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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

解明困難な真相もある

2012-10-08 10:39:16 | 考察

【現象と真相】・・・解明困難な真相もある。

 我々には、結果としての【現象】は目にすることは出来る。
だが、そこに働いた【力】を目にすることは出来ないし、
理解することもむずかしい。

 たとえば、或る人間の行動を【現象】として見ることは出来
ても、その人間のその時点の内面【知・情・意】を知ることは
容易ではないだろう。

 これが社会や国家(個人の寄り集まり)の大きなうねり・動
きとなれば、さらに混迷をきわめる。


 むしろ個人なら、その人間に行動・作為の動機なり、働いた
【力】(プラス要素・要因)、遠慮・不作為を招いた【影響力】
(マイナス要素・要因)なりを正直に告白(言語化)してもら
えば、それなりに理解することが可能かもしれない。

 しかし、社会や国家ともなれば、所属する個人個人の内面
【知・情・意】が異なるゆえに、『なぜ、あの時そうした・
そうなった』を明瞭に説明することが、非常に困難になるの
ではないか。

 これは過去の歴史においても、現在、どこかの国家がとる諸々
の政策についてもいえるのではないだろうか。→ 場合によって
は、永遠に真相不可知。

究極の哲学、思想

2012-10-03 20:31:17 | 考察

■究極の哲学、思想と考えられそうなのは・・・

ニーチェ・・・「少数者による、多数者に対する精神的支配」を暴いた

マルクス・・・「少数者による、多数者に対する経済的支配」を暴いた


 ・・・上記のことは、

 人類(知的生命)が、この地球上に誕生したのが、宇宙史上で初めて
ではないにしても。
 つまり・・・

(1)過去にもこの宇宙のどこかで誕生していたが、その後「滅亡」したか

(2)いまの地球上の人類(科学者たち)がそうしようと考えているように、
住処(すみか)を替え(太陽系または別の恒星系の惑星に移住して)、
その後裔を残しているとしても

(3)そして、仮りに、それが今地球に存在する人類だったとしても

 ニーチェやマルクスが考えた考察(哲学)が生まれる可能性は充分
考えられる。
 彼らの提唱・学説が、それほどに【普遍的】だと思われるからである。

現実と事実と真相と真実

2012-09-29 11:15:01 | 考察

 「現実」「事実」「真相」「真実」のなかで、どれがもっとも大切と考えるかと問われれば、大抵の人は「現実」と答えるのではないか。

 なぜなら、幸せと感じるのも不幸と感じるのも、自分の身の回りで起こり自分に直接関係する出来事によって心の針が振れるからである。

 たとえば、どこかの誰か知らない人が事件か事故で亡くなったとする。冷たい言い方をすれば、「自分とは直接、関係のない話だ」というふうに言ってしまえる。

 ところが、自分の親族や、友人や恋人が亡くなったら、どうだろう? 悲しみで心が張り裂けるのではないだろうか。
 個人においては、「現実」がもっとも重要なのだといえる。

●その次にどれを大事と思うかによって、人々は分かれるのではないか。

・「真実」をあげる人は、ロマンチスト、理想主義者、科学者、哲学者、あるいは宗教・信仰者。

・「事実」をあげる人は、ヒューマニスト、人道主義者、ボランテア、人権団体などか。

・「真相」をあげる人は、ジャーナリスト、弁護士、検事、事件の被害者家族などか。

 いずれにしても、「現実」の(自分に直接、関係する)生活の中でこそ、幸福の追求やら、欲求の充足が叶えられる以上、一番にあげられるのは「現実」ということになるのだと思う。

現実と事実の違い

2012-09-27 13:17:57 | 考察
 ●定義する
【現実】・・・自分の身の廻りで起こり、自分に直接関係する出来事。
【事実】・・・自分とは直接の関係はない出来事。

 ※地上世界で起こるすべての出来事は、そのどちらかである。


 ●すなわち
【現実】とは・・・・
 その人の”身辺で起こり、その人に直接関係する出来事”であり、
良い・悪い、好き・嫌い、真・偽にかかわらず、その人に直接的影
響を与える事柄であるゆえに「現実」と呼ぶ。

いっぽう、【事実】とは・・・・
 好む・好まざるに関わらず、その人が知ろうが知るまいが、時空
を超えて、つまり過去に起こった出来事や、現在(どこかの国の誰
かの身に)起こっている出来事をいうのである。

 そこで、【現実】という語句は、時間性(現在etc)を表わすのでは
なく、「自分自身に起こった出来事」のことだ、と捉えたほうが分り
やすい。 → 実存主義的哲学

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 そう考えれば、いままで生まれ死んでいった人の数だけ【現実】
があった、いま現在も人の数だけの【現実】がある、といえる。

 【現実】(自分自身に起こった出来事)以外は、【事実】
(善・悪、真・偽を問わず)と呼ぶのが、ふさわしいと考えている。

「いただきます」と「ごちそうさま」

2012-09-25 18:07:19 | 考察
 「いただきます」は、
生き物(動・植物)の”命(いのち)を頂きます"、

 「ごちそうさま」は、
料理・食事を作ってくれた人に対する感謝の”ごちそうさま”
ということ。

 また、細胞から成り立っている人間は、「細胞をもつ動植物を食べていく」
しかなく、人工的な飲料水やスナック菓子だけでは決して生き伸びることは
できない。