欺瞞的善人の悲哀

欺瞞は汚いので消します。カレーはポークです。 この世の「最良の精神たち」よ さあ共に闘おう!

日の丸の旗のもとに

2015-09-27 15:54:33 | 日 本
大日本帝国

帝国(ていこく)とは、一般的には皇帝が支配する国家のことを指す。また、多数の民族を含む巨大な国家を指す場合もあり、この場合はかならずしも皇帝が支配する国を意味しない。 そして、帝国制なのか共和国制かよりもその「国家理念」が問われるべきであるとすればその体制はどちらでもよいことになるが、「大日本帝国」に関しては 世界で意見が分かれるところだろう。

軍国主義?侵略国家?日本は世界からそのように呼ばれ、非常に評判が悪いらしい。私たちはその「殺人者たち」の子孫なのだろうか。 「武士の情け」などという仁義は単なる飾りで、大和民族はほんとうは下劣な民族なのだろうか。大日本帝国軍は、中国や朝鮮、東南アジア諸国を侵略、植民地にし、南京では、無差別大虐殺を行った?そうである。


■民族抹殺統治  国定韓国高等学校歴史教科書より

わが民族は日帝の内鮮一体、日鮮同祖論、皇国臣民化のような荒唐無稽なスローガンのもとで、わが国の言葉と歴史を学ぶことができなかった。
また、皇国臣民の誓詞暗唱、宮城遥拝、神社参拝はもちろん、甚だしくは、われわれの姓名までも 日本式に変えるように強制した。
日帝はこれを拒否する人に対しては投獄、殺傷までも躊躇せず、このような政策に従わない宗教系統の学校は閉鎖された。



韓国や朝鮮は植民地ではなく、合法的に「併合」されたのであり、彼らは当時、奴隷ではなく日本人だった。 それでも大日本帝国はこのような「蛮行」?を行った故に、そこには十分な「謝罪と賠償」が求められるかもしれない。実際に、莫大な賠償と幾度もの謝罪を行っている。

2001年10月15日 - 小泉純一郎首相。「日本の植民地支配により韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに心からの反省とおわびの気持ちを持った」(略)

しかし、他の国家は、謝罪や賠償を行っていない。 たとえば G-8諸国(米英仏伊独加露)を初め、オランダ、スペイン、ポルトガル、ベルギーなど侵略国家は世界に数多くあるが、植民地に謝罪し補償金まで支払った国は、世界中で唯一「日本だけ」である。 香港は1999年にイギリスから中国に返還されたが、その際、あの「カツアゲを生業とする中国」でさえイギリスには金銭の要求していない。 つまり、『日本は国際的な慣例を知らなかったせいで、「努力して独立させてあげた」上に、なぜか賠償金まで支払った異常な国であり、本当に例外中の例外だ』と認識しなければならない。 戦争で植民地にすることは当時の法律で完全に合法だったので、実は払わないのが国際的な常識で、払う方が異常である。 このことから見ても、日本という国は本当に「馬鹿で親切な国」なのである。しかしでは何故 日本は、世界で、アジアで、嫌われているのだろうか?

『アジア』とは、 アフガニスタン アラブ首長国連邦 イエメン共和国 イスラエル イラク共和国 イラン インド インドネシア共和国 オマーン カタール カンボジア王国、 キプロス共和国 クウェート サウジアラビア王国 シリア シンガポール共和国 スリランカ民主社会主義共和国 タイ王国 大韓民国 朝鮮人民民主主義共和国(北朝鮮) 中華人民共和国 中華民国(台湾) トルコ共和国 日本 ネパール王国、 パキスタン バーレーン バングラデシュ人民共和国 東トルキスタン フィリピン共和国 ブータン王国 ブルネイ ベトナム社会主義共和国 マレーシア ミャンマー連邦 モルジブ共和国 モンゴル ヨルダン ラオス人民民主共和国 レバノン共和国

これら全ての国々のことであるとのこと。意外と多いと感じるのは、私たちの無知ゆえにだろう。 さてそれでは 「各国の日本の評価」を見て見よう。


タイ王国のこのアンケートでは「日本が好き96%」と「どちらでもない4%」である。 つまり、「嫌い」は「0%」である。 つい先日(2005.07)の世界女子バレーボール大会で 日本代表が韓国やアメリカと対戦した時も、会場はタイなのに まるでホームのような雰囲気で試合が行われたことは記憶に新しい。 

次にシンガポールをみてみよう。


シンガポールは華僑の多い国で、中国の影響も強い。 それゆえシンガポールの政府発言と中国政府の意見は“異様に似る”ことが多い。 にも関わらず最近の反日デモの後、バンドン会議の一環としてシンガポールのリー・クアンユー元首相は「今回のデモは中国当局が自己のパワーをどう使うかに関して未熟さと、不安定さを有していることを明示した」と批判し、間接的に日本を擁護した。 そして教科書には 日本がシンガポールを支配していたことが12ページに渡って記載されている国であるにも関わらず、このアンケートでは「94%」が日本を「好き」と答えている。 ・・・さて、日本はそんなに「良い国」なのだろうか。。。

★ゴー・チョクトン首相 「日本軍の占領は残酷なものであった。しかし日本軍の緒戦の勝利により欧米のアジア支配は粉砕され、アジア人は自分たちも欧米人に負けないという自信を持った。日本の敗戦後15年以内にアジアの植民地は全て解放された」(「諸君!」1993年7月号)

ちなみにサイパンや台湾などの南国では、天皇陛下に対してこんなことを言う人もいる。 「太平洋戦争がなかったならば、私は今でもあなたの臣下です」  同様に南国・パラオ共和国も台湾などと同様に親日傾向が強く、今も「日本人と一緒に戦った」ではなく「日本人として戦った」と言うのだという。

日本は第一次世界大戦後、国際連盟からパラオの委任統治を求められたため たくさんの移民を送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。だが、第二次世界大戦後にこの地域を占領したアメリカが 日本文化の影響を徹底的に破壊した。 学校の校庭にあった二宮金次郎像も引きずり降ろされ、毎朝村人が集まって日本海軍岡田中将から「この美しいパラオを一日も早く自分たちの手で治めるようにせよ」と訓示を受けた思い出の場所『南洋神社』も壊された。

パラオ人は大いに悲しみ、そしてアメリカ統治下でも勤勉の精神を教えてくれた日本人を心の中で敬い、日本統治時代が最もよかったと懐かしみ、後に南洋神社を再建させている。

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日本は各国への技術提供や経済援助などの国際貢献を続けているため 民間レベルでは嫌われる理由はほとんどない。 では、各国の国政に携わる人や、専門家たちはどう考えているのだろうか。 まずはインドネシアからみてみよう。

★モハメッド・ナチール元首相 「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。 大東亜戦争(太平洋戦争)は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです」 「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。 大東亜戦争はそういう戦いだったんです」

★ブン・トモ元情報相 「我々アジア・アフリカの有色民族はヨーロッパ人に対して何度となく独立戦争を試みたが全部失敗した。インドネシアの場合は、350年間も失敗が続いた。それなのに、日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。 我々は白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。 そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々がやらねばならなかった。そして実は我々の力でやりたかった」

★サンパス元復員軍人省長官 「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけで済むものではない」

当時、世界は白人のものだった。 アジアやアフリカの有色人種は数百年の戦いを経ても白人に勝てなかった。『アジア人』というだけでそれは「支配される側」に生まれたことを意味した。 その世界の構図を正面から戦って変えた国がこの小さな島国・日本だったのである。 彼らの祖父やその祖父もずっと勝てずに苦しみ続けた強敵を、颯爽と現われた同じアジアの日本軍が、彼らインドネシア人の目の前で討ち破ってみせた。 日本軍が歓迎されないわけがあろうか。 そして、インドネシアの独立宣言文を起草したスカルノ大統領、ハッタ副大統領は “独立を宣言をしたその日付”を1945年という西暦ではなく、「日本の協力なしには独立できなかった」という感謝の念を込めて 2605年という「皇紀」で記した。

次はマレーシアをみてみよう。

★ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員 「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。 しかも、マレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで 将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の 国語を普及させ青少年の教育を行ってくれたのです」

教育は、日本にとっては当たり前の行為だが、欧米の支配下に置かれた国は「鉛筆を買わされること」はあっても「自分たちで鉛筆を作る方法を教えてもらうこと」はなかった という。

「日本はインドネシア語の公用語を徹底して推進し、インドネシア国民としての連帯感を人々に植え付け、広域の大衆をインドネシアという国家の国民として組織した。とくに若者に民族意識を植え付け、革命の戦闘的情緒と雰囲気を盛り上げた。またPETA(ペタ)の革命における意義は大きく、これなくしてインドネシア革命はあり得なかった」 (ジョージ・カナヘレ『日本軍とインドネシア独立』)

★マハティール首相 「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。 まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。(中略)東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。 そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感に苛まれることはなくなった。 いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、日本が実際にそれを証明してみせた。もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。 (欧州・東アジア経済フォーラム 1992年10月14日)

ビルマ(ミャンマー)も日本を評価する国のひとつである。

★バーモウ初代首相 「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」 (バー・モウ博士著『ビルマの夜明け』より)

バーモウ初代首相は、戦争中は独立義勇軍で戦った。 その彼が、ビルマの独立宣言でなんと言ったか。

★同バーモウ首相 「約50年前、ビルマは3回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。 愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。 ビルマ人はアジアを統合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが、ついにこれを大日本帝国に発見せり。 ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり。(独立宣言書より)」

ビルマの首相が自ら全ビルマ国民に向けた独立宣言で このような日本への感謝を述べたのである。 ちなみにビルマでは3月27日の国軍記念日になると、全国のビルマ国軍を首都ヤンゴンに集結して盛大なパレードを繰り広げるのだが、そのパレードでは なんと日本の“軍艦マーチ”から演奏が始まる。 ビルマでは政府の高官からジャーナリストに至るまで口を揃えてこう言う。 「ミャンマー(ビルマ)が今日あるのは、日本のおかげです。 日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立をすることができた。 我々は深く日本に感謝しているのです」と。

次にインドをみてみよう。


★ネルーインド初代首相 「日本の勝利は私を熱狂させた。 私は新しいニュースを見るために毎日 新聞を待ち焦がれた。どんなに感激した事か。どんなにたくさんのアジアの少年、少女、そして大人たちが、同じ感激を体験した事か。 ヨーロッパの強国ロシアはアジアの国、日本に負けた。だとしたら、アジアはヨーロッパに勝てるかもしれない」

当時の白人たちの軍は「敗れることが想像できないほど」強かった。 それを撃破する日本の姿がアジアの人々に勇気を与えたのだ。ちなみに激戦地・コヒマでは日本兵が撃破したイギリス軍の戦車を今も『勇気のシンボル』として大事に保存している。 そしてその地に咲く可憐な花にも「ジャパニーズ・ソルジャーズ・フラワー(日本兵の花)」と日本の名が刻まれ、親しまれている。

では、フィリピンはどうだろうか。 日本では「フィリピンは反日」という認識がある。

■神風特攻隊はフィリピンで英雄だった (井上和彦「PHOTO & REPORT 神風特攻隊はフィリピンで英雄だった」より)

その中の一人が続けた。「フィリピンにも“英雄”はたくさんいます。ですから私達も神風特攻隊という日本の“英雄”をたいへん尊敬しています……」 引率の男性教師は、「こうした歴史教育を通して、子供達に国を守ることの大切さを知って欲しいのです」と語る。 私は学生達にもう一度訊いた。「君達は、カミカゼのパイロットを尊敬しているのですね」 屈託のない笑顔で皆は答えた。 「もちろんです! だってあの人達はヒーローですもの」

ちなみにフランスの教科書には「日本がアジアを開放した」
と書かれている。 また、立場上、日本に同調しづらいはずの オランダ政府高官でさえもこう言っている。

★サンティン・アムステルダム市長(現内務大臣) 「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。 日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。 自分を蔑むことを止め、その誇りを取り戻すべきであります」




パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗と似た月章旗を作り、自国の国旗にした。 ちなみにパラオの国定教科書では全462ページのうち36ページが日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルがつけられている。 日本の統治が終わった時にはパラオでも米国による反日教育が行われたが、年長者に「そんな話は無い」とあっさり否定され、浸透しなかった。 日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。 日本は圧倒的に不利だった。アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。しかしそれでも「アメリカの上陸作戦史上最高の損害比率」を出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。 最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

その戦いの甲斐あって最大激戦地・パラオ・ペリリュー島での民間人死傷者は「ゼロ」だった。 日本軍としては、「住民を戦火に巻き込んではならない」という配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ「夜間を利用して全員をパラオ本島に退避」させた。これが日本の「サムライ精神」である。 戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を 泣きながら埋葬した。 そして当時を知るパラオの長老たちは、今でも日本をこう呼ぶという。


「内 地」


 と 。


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このように、世界、アジア各国で大日本帝国は評されている。そこには、欧米諸国と同様に植民地政策や残虐行為を行ったとしても、尚、「余りある功績」がある。  では何故、「反日運動やデモ」が頻発し、継続され、帝国軍人の英霊が眠る「靖国神社参拝」が咎められるのか。 それは、それによって「得」をする国家や民が存在するからである。 反日活動をすることによって、それが特定の国家や民にとって 何らかの利益となるが故に、そこに反日の「存在理由」がある。
反日活動は、「経済活動」である。  

大日本帝国と日本国を貶めようとしているのは どの国かどのような勢力か!
そこにはどのような精神と仕組みが働いているか! それは、水面上水面下で、外部から内部から、着々と侵攻している! そしてそれにより、大日本は、今まさに沈もうとしている!



遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

大東亜戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は 代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。 「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!!!」

日本人は仲間だと思っていたのに……それは見せ掛けだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人 見送りに来ない。 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。 先頭では、あの隊長が笑顔で手を振っていた。

その瞬間、彼は悟ったという。 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだ、と……。



******************************************

パラオ共和国の神社に建設された碑(1994年建立)には、米軍提督の詩文とされる文字列が彫り込まれている。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」
米太平洋艦隊司令長官 C.W.ニミッツ


初出:2011-01-12 17:20:02

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4 Comments

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Unknown (蘭月)
2011-01-24 21:33:00
戦後日本は、すっかり自虐史観を刷り込まれてしまいましたが、それ「だけ」が真実の全てではありません。
一般的に語り伝えられている歴史は、戦勝国が自分達を正当化する為に作った。そんな側面も確かにあるのです。
しかし、今の日本人は、そんな当たり前のことすら忘れ、日本=悪という図式を鵜呑みにして、俯いてばかりです。
無論、日本に非がなかったとは言えないでしょう。日本の全てを正当化する気もありません。
しかし、日本が全て悪かったのだ、とする戦後教育は、根本的におかしいと思います。

日本が真に「悪」だったのなら、何故、中・韓・北を除くアジア諸国に、親日家がこんなにも存在するのか。
欧米人がアジアの黄色人種を差別し、奴隷扱いし、植民地化し、搾取してきた歴史は、どうして語られないのか。
一般的に語られている歴史は、全くフェアなものではありません。

しかし、このアンフェアな歴史を、一番の当事者である日本人が、鵜呑みにしている。
これは本当に嘆かわしいことです。一刻も早く変えていかなければなりません。


拙ブログでも、「日本は本当に悪か?」というテーマで記事を書きましたが、こちらの記事ともおおいに関連する内容にて、僭越ながらトラックバックさせて頂きました。
私達一人一人が、たとえ草の根レベルの活動だとしても、積極的に発信していかないといけませんね。頑張りましょう。
返信する
Unknown (一般人)
2011-01-25 23:25:35
ありがとうございます。 草の根レベルでも

やらないわけには参りません。 それが全てです。
返信する
Unknown (Unknown)
2011-02-23 03:06:35
★朴鉄柱(韓国 1990年 1月逝去・68歳, 韓国-日本文化研究所昭和 42年 10月)

「現在の日本の自分喪失は敗戦に起因しているが, 元々大東亜戦争は決して日本からの戦争ではなかった. 平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで臨んだ.それまで日本はアジアの盟主だった.最後はハル・ノートを受けて, それを承諾することは屈辱を意味した. ”事態ここに至る.争わないで滅亡するよりは, 争って滅亡しよう”と言うことが, 開戦時の心境だった.それは日本の武士道の発露だった.

日本の武士道は, 西欧の植民地勢力に必死的に抵抗した.それは大東亜戦争だけだけではなくて, 露日戦争もそうだった. 露日戦争と大東亜戦争-この日本の 2個の戦争が歴史を変えて, アジア諸国民の独立を持って来た.この意義は大きく強調しなければならない.」 「大東亜戦争で日本は負けたと言うが, 敗戦国は, むしろイギリスを始まりにする植民地を持った欧米諸国だった.彼らはこの戦争によって植民地をほとんど皆失ったじゃないか.戦争に勝ったのか負けたかは, 戦争目的を果したのか果さなかった, で決まる, と言うことはクラウゼビットの戦争論だ. 日本は戦闘に負けて戦争目的を果した.日本こそ戦勝国であり, 日本の戦争こそ, ”神聖な戦争”だった. ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたと言うが, このような事は直ちに回復することができたではないか.2百数十万人の戦死者は確かに帰って来ないが, しかし彼らは英霊として靖国神社に永遠に暮して, 国民尊崇対象になる.」   日韓共鳴2000年史 より

http://fujissss.exblog.jp/page/3/
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恩を返すとき (Unknown)
2011-04-11 23:26:01
「恩を返すとき」 北マリアナ・ロタ島で被災者受け入れへ
産経新聞 4月11日(月)21時36分配信  http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110411-00000656-san-soci

東日本大震災発生から1カ月が経過し、歴史的に日本とゆかりの深い北マリアナ諸島のロタ島で、震災被災者の受け入れ計画が進んでおり、現地のロタ市では島内の公営住宅やホテルで約200人を受け入れる意向だ。両親が日本の学校教育を受けた同市のメルチョ・メンディオラ市長(61)は産経新聞の取材に対し、「ロタ島の住民は日本人の先人から多くのことを学び、多大なる恩恵と教訓を受けた。いまが恩を返すときだ」と話しており、早ければ来週にも被災地を視察に訪れる。

ロタ島は東京から南南東に約2400キロ離れた米自治領北マリアナ諸島に位置し、年間平均気温27度の常夏の島で面積は約85平方キロメートル。チャモロ人ら約3000人が居住し、ゴルフやマリンレジャーなどで年間約5千人の日本人観光客が訪れる。大正3年から昭和20年までは日本が統治しており、学校や電気、水道などを整備。高齢者を中心に日本語を話すことができる住民は多い。

同市では、東京電力福島第1原子力発電所の放射能被害で一時避難を余儀なくされた住民や、津波被害で自宅を失った被災者らに対し住宅や食事面で支援を実施する。近く、受け入れのための準備室を設置し、滞在期間や費用面について関係者と協議を進めるとともに、メンディオラ市長が被災地を訪れ、日本の関係各機関と意見交換する意向を示している。

また、同市での被災者支援の動きをうけ、約100部屋を持つ市内の日系ホテルでは数十人の被災者受け入れを表明し、同市や現地ホテル協会などとの調整を開始。ロタ島はじめサイパン島やテニアン島を管轄する北マリアナ諸島自治政府でも滞在資格取得の支援や、ほかの島での受け入れが可能かどうかの検討を始めており、支援の輪は広がりを見せつつある。

メンディオラ市長は「日本人に対し心から敬意を抱いており、ロタの住民は被災者の方々を心から歓待したい気持ちであふれている」としている。海外での震災被災者受け入れの動きとしては台湾政府が、台湾島中部での長期滞在を検討している。 問い合わせは現地のロタ市長室((電)国番号1・670・532・9451)で、日本語での会話も可能。(岡嶋大城)
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