名指揮者、ロリン・マゼール氏が2014年7月13日に亡くなりました。享年84歳。
私がクラシックを聴き始めた頃、「'77 指揮者のすべて~カラヤンと世界の名指揮者」という本を元にレコードをコツコツ集めました。
当時はカラヤンとバーンスタインが二大巨頭で、それに続くのがベーム、ムラヴィンスキー、オーマンディ等々。
小澤征爾、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、ズービン・メータ、そしてマゼールは次世代を担う注目の若手、新進気鋭の強者達という位置づけでした。
時は過ぎ、カラヤンとバーンスタインは鬼籍に入り、注目の若手達が巨匠となり、更なる次世代にバトンを渡す今日となりました。
クラシック界に求められる音楽もその時代により異なってくると思われますが、昔は音楽内容の充実、現在はパフォーマンスとしてのインパクトに重点が置かれているような気がします。
歌舞伎で云えば「外連」でしょうか。
私はいぶし銀タイプのワルターやベームが好きでした。
現在はオーディオの質がよくなり、「音楽」より「音」にこだわっている自分に気づいて驚くことがあります。
自分自身も時代に染まっているようです(苦笑)。
■ 世界的指揮者ロリン・マゼール氏死去
(Billboard Japan 7月14日)
指揮者や作曲家として世界的に活躍するロリン・マゼール氏が肺炎の合併症のため、米バージニア州の自宅で7月13日に84歳で死去した。
マゼール氏は、1930年パリ生まれのアメリカ人。8歳で指揮者として初舞台を務め、1953年にイタリアのマッシモ・ベリーニ劇場でヨーロッパ・デビューを飾った。1960年にはアメリカ人として初めてバイロイト音楽祭で指揮をし、その後もベルリン・ドイツ・オペラ芸術監督兼首席指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽総監督、クリーブランド管弦楽団音楽監督、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督などを歴任した。日本では1963年以降、何度も来日しており、2013年にはミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日公演を行った。
今回の訃報に際し、指揮者の小澤征爾氏は、「マゼールさんの突然の訃報に驚いています。ブザンソンのコンクールで私が賞を受けた時以来の付き合いです。 アバド、メータ、ムーティや私の世代で、一番のトップを走っていたのがマゼールさんでした。 さびしいです。」 と、コメントしている。
私がクラシックを聴き始めた頃、「'77 指揮者のすべて~カラヤンと世界の名指揮者」という本を元にレコードをコツコツ集めました。
当時はカラヤンとバーンスタインが二大巨頭で、それに続くのがベーム、ムラヴィンスキー、オーマンディ等々。
小澤征爾、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、ズービン・メータ、そしてマゼールは次世代を担う注目の若手、新進気鋭の強者達という位置づけでした。
時は過ぎ、カラヤンとバーンスタインは鬼籍に入り、注目の若手達が巨匠となり、更なる次世代にバトンを渡す今日となりました。
クラシック界に求められる音楽もその時代により異なってくると思われますが、昔は音楽内容の充実、現在はパフォーマンスとしてのインパクトに重点が置かれているような気がします。
歌舞伎で云えば「外連」でしょうか。
私はいぶし銀タイプのワルターやベームが好きでした。
現在はオーディオの質がよくなり、「音楽」より「音」にこだわっている自分に気づいて驚くことがあります。
自分自身も時代に染まっているようです(苦笑)。
■ 世界的指揮者ロリン・マゼール氏死去
(Billboard Japan 7月14日)
指揮者や作曲家として世界的に活躍するロリン・マゼール氏が肺炎の合併症のため、米バージニア州の自宅で7月13日に84歳で死去した。
マゼール氏は、1930年パリ生まれのアメリカ人。8歳で指揮者として初舞台を務め、1953年にイタリアのマッシモ・ベリーニ劇場でヨーロッパ・デビューを飾った。1960年にはアメリカ人として初めてバイロイト音楽祭で指揮をし、その後もベルリン・ドイツ・オペラ芸術監督兼首席指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽総監督、クリーブランド管弦楽団音楽監督、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督などを歴任した。日本では1963年以降、何度も来日しており、2013年にはミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団とともに来日公演を行った。
今回の訃報に際し、指揮者の小澤征爾氏は、「マゼールさんの突然の訃報に驚いています。ブザンソンのコンクールで私が賞を受けた時以来の付き合いです。 アバド、メータ、ムーティや私の世代で、一番のトップを走っていたのがマゼールさんでした。 さびしいです。」 と、コメントしている。