール中毒を患う人が少なくない。 米国がかつて犯した卑劣な手口を、中国が現代になって採用しているのだ。
★ 闘い続けるチベットのサムライ
国際社会は、中国の主張の真実を突き止め、いかなる虐殺もやめさせなければならない。そのために、日本政府は国連に、第三国による調査団の設置と派遣を提案すべきであるが、それに民主党はどう対処したのか。 2009.9 の胡錦濤との会談で 鳩山由紀夫は チベット問題について「内政の問題と理解している」と述べ、岡田克也は 2009.8「中国への内政干渉は控える」と述べた。日本は中国から「日本の英霊が眠る靖国神社への参拝」への内政干渉を散々やられておきながらのこの発言。しかも、この侵略がほんとうに内政の問題、で済む話ならあらためて「内政の問題だ」などという必要さえ無い。 ・・・これが、現在の大和民族の姿である。
2009.3 今は青海省と呼ばれているチベットのアムドで、若い僧侶が当局への抗議の目的で焼身自殺を図った。このとき、炎に包まれる僧侶を中国当局は銃撃した。 膝の辺りを打ち抜かれ、全身に火傷を負いながらも彼は一命を取り留め、病院に収容された。 数日後、医師に足の切断を勧められるが、彼はそれを頑なに拒んでいる。 焼身自殺を図ろうとしている人間を、「止めるどころか銃で撃つ中国当局の非道ぶりとチベット人弾圧の実態」を、「自身の体に残る痕をもって訴えるため」の治療拒否である。 チベットでは現在も、丸腰の同胞が 命を賭けた壮絶な闘いを展開している。

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世界は、チャイナマネーよりももっと、こういった問題に目を向け、包囲網を作って、中国の暴走に歯止めをかけるべきです。
今のうちに止めないと、本当に手が付けられない規模まで、中国の力は膨れ上がってしまいます。
僭越ですが、拙ブログの記事でこちらを引用させて頂き、トラックバックも併せてさせて頂きました。事後報告ですみません。
あと、先日教えて頂いた質問サイト、拝見しました。
並み居る発言者に対し、真っ向からあれだけの対応をされる一般人さん、本当に貴方は見事な論者です。
中にはかなり偏った発言者もいましたが、そんな相手にも真正面から語っておられましたね。
私も一般人さんくらい、毅然と持論を語れるようになりたいものです。
私も何か一言、と思ったものの、議論の迫力に圧倒されてしまい、到底発言できるものではありませんでした。
そもそも、私が見た時には、大方、意見は出尽くしていました……(汗)
ともあれ、勉強になりました。ありがとうございました。