daddy-kのいきあたりばったりⅡ

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レット・ミー・ビー・ゼア/マイク・サムズ

2023-02-05 | 音楽つれづれ

オリビア・ニュートン・ジョンは、「カントリー・ロード」とか、「ジョリーン」など、カントリー系のカバー曲でヒットを飛ばし、オリジナル以上の人気を集めていた記憶があります。とは言っても、70年代初め頃から私はポップスを離れ、ソウルとかルーツ・ミュージックに興味が移り、彼女の歌はラジオから流れるのを聞き流す程度だったのですが。

その中で気にいったのが「レット・ビー・ミー・ゼア」で、サビの部分で絡んでくるベース・パートが、カントリー・ゴスペルっぽい香りをさせるのが好きで。

特に後半で転調し、スネアとハンド・クラップだけのアカペラで歌われるところが良いですね。これを聞いてイギリスのポップスもやるなぁと、新鮮に感じたものです。

これは73年の彼女初のビルボード・トップ10入曲で、年間HOT100が26位、ゴールド・ディスクとなった彼女の出世作。日本盤は翌74年にこの曲に71年の実質的デビュー曲「イフ・ナット・フォー・ユー」がカップリングされて、今日2月5日の発売でした。

その頃は、このベースを歌っているのが誰か知らなかったのですが、ネット情報が多く集まる時代となり、これがマイク・サムズ(Mike Sammes)と言う事を知ったのが最近…と言うか、イギリスのポップスに疎い私は、名前を聞くのも初めてだったのですが。

彼はイギリスで多くのレコーディングに参加し、ビートルズの後期の何曲かでもバッキング・ヴォーカルで参加したそうで、ウィキペディアの記載を見る限り、ビーチ・ボーイズのマイク・ラブ的な役割を果たしていたのかな?などとも思うのですが。

 

「Let Me Be There」ではマイク・サムズがソロで参加しているようですが、50年代末にマイク・サムズ・シンガーズを結成し、人気コーラス・グループとなっていて、レコーディングでも広く活躍し、ヘレン・シャピロの「夢みる恋」のバックも彼らだそうで、イギリスのあの時代のドリーミー・ポップスを、しっかりと支えてくれていたのですね。

グループでのアルバムも何枚かあるようで、ネットで聞く限りは、レイ・コニフ・シンガーズに、「レ・ミラディス」のおキャンな感じをミックスしたサウンド…のようにも感じられ、なかなか心地よく聞く事が出来ました。

 

マイク・サムズさんは他にも、O.N.ジョンの「Banks of the Ohio」でもバッキングを担っているそうで、この曲は先にジョーン・バエズの所で書いた「オハイオの岸辺で」と同じ曲、この曲やディランの「イフ・ナット・フォー・ユー」、初期のカントリー系のカバー曲を聞く限り、カントリー系歌手を指向していたのですね?

その手のポジションは後に、「デルタの夜明け」で大ヒットを飛ばすタニヤ・タッカーなど本場の歌手に持っていかれますが、O.N.ジョンはまた別な方向を目指して成功を収め、スターとなっていったのですが。

 

■ 以上、聞きたい365日 第337話でした。



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