サンクリスタル高松という建物の中に、図書館、歴史資料館、菊池寛記念館、イベント会場があります。
29日(土)~、菊池寛記念館主催で、「没後99年、夏目漱石--漱石山房の日々--」という催しがはじまりました。
初日、9:30~ オープニングセレモニーがあります。

人から聞いて、「へー、そーなんだ」と思っていたのですが、別々の方から「オープニングセレモニーの後に、菊池寛のお孫さんである、菊池夏樹さんの講話があるので参加しませんか?」とお誘いいただき、行ってみることにしました。

前日、サンクリスタル高松を調べていて、「あれ? およそ20年前、むっちゃ近くで住んでいた」ということに気付きました。
そういや、ガラス張りの建物があったような?
いかに回りが見えてなかったか。
本当に自分にガッカリしました。
話しは戻って、駐車場はそんなに広くないようです。
停められないと困るので、ちょっと早く着くように出発したのですが……。
なんと! 施設が9時会館なのに、駐車場も9時にならないとゲートが開かないようなんです。
待ち車、私が2台目です。
まぁ、そんなこんなで、セレモニーが始まりました。

【菊池夏樹さんのごあいさつ風景】

【テープカットの風景】
「菊池夏樹さんのごあいさつ風景」写真の後ろに--漱石山房の日々--企画展示室の入り口が写っています。
セレモニーの後は、その展示室に移動しました。
「今日は入場無料です。しかも、係員が説明案内いたします」ということで、説明を聞きつつ観覧してきました。
もうちょっとゆっくり見たかったのですが、主行事の【菊池夏樹氏の講演会・近頃の小説のことなど】の時間が迫っていました。
●感想
「夏目漱石さん、いろいろ苦労が多かったんですね。しかも生まれたときから。そんな中で大成するなんて凄いです。けど49歳で亡くなるなんて。本当にお疲れ様でした」
階段で3階に降りると、パイプ椅子を並べただけの会場に、椅子の数以上の人が集まったようです。
部屋が、いっぱいいっぱいです。
さて、タイトル「夏目さんと菊池さん」。
ずうずうしくも、友だちのように書いてしまいましたが、この二人の関係の話が大きなテーマとなりました。
話しの流れを書き留めたので、覚書として残しておきます。
・菊池寛が、直木賞芥川賞を設立したのは……、
「誰であっても実力のある人が認められるべきである。実力さえあればデビューできるシステムを作りたかった」との思いから。
当時は、男女の差、地位の差が当然のごとくあり、デビューできる力があっても、その世界の実力者の後ろ盾がなければ、なかなかデビューに至らなかった。
菊池寛は、その分、とても苦労したので、自分の経験から文学賞を設立した。
↑
というものでした。
菊池寛は、東京高等師範学校→明治大学→早稲田大学→第一高等学校(現在の東大)といくわけです。
ここら辺で、夏目漱石、芥川龍之介、久米正雄らと、東大つながりでお互いを認識するようです。
東大在学中、とある友人が、自分のデート代を工面するために、他人のマントを失敬し、それを菊池寛に換金させるわけです。
盗んだものとは知らずに換金に行った菊池寛は、その事件に巻き込まれますよね。
その友人は、自分の父親に知られたら大変なことになるからと他言無用をお願いし、菊池寛はどうやらそれを律儀に守ったようです。
そんなこんなで東大から出され、次に行ったのは京都大学です。
凄い学歴です。
菊池寛が京都にいるとき、東京では夏目漱石を中心とし、芥川龍之介、久米正雄の作品品評がなされています。
距離的な弊害はもちろんあったわけですが、どうも、菊池寛の中には「自分は夏目漱石にあまり良く思われていないのでは?」と思う部分がなにやらあったようです。
後のはなしですが、菊池寛のパトロンであった成瀬家に、夏目漱石は手紙を出しているようです。
内容は、「芥川龍之介、久米正雄は頑張ってるよ。菊池寛は、うーんどうだろう? ボクのところに全然こないよ。作家以外の仕事が忙しいんじゃないの」というものだったと言います。
孫の夏樹さん曰く、「夏目漱石は写真で残っているように、ああいうインテリな感じ。芥川龍之介もかっこいいじゃありませんか。久米正雄もいい男だし。対して、菊池寛は、まぁ、はっきり言って見栄えはよくないですよね。そういうところも嫌いだったんじゃないですか」
↑
という話に落ち着きました。(^^;
なので、実力があっても、作家デビューをするきっかけがなかなか持てない人に、不条理を与えるのは酷ではないか? という思いで文学賞を作ったという話でした。
ついでに、夏って本が売れないそうです。
この2つの文学賞を継続させるにはお金が必要です。
それで、売上の下がる時期に文学賞をぶつけて、その選評を載せることで売れるようにしたそうです。
ちなみに、書き物の代金として「原稿料」というかたちと、「印税」というかたちがあります。
鬼平犯科帳の原稿料1枚が八千円だったそうです。
菊池寛の原稿料を今の金額に直すと、1枚25万~30万円になるそうです。
ここから『近頃の小説のことなど』のはなしに入ります。
文学賞の選者は9名。
○、△、×で選考するそうです。
○=「押します」1点
△=「誰かが押すなら、押してもいいかな」0.5点
×=「絶対にこれだけはイヤ」0点
この加算方式だそうです。
芥川賞の、羽田圭介さん、又吉直樹さん。
こういう2本のときの選考会は、賛否両論、分かれて荒れて、どうしようもないときが多いそうです。
「あ、これは意見がいろいろ出たうえでの選考だな」というのが、選評を読めばみなさんも分かりますよ。
(本当に分かるのかなぁ~?)
対して、今回の直木賞。
東山彰良の「流」
これは、満票、9点満点での受賞だったそうです。
あと、芸術というのは、生きていくには必須ではないけれど、創作という人間としての証のようなもの。
入り口は別々でも、大衆文学も純文学も書いてしまえば同じ文学。
純文学は自分のために書くようなもの。
大衆文学は人のために書くようなもの。
これらを考えながら書いていけば面白いんじゃないのか? って感じの話でした。
~~ 覚 書 以上 ~~
追記:
ちょっと前の新聞に、ラブレターが見つかったと書かれた菊池寛。
BL・やおい好きの私としては、そのあたりの話も聞きたかったが、お孫さんからその話を聞こうとするのは、やっぱり失礼だし酷ですよね。
本当に以上です。m(__)m
29日(土)~、菊池寛記念館主催で、「没後99年、夏目漱石--漱石山房の日々--」という催しがはじまりました。
初日、9:30~ オープニングセレモニーがあります。

人から聞いて、「へー、そーなんだ」と思っていたのですが、別々の方から「オープニングセレモニーの後に、菊池寛のお孫さんである、菊池夏樹さんの講話があるので参加しませんか?」とお誘いいただき、行ってみることにしました。

前日、サンクリスタル高松を調べていて、「あれ? およそ20年前、むっちゃ近くで住んでいた」ということに気付きました。
そういや、ガラス張りの建物があったような?
いかに回りが見えてなかったか。
本当に自分にガッカリしました。
話しは戻って、駐車場はそんなに広くないようです。
停められないと困るので、ちょっと早く着くように出発したのですが……。
なんと! 施設が9時会館なのに、駐車場も9時にならないとゲートが開かないようなんです。
待ち車、私が2台目です。
まぁ、そんなこんなで、セレモニーが始まりました。

【菊池夏樹さんのごあいさつ風景】

【テープカットの風景】
「菊池夏樹さんのごあいさつ風景」写真の後ろに--漱石山房の日々--企画展示室の入り口が写っています。
セレモニーの後は、その展示室に移動しました。
「今日は入場無料です。しかも、係員が説明案内いたします」ということで、説明を聞きつつ観覧してきました。
もうちょっとゆっくり見たかったのですが、主行事の【菊池夏樹氏の講演会・近頃の小説のことなど】の時間が迫っていました。
●感想
「夏目漱石さん、いろいろ苦労が多かったんですね。しかも生まれたときから。そんな中で大成するなんて凄いです。けど49歳で亡くなるなんて。本当にお疲れ様でした」
階段で3階に降りると、パイプ椅子を並べただけの会場に、椅子の数以上の人が集まったようです。
部屋が、いっぱいいっぱいです。
さて、タイトル「夏目さんと菊池さん」。
ずうずうしくも、友だちのように書いてしまいましたが、この二人の関係の話が大きなテーマとなりました。
話しの流れを書き留めたので、覚書として残しておきます。
・菊池寛が、直木賞芥川賞を設立したのは……、
「誰であっても実力のある人が認められるべきである。実力さえあればデビューできるシステムを作りたかった」との思いから。
当時は、男女の差、地位の差が当然のごとくあり、デビューできる力があっても、その世界の実力者の後ろ盾がなければ、なかなかデビューに至らなかった。
菊池寛は、その分、とても苦労したので、自分の経験から文学賞を設立した。
↑
というものでした。
菊池寛は、東京高等師範学校→明治大学→早稲田大学→第一高等学校(現在の東大)といくわけです。
ここら辺で、夏目漱石、芥川龍之介、久米正雄らと、東大つながりでお互いを認識するようです。
東大在学中、とある友人が、自分のデート代を工面するために、他人のマントを失敬し、それを菊池寛に換金させるわけです。
盗んだものとは知らずに換金に行った菊池寛は、その事件に巻き込まれますよね。
その友人は、自分の父親に知られたら大変なことになるからと他言無用をお願いし、菊池寛はどうやらそれを律儀に守ったようです。
そんなこんなで東大から出され、次に行ったのは京都大学です。
凄い学歴です。
菊池寛が京都にいるとき、東京では夏目漱石を中心とし、芥川龍之介、久米正雄の作品品評がなされています。
距離的な弊害はもちろんあったわけですが、どうも、菊池寛の中には「自分は夏目漱石にあまり良く思われていないのでは?」と思う部分がなにやらあったようです。
後のはなしですが、菊池寛のパトロンであった成瀬家に、夏目漱石は手紙を出しているようです。
内容は、「芥川龍之介、久米正雄は頑張ってるよ。菊池寛は、うーんどうだろう? ボクのところに全然こないよ。作家以外の仕事が忙しいんじゃないの」というものだったと言います。
孫の夏樹さん曰く、「夏目漱石は写真で残っているように、ああいうインテリな感じ。芥川龍之介もかっこいいじゃありませんか。久米正雄もいい男だし。対して、菊池寛は、まぁ、はっきり言って見栄えはよくないですよね。そういうところも嫌いだったんじゃないですか」
↑
という話に落ち着きました。(^^;
なので、実力があっても、作家デビューをするきっかけがなかなか持てない人に、不条理を与えるのは酷ではないか? という思いで文学賞を作ったという話でした。
ついでに、夏って本が売れないそうです。
この2つの文学賞を継続させるにはお金が必要です。
それで、売上の下がる時期に文学賞をぶつけて、その選評を載せることで売れるようにしたそうです。
ちなみに、書き物の代金として「原稿料」というかたちと、「印税」というかたちがあります。
鬼平犯科帳の原稿料1枚が八千円だったそうです。
菊池寛の原稿料を今の金額に直すと、1枚25万~30万円になるそうです。
ここから『近頃の小説のことなど』のはなしに入ります。
文学賞の選者は9名。
○、△、×で選考するそうです。
○=「押します」1点
△=「誰かが押すなら、押してもいいかな」0.5点
×=「絶対にこれだけはイヤ」0点
この加算方式だそうです。
芥川賞の、羽田圭介さん、又吉直樹さん。
こういう2本のときの選考会は、賛否両論、分かれて荒れて、どうしようもないときが多いそうです。
「あ、これは意見がいろいろ出たうえでの選考だな」というのが、選評を読めばみなさんも分かりますよ。
(本当に分かるのかなぁ~?)
対して、今回の直木賞。
東山彰良の「流」
これは、満票、9点満点での受賞だったそうです。
あと、芸術というのは、生きていくには必須ではないけれど、創作という人間としての証のようなもの。
入り口は別々でも、大衆文学も純文学も書いてしまえば同じ文学。
純文学は自分のために書くようなもの。
大衆文学は人のために書くようなもの。
これらを考えながら書いていけば面白いんじゃないのか? って感じの話でした。
~~ 覚 書 以上 ~~
追記:
ちょっと前の新聞に、ラブレターが見つかったと書かれた菊池寛。
BL・やおい好きの私としては、そのあたりの話も聞きたかったが、お孫さんからその話を聞こうとするのは、やっぱり失礼だし酷ですよね。
本当に以上です。m(__)m