豊橋⇔名古屋

豊橋と名古屋の「駅」や「百貨店」の記録など。

東田園

2012年04月18日 | 東田遊郭

1952年(昭和27)、旧東田遊郭のすぐ隣に「東田園」の名で遊郭が復活。




周囲から遮断するように作られた町割りは現在も変わらずそのまま残っており、
上空から見ると一目瞭然。




1957年に(昭和32年)に施行された売春防止法のため、遊郭は消滅しますが、
建物はそのまま残り、現在も旅館や料亭として営業しています。

東田遊郭

2012年04月12日 | 東田遊郭

1910年(明治43年)、札木・上伝馬町にあった遊郭が東田へ移転。「東田遊郭」が誕生。
※地図は市電が開業した1925年(大正14年)のもの。

東田遊郭の主人が市電の開業資金の一部を出資した事から、終点が東田になったそうです。


こちらは現在の東田付近。
中央オレンジ色の「吾妻町」が旧遊郭街。

正方形に整備された町割りは、現在でもまったく変わらず残っています。


東西を走るメインストリート。遊郭入口の大門付近から。 ※明治後期~大正前期


現在。同じ位置から。


こちらはおそらく南北に走る通り。


現在でも所々に古い建物があり、遊郭時代の面影を感じる事ができます。




遊郭時代は50軒を超える妓楼があったそうですが、終戦前年の1944年(昭和19年)、
軍隊や軍需工場員の「宿舎の資材」として建物が徴用されてしまい、東田遊郭は終焉。
戦後は引揚者向けのバラック住宅街となったそうです。

東雲通り

2012年03月27日 | 東田遊郭

昔の路線図(東田坂上~本社前~東田)。


東田坂上の坂を下る市電。(1960年)
まだ道路は舗装されておらず、砂ぼこりが舞っています。手前左の線路は、旧東田駅・車庫へ通じる旧線。


現在・同じ位置から。奥の民家は変わらず。


こちらが旧線が通っていた東雲(しののめ)通り。
道幅が狭かったため、道路脇の側溝を埋めて敷設の許可を得たそうです。


東雲通りを行く市電(東田坂上~本社前) 1960年


現在、同じ位置から。



右手の建物(雑貨屋のニエ)は、この後取り壊されました。


この他にも、東雲通りには築50年を超えていそうな古い店舗や民家が多数残っていますが、
徐々に取り壊し・建て替えが進んでいます。


旧本社社屋(1936年)
右奥は東田車庫。本社は戦後に移転しましたが、建物はその後も女子職員の寄宿舎としてしばらく利用されたようです。


東田車庫(昭和30年代)
1960年に赤岩口へ移転。


移転後は豊鉄バスの車庫→1985年頃に駐車場に。
奥に見えるのは藤ノ花女子高校。


現在はスギ薬局(2000年~)


東田車庫へ入庫する市電。


現在、同じ位置から。


終点の旧東田駅があった場所は、現在の「東京堂薬局」前あたり。
1950年に現在の場所へ移転。


旧東田駅のすぐ先にある交差点。
ここを渡った先には遊郭があり、入口は「大門」と呼ばれていました。