豊橋⇔名古屋

豊橋と名古屋の「駅」や「百貨店」の記録など。

名豊ビル②

2012年04月21日 | 名豊ビル

いつの間にか名豊ビルの2~4階が封鎖されていました。
おととし~昨年にかけてテナントの撤退が相次ぎ、2階より上はほぼ空きビル状態だったので「やはり」という感じですが…
2~4階で最後まで残っていたテナントは、2階の婦人雑貨「アンの部屋」と4階の「ヴィレッジヴァンガード」の2店。
「ヴィレッジヴァンガード」は2月に閉店セールをやっていたそうです。

東田園

2012年04月18日 | 東田遊郭

1952年(昭和27)、旧東田遊郭のすぐ隣に「東田園」の名で遊郭が復活。




周囲から遮断するように作られた町割りは現在も変わらずそのまま残っており、
上空から見ると一目瞭然。




1957年に(昭和32年)に施行された売春防止法のため、遊郭は消滅しますが、
建物はそのまま残り、現在も旅館や料亭として営業しています。

東田遊郭

2012年04月12日 | 東田遊郭

1910年(明治43年)、札木・上伝馬町にあった遊郭が東田へ移転。「東田遊郭」が誕生。
※地図は市電が開業した1925年(大正14年)のもの。

東田遊郭の主人が市電の開業資金の一部を出資した事から、終点が東田になったそうです。


こちらは現在の東田付近。
中央オレンジ色の「吾妻町」が旧遊郭街。

正方形に整備された町割りは、現在でもまったく変わらず残っています。


東西を走るメインストリート。遊郭入口の大門付近から。 ※明治後期~大正前期


現在。同じ位置から。


こちらはおそらく南北に走る通り。


現在でも所々に古い建物があり、遊郭時代の面影を感じる事ができます。




遊郭時代は50軒を超える妓楼があったそうですが、終戦前年の1944年(昭和19年)、
軍隊や軍需工場員の「宿舎の資材」として建物が徴用されてしまい、東田遊郭は終焉。
戦後は引揚者向けのバラック住宅街となったそうです。