正直、あのときはおれ自身、その勇気がなかった。
もしかしたら、大どんでん返しがあるかもしれないという、ムダな期待を心の片隅に抱いていたということもあるかもしれない。
結局、なんちゃって牢屋で 正直、婦科檢查 あのときはおれ自身、その勇気がなかった。
もしかしたら、大どんでん返しがあるかもしれないという、ムダな期待を心の片隅に抱いていたということもあるかもしれない。なのだろうか。それともも、ただ単純に現実から逃避し、真っ白になっているだけなのだろうか。
兎に角、いまのおれは、勇気がある。自信をもっていえる。
『局長の最期を、しっかり見届けることができる』と・・・・・・。
副長は、どうだろうか。永倉と原田と島田は、どうだろうか。
局長は、穴にをさしだしたまま、微動だにしない。ぎりぎりみえる左半面は、瞼を閉じ、じつに穏やかなである。
ついさきほど、局長のことを散々悪くいってしまったが、それはおれの腹立ちまぎれの戯言である。
心から謝罪したい。
だ。も。いまはもう、鼓動も感じられない。
剣を握る俊冬と側に控える俊春は、どちらもそのは無機質でかたい。
かれらもきっと、真っ白な状態にちがいない。いいや。真っ白にしようと努力しているのかもしれない。
その俊冬の瞼が数秒とじられ、カッとみひらかれた。
『ひゅんっ!』
「二王清綱」の空を斬り裂くするどい音が、耳をうった。
局長の体が、バッテリーの切れた人形のごとく地面にくずれてゆく。それはもうゆっくりと。まるで映像をみているかのように、スローモーションで引力にひきよせられてゆく。
『どさっ』
地面に倒れた頸のない体。大量の血が、切断面から穴へと落ちていっているだろうか。
頭部は、穴の底に転がっているだろうか・・・・・・。
俊冬の手練は見事であった。
本物の横倉より、ずっとあざやかだったにちがいない。
近藤勇は、板橋の刑場にて斬首された。享年三十三歳。
おれは、またしても助けることができなかった。
このときになってはじめて、縄のことを思いだした。テンパったり憤ったり口惜しかったり悲しかったりと、感情の波にもまれまくっていた。そのせいばかりではないが、そのことをすっかり忘れてしまっていたのである。
そうだった。俊春が、すぐにでもほどけるように細工してくれていたのである。
握らせてくれた縄をひっぱってみる。どういう仕掛けなのか、するするとほどけはじめた。野村も同様に、いまになって思いだしたらしい。かれの体の縄も、おなじように上の方からするするほどけはじめている。
窮屈さと痛みからじょじょに解放されてゆく。同時に、血流がよくなり、血が頭のてっぺんから足の指先まで駆け巡りまくっている錯覚を抱く。
の状態は兎も角、おれは生きている。
不謹慎にも、心からそう実感してしまう。
俊冬は、「二王清綱」の刀身を俊春に水で清めてもらっている。
あれだけあざやかに斬ってのけたのだ。刀身に血糊はついていないかもしれない。
それでも、かれは弟に清めさせている。
俊春が刀身についた水気を懐紙で丁寧に拭き取ると、俊冬は「二王清綱」を鞘に納刀する。
そして、双子は局長の頸のない体のすぐ横に、並んで正座した。
野村と二人、局長の胴体にふらふらとちかづいてゆく。
見張りたちは、それに気がついたようだ。が、なにもいってこない。を地面にちかづけて。
おれも局長の亡骸にちかづこうと脚を動かすが、気がせくばかりでうまく動かすことができない。縛られて筵の上に長時間正座させられていたため、血流がよくなってもまだうまく動作できないのだ。
野村と二人で支え合い、しまいには這いつくばるようにして距離を詰めてゆく。
そのとき、亡骸をはさんだ向こう側で、土佐藩の立会人が叩頭するのがみえた。それから、視界のすみに、公卿が立った姿勢で上半身を折って深々と辞儀をし、長州藩の立会人が叩頭するのが映った。
それだけではない。見張りや護衛といった刑場内にいる兵士たちも、土下座して叩頭している。
そして、刑場の外では、見物人たちが掌を合わせ、それぞれが信仰する宗派の経を唱えている。
やっとちかづけた。野村とともに、叩頭する。
見物人たちのばらばらのお経が流れてくる。ばらばらであっても、唱えている対象はおなじである。もちろん、おれたちが叩頭する対象もである。
近藤勇にたいして、である。
近藤勇が、この場にいる全員に叩頭やらお経を唱えさせているのだ。
湿り気を帯びた土をみつめながら、
局長の亡骸の向こう側で、双子が同時に叩頭した。それこそ、地面をなめることができるほど、
おれは生きている。
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