豊橋⇔名古屋

豊橋と名古屋の「駅」や「百貨店」の記録など。

金の柱・銀の柱

2015年01月23日 | 国鉄名古屋駅

1960年(昭和35年)4月16日、名古屋駅の定番待ち合わせスポット「大時計の下」の混雑解消のため、
中央コンコースの柱2本にそれぞれ金・銀の装飾を施し、新たな待ち合わせスポット「金の柱」「銀の柱」として指定。
現在の「金の時計」「銀の時計」のルーツでもあります。


1978年(昭和53年)の構内図に描かれた「金の柱」と「銀の柱」。


1980年頃の中央コンコース。手前から4本目に「金の柱」が見えます。


現在の中央コンコース。手前から4本目の柱が、かつての「金の柱」。


一方、「銀の柱」があったのは、現在の「JR東海ツアーズ」前。
構内図から推測すると、桜通口側から数えて9~10本目の柱だと思われます。

「金の柱」「銀の柱」は、コンコース改修工事のため、1980年(昭和55年)に廃止されました。

早川浴場④~浴室

2012年11月18日 | 国鉄名古屋駅

開業当時(1937年)の構内図。

28は早川浴場フロント。浴室があったのは36あたり。 ※36は北地下街の上を通る降車通路(現在の北通路)を表しています。


現在の北通路は3・4番線までですが、セントラルタワーズへの建て替え以前は1・2番線まで続いており、その直下に浴場がありました。


現在の1.2番ホーム階段下、桜通口改札を入ってすぐのこの開けたスペースが、かつての浴室あたり。

南に男湯(定員70~72人)、北に女湯(定員16~20人)。
それぞれ大きな浴槽が1つずつで、壁には富士山のタイル画が描かれていたそうです。


NHK「アノコロTV」から。



中京テレビ「NAGOYA-DAGAYA」から。

早川浴場③~理髪店・クリニーニング店

2012年11月13日 | 国鉄名古屋駅

開業当時(1937年)の構内図。

26…理髪店
17…トイレ
27…洋服プレス(クリーニング)
28…浴場



現在。地下コインロッカーの中ほど~奥がかつての理髪店(図-26)あたり。


理髪店。1988年(昭和63年) ※中京テレビ「NAGOYA-DAGAYA」から



さらに奥に行くと扉があります。


扉の先を進むと、かつての浴場フロント(図-28)あたり。 ※扉の先は一般人は立ち入り禁止。


かつての浴場フロント。 1980年(昭和55年)


1986年(昭和61年)



1988年(昭和63年) ※CBC映像ライブラリーから



併設のクリーニング店。 ※中京テレビ「NAGOYA-DAGAYA」から

早川浴場②~歴史

2012年11月10日 | 国鉄名古屋駅

1937年(昭和12年)の名古屋駅開業当時からあった、構内浴場の「早川」。

蒸気機関車のすすで汚れたり、夜行列車の長旅に疲れた乗客が利用していました。
1950年前後には1日1000人を超す利用客でにぎわいましたが、新幹線の開通や夜行列車の減少によりその数は1日50人にまで減少。
時代の流れには逆らえず、名古屋駅解体前の1991年(平成3年)11月に廃業。

※写真は廃業前の休業を伝える看板と浴室


「早川浴場」のさらに詳しい記録↓


【誕生期】

1937年(昭和12年)…………浴場開業。
入浴中にはプレス(衣類のシワとり)のサービスも。

また、浴場の隣には理容室を併設。


【全盛期】

1950年(昭和25年)前後……利用客が1日1000人を突破。

1953年(昭和28年)…………クリーニングサービス開始。
機関車のすすで汚れたシャツのエリも真っ白に。

また、隣接する理容室では美容(パーマ)サービスも開始。

1955年(昭和30年)…………浴場の改築。

昭和30年代の営業時間は、午前5時~午後11時。


【衰退期】

1964年(昭和39年)以降……新幹線の開通や夜行列車の減少により利用者の数は次第に減少。

それにともない、営業時間も徐々に短縮。
1973年(昭和48年)…………午前5時半~午後10時。
1980年(昭和55年)…………午前6時~午後9時半。
1986年(昭和61年)…………午前6時~午後8時。 ※入浴料はタオルセットで390円。

1991年(平成03年)…………午前7時~午後2時。

晩年の利用者数は、1日わずか50人ほど。

早川浴場①~早川通路

2012年10月18日 | 国鉄名古屋駅

開業当時(1937年)の構内図。

東海道3等待合室(9)の間には、「北地下街」へ通じる通路(16)がありました。
通路先の北地下街には「早川」の経営する理髪店や浴場があった事から、この通路は「早川通路」と呼ばれていたようです。


通路入口の様子が描かれた絵。 1986年(昭和61年)
当時は通路の両サイドに2軒ずつ・計4軒の売店。



通路入口の看板と売店。 ※CBC映像ライブラリーから



現在の早川通路入口。
「GRAND KIOSK」と「JR東海ツアーズ」の間、「忘れ物承り所」の案内表示が目印。


扉の先は一般人は立ち入り不可ですが、右に折れ曲がる通路が変わらず残っています。



通路の先、地下街へ下る階段。 1991年(平成3年)


地下の頭上看板。 ※CBC映像ライブラリーから



1988年(昭和63年) ※中京テレビ「NAGOYA-DAGAYA」から

構内図 1987年(昭和62年)

2012年06月06日 | 国鉄名古屋駅

1987年(昭和62年)の構内図。


東側の駅ビル部分。


1985年(昭和60年)、南出札の券売機が反対側の北出札に移転。
南出札跡には「旅行センター」が駅長事務室隣から移転。
これに合わせて「みかど食堂」が近鉄通路沿いに移転。跡地は旅客事務室に。


1974年(昭和49年)、北口に新たなバスターミナル(名古屋ターミナルビル)が開業。


中央コンコース。

1985年(昭和60年)に郵便局が廃止され「中央出札室」が開設。


西口。


西口南側にあった「団体待合室」は、北側に移転。

待ち合わせスポットだった「壁画」は、コンコース改修工事のため1989年(平成元年)に撤去。

構内図 1970年(昭和45年)

2012年06月03日 | 国鉄名古屋駅

1970年(昭和45年)の構内図。


1967年(昭和42年)、中央口に「みどりの窓口」が開設。大時計下には列車発車案内用のテレビモニターを導入。
1969年(昭和44年)には「南口」が開業。


1960年(昭和35年)、中央コンコースの柱2本にそれぞれ金・銀の装飾を施し、待ち合わせの目印「金の柱」「銀の柱」に指定。
1968年(昭和43年)、第一待合室跡に、日本初の「旅行センター」が開設。第二・第三待合室が合併。
1969年(昭和44年)、旅行センター内に「万博コーナー」開設。


1964年(昭和39年)の西口開業と同時に設置された「壁画」前は、待ち合わせの定番スポットに。


1967年(昭和42年)、西口南側に「西改札口」「団体待合室」「旅路の会」が開設。

構内図 1966年(昭和41年)

2012年06月02日 | 国鉄名古屋駅

1966年(昭和41年)の構内図。


東側の駅ビル部分。


北口(降車口)前には、国鉄バス発着場が開業。


続いて中央コンコース。

1955年(昭和30年)、当時の食堂車を経営していた「日本食堂」の食堂が、南地下街から裏口出札室跡に移転。

1960年(昭和35年)、分かれていた東海道線改札口、中央・関西線改札口を全線共通改札口に。
それぞれ「東改札口」「西改札口」に改称。

また、客車の3等級制から2等級制への移行に伴い、等級による待合室の振り分けは廃止に。
東海道線3等(現在の普通車)待合室は第1・第2待合室、
全線1等・2等(現在のグリーン車)待合室は第3待合室に。
中央・関西線3等待合室は「みどりの窓口」に。 ※みどりの窓口の開設は1965年


1964年(昭和39年)に開業した新幹線コンコース。


乗/降車通路には新幹線⇔在来線の乗り換え口が開設。

乗車通路下を通る南地下街は新幹線駅下まで延長。(現在の駅麺通り部分)
降車通路下を通る北地下街の延長は無し。

3代目名古屋駅舎

2012年05月23日 | 国鉄名古屋駅

1937年(昭和12年)、名古屋駅は現在地へ移転。

写真中央は、建設中の3代目駅舎とホーム。左下・2代目駅舎との位置関係がよく分かる1枚。


地上5階(一部6階)地下2階。
鉄筋コンクリート造りの堂々とした3代目駅舎は、完成当時「東洋一の駅舎」と呼ばれました。

写真は完成直後、駅前の旧線を走る機関車。