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私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

レオポルド・ストコフスキー

2012年09月23日 | クラシック
 ストコフスキーの1950年代の録音を最近よく見かける廉価なボックス・セットで聴きました。
 リマスタリングしていると思われますが、まあ音質はそれなり。
 でもかえってその霧がかかったような鄙びた響きに懐かしさがこみ上げてきました。中学生の頃、叔母からもらった分厚いSP盤(78回転)を繰り返し聴いた記憶が甦ってきたのです。

 ストコフスキーはフィラデルフィア管弦楽団を育てたことで有名ですが、クラシック音楽をポピュラー化した功労者でもあります。
 ディズニー映画の「ファンタジア」の音楽も担当しました。
 器楽曲をオーケストラ用にアレンジし、やや過剰とも取れる演出で人々の心をつかみました。その指揮振りはカクカクしてロボットのようにも見えました。
 彼は長寿(1882 - 1977)で、確か100歳まで契約したというニュースが流れたことがありました。残念ながら、その後程なくしてなくなりましたが。

 一時は夢中になり、その過剰な演出に辟易して離れ、そして今回数十年振りにまた耳にすると、まあ悪くない印象です。なにしろわかりやすい。
 ゆったりと彼の音楽に浸りました。もう60年以上前の演奏なのに、すうっと体に入ってくるのが不思議です。

 昔はSPレコードの雑音の中から浮かび上がる音楽に夢を膨らませたものですが、現在は YouTube で動くストコフスキーを見ることができます。よい世の中になりました。

Bach: Toccata and Fugue in D minor - Stokowski conducts
Tchaikovsky "Romeo and Juliet" - Stokowski conducts
Leopold Stokowski Japan Philharmonic Orchestra 1965
Enesco "Romanian Rhapsody" - Stokowski conducts
Beethoven 7th Symphony (finale) -- Stokowski in Hungary

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」by 村上春樹

2011年12月10日 | クラシック
 作家の村上春樹さんによる指揮者の小澤征爾さんへのインタビューまとめた内容です。
 この二人、私のお気に入りの人物なので、ワクワクしながらページをめくりました。

 う~ん、さすが春樹さん、その辺のインタビューとは訳が違います。
 春樹さんがジャズに造詣が深いことはその小説から窺い知っていましたが、クラシックにもこれほど詳しいとは驚きました。
 
 ワイン愛好家に例えますと・・・

1.赤ワインと白ワインの違いを知っている
2.ワインの産地を国レベルで区別できる・・・フランスワイン、カリフォルニアワイン等
3.ワインの産地をフランス国内の地域で区別できる・・・ボルドー、ブルゴーニュ等
4.ワインの産地を地域内の土地名で区別できる
5.ワインの産地を畑・製造者で区別できる

 といろんなレベルがあるとします。
 春樹さんのクラシックへの造詣レベルは、ずばり「5」ですね。

 というわけで、この本の内容は「春樹さんが小澤征爾氏の音楽性の変遷を言語化した」あるいは「小澤征爾氏の半自伝」と云ってもよいくらいのレベルであり、読み応えがありました。
 グレン・グールド、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインなど、おなじみのアーティストの裏話も満載。
 春樹さんとの出会いがなければ、彼でなければ小澤征爾氏の音楽的魅力は引き出されることなくベールに包まれたままではなかったか、とまで思わせる深い対話集です。

 小澤征爾氏とともに斎藤秀雄氏の薫陶を受けたサイトウ・キネン・オーケストラの演奏家がTVのインタビューで答えたコメントが思い浮かびます。
 「セイジはぼくらのアイドルだった」
 彼の魅力は、この一言で言い尽くされるような気もします。
 単身でヨーロッパやアメリカに渡り、東洋人ながら西洋音楽の世界に飛び込み、カラヤン先生やレニーに可愛がられ(小澤征爾氏は二人の師匠をこう呼ぶ、他にもルービンシュタインやオーマンディに可愛がられたらしい)、ここまで成功したのは、皆に愛されるその人間的魅力に帰する所が大と思われます。

 私はインタビュアーの春樹さんの小説を同時代的に読んできた世代です。
 学生時代には初期三部作の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」を下宿の四畳半で繰り返し読んだものでした。
 「肌にピシピシ音楽がしみ込んでくる」という表現を今でも覚えています。
 この本を読み進めるうちに、彼の音楽に対するスタンスが私自身にも染みついていることを改めて感じました。
 まあ、私のレベルは上記の分類では「3」ですけど。

 シリアスな対話の途中で挟まれる微笑ましい会話も春樹さんらしい。

小澤氏:「このおにぎり、食べていいかな」
春樹氏:「どうぞどうぞ、お茶も入れましょう」

小澤氏:「うん、これおいしいね。マンゴ?」
春樹氏:「パパイヤです」

<メモ>
私自身の備忘録です;

■ ニューヨーク・フィルはベルリン・フィルとかウィーン・フィルに比べると、どうしてもドイツ的な味わいには欠ける。シカゴはニューヨークに近く、ボストンとクリーブランドはもっとマイルド(P31)。

■ オーケストラは指揮者により音が違ってくる。そう言う傾向が一番良く出るのはアメリカのオーケストラ。ヨーロッパのベルリン・フィルとかウィーン・フィルは指揮者が変わっても自分たちの色をほとんど崩さない(P34)。

■ レニーは平等主義でオーケストラの団員の意見に耳を傾けたが、カラヤン先生は他人の意見なんてものはまず聞かなかった(P59)。

■ (インマゼールのベートーヴェンピアノ協奏曲第三番を聴いて)このオーケストラの演奏は子音が出てこない。音楽的に耳が良いというのは、子音と母音のコントロールができるということです(P73)。

■ グールドは対位法的要素を積極的に持ち込んでいく。ただオーケストラと調和的に音を合わせるというんじゃなくて、積極的に音楽をからめ、緊張感を作っていく。
 でも不思議なのは、彼が死んじゃった後、そういう姿勢を引き継いで発展させるような人が出てこなかったこと(P74)。

■ ルービンシュタインは遊び人、ゼルキンは真面目一方で田舎のおじさんみたいな人(P83)。

■ ベートーヴェンの方が管楽器と弦楽器との対話なんかが見えやすくなっています。ブラームスの場合になると、それを混ぜて音色を作っていく、ということです(P119)。

■ カラヤン先生から「長いフレーズを作るのが指揮者の役目だ」とよく云われました。スコアの裏を読みなさい、と。小節をひとつひとつ読むのではなく、もっと長い単位で音楽を読め、と(P121)。

■ 夏目漱石の文章はとても音楽的。あの人の場合は西洋音楽というよりは江戸時代の「語りもの」的なものの影響が大きいような気がします(P132)。

■ ニューヨーク・フィルでレニーのアシスタント指揮者をした。その後、アバド、デワールト、マゼール達も同じ職に就いた(P138)。

■ 一人の音楽愛好家としての勝手な感想を言わせていただきますと、1960年代の小澤さんがシカゴとかトロントのオーケストラと演奏しているのを聴くと、両手の手のひらの上で音楽が闊達に踊っているという感じがするんです、恐いもの知らずというか。それが1970年代に入って、ボストンとやるようになると、手のひらが少し丸くなって、その中に音楽がスッと包み込まれているような印象が強くなってきます(P165)。

■ (小澤征爾氏が指揮した3種類の「幻想交響曲」を聴いて)しかし三つの演奏を聞き比べてみると、これはほんと違うものだね。こんなこと(自分の演奏の聴き比べみたいなこと)は初めてやったから、自分でもけっこう驚きました(P169)。

■ 1960年代前半にバーンスタインが熱心に取り組むようになるまでは、ごく限られた人しかマーラーはやらなかった(P193)。

■ バーンスタインの指揮するウィーンフィルの「フィデリオ」をベームの隣の席で聴いた(P197)。

■ マーラーのスコアを初めて見たとき「オーケストラというものをこれほどうまく使える人がいたんだ」と驚いた(P206)。

■ マーラーの音楽って、伝統的なドイツ音楽から崩れていますよね。俗謡的なものが顔を見せたり、ユダヤ人の音楽が急に出てきたり。シリアスな音楽性、耽美的な旋律の中に、そういうものが乱入者のように混じり込んでいく。そう言う雑多性というのは、マーラーの音楽の魅力の一つになっていますよね(P219)。

■ 指揮者にとっては理解力が大事なのであって、記憶力なんかは特にどうでもいい。暗譜は一つの結果に過ぎず、そんなに大事なことじゃない。ただ、暗譜していいことは、演奏者とアイコンタクトがとれることですね(P230)。

■ (リヒャルト・シュトラウスとマーラーのオーケストレーションを比較して)マーラーは音が浮き出て迫ってくるんです。乱暴な言い方をすれば、音をどんどんナマで、原色で使っています。楽器ひとつひとつの個性・特性をある場合には挑発的に引き出していきます。それに比べると、シュトラウスは音を融合させてから使っています(P233)。

■ 日本人、東洋人には、独特の哀しみの感情があります。それはユダヤ人の哀しみとも、ヨーロッパ人の哀しみとも、すこし成り立ちの違うものです(P246)。

■ でもマーラーって、どうみても根っからまともじゃないというか、あえて分類すれば、分裂症的ですね(P239)。

■ ラヴィニア音楽祭にサッチモとエラ・フィッツジェラルドを呼んだことがあります。なにしろサッチモが大好きだったから。サッチモのあの味はもう、何ともいえないです。日本でいう芸の「シブミ」っていうか(P274)。

■ カラヤン先生に「セイジ、君は是が非でもオペラを勉強しなくちゃダメだ」と強く言われました。サンフランシスコからボストンに移る際、ひと夏のスケジュールを空けてカラヤン先生のところへ勉強に行きました(P288)。

■ 「ねえセイジ、今度は『ラ・ボエーム』」を一緒にやろうよ」ってミレラ・フレー二はずっと僕に言ってたんだけど、どういうわけか結局できなかったですね。
 カルロス・クライバーがスカラ座のオーケストラをつれて日本で「ラ・ボエーム」をやったのを観てあんまりにも良くて、「あ、これは僕にはできないな、これ以上のものはできない」と思いました(P289)。
 クライバーはよく勉強する人だったし、よく曲を知っていました。でもねえ、よくトラブルを起こす人でした。ただ彼にとってかわいそうだったのは、親父があまりにも偉い人だった(P296)。

佐渡裕のベルリンフィル・デビュー

2011年11月03日 | クラシック
 NHK-BSで拝聴しました。

 以前、佐渡さんの指揮をこき下ろした私。
 まあ、クラシック音楽演奏のなんたるかを知らない素人の戯言とお許しを。

 今回は世界の最高峰のオーケストラであるベルリンフィル・デビューです。
 彼の派手なアクション系の指揮にベルリンフィルは見事に答えるどころか、さらに佐渡さんを鼓舞して一体化した炎のような演奏となりました。
 その場にいた聴衆は幸せ者です。

 とほめ殺しのようですが・・・佐渡さんの音楽は私の好みではありません。
 
 彼が移動中にポータブル・ミュージックプレーヤーで聴いているのは「上方落語」です。
 以下に聴衆を笑わせるか、その演出法が大変参考になるそうです。
 また、彼のベートーヴェン演奏のポリシーは「ベートーヴェンもビックリするような演奏を目指したい」とのこと。

 彼の音楽の本質は外連(ケレン)であり、スタジオ録音よりライブ(録音)で名演・快演を残すタイプだと思います。

 話は外れますが、ベルリンフィルのメンバーも昔と比べて随分雰囲気が変わりました。
 カラヤン時代の映像を見ると、皆芸術家然として小難しい表情で規律正しく演奏している様子が伺えます。
 最近は体を揺らして音楽を楽しそうに奏でている印象がありますね。

「マーラー交響曲第五番」 by レナード・バーンスタイン指揮

2010年10月29日 | クラシック
NHK-BS 放送で、表題曲の1972年の練習風景とライブ映像を放映していました。
バーンスタインは20世紀後半の指揮者でカラヤンと並び称される巨匠です。1918年生まれですから、当時54歳の脂の乗りきった全盛期。この時代のバーンスタインを見ることができるなんて、それだけでもドキドキします。
オーケストラはウィーン・フィルと、これも世界最高峰。

マーラーは過去の「交響曲」という様式の集大成を行った作曲家と評価されています。
日本人はわかりやすいメロディーが好きなので、長大で「響き」を大切にするマーラーはちょっと敷居が高い。
でもこの映像を見て私のマーラーに対する認識が変わりました。

貴重なリハーサル風景に「マーラー指揮者」と表されるバーンスタインの秘密を見たような気がしました。
彼は「ピアノ(弱音)もフォルテシモと同様、全身全霊を込めて集中して演奏しなければマーラーにならない」と楽団員に繰り返し説いています。予定されたリハーサル時間が終了する時刻になっても「終了時刻がなんだ。これではマーラーじゃない!」と激高し練習を続けます。
すると、演奏を重ねるたびに音が磨かれ、ハーモニーが隅々まで美しく響き渡り・・・ため息が出そう。

マーラーはラジカセで聴く音楽ではなく、高級なオーディオ・システムか、コンサートで生演奏を聴かなければ本当の良さはわからないのかもしれないと感じました。

本番(ライブ演奏)のバーンスタインはエネルギッシュ&エレガント!
こんなに生き生きと指揮をする指揮者は見たことありません・・・まさに音楽の化身です。
ある評論家が「カラヤンは理性で音楽を構築し、一方バーンスタインは存在そのものが音楽である」と云いましたが、それを具現する映像でした。

特に第四楽章「アダージェット」は天上の美しさをたたえています。
愉悦に浸るバーンスタインの姿は、クラシックの演奏を超えて映画のワンシーンと見間違うほどでした。
この時コンサート会場にいた聴衆は至福の時空間を共有できたのですね・・・うらやましい限りです。

それにしても、「リマスター処理」とは解説にあったものの、映像も音響も素晴らしい状態で残っていることに驚かされました。
20世紀という時代の貴重な遺産だと思います。

「バイオリンの聖地クレモナへ」

2010年09月16日 | クラシック
BS Japanの番組です。副題は「~ストラディヴァリウスに見せられた日本人達~」。

~番組紹介文~
「バイオリンの聖地、イタリアのクレモナ。17世紀後半、偉大な製作家アントニオ・ストラディヴァリが後世へ続くバイオリン、ストラディヴァリウスを作った街。現在も100人を越える職人がバイオリンを製作し、世界中の演奏家達を支えている。10年以上もの間ストラディヴァリウスを使っていたバイオリニスト川久保賜紀は、忘れられない音色、さらには新しい音との出会いを求めてこの地を訪れた。」

 最初にチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門2位入賞歴のある川久保腸紀(28歳、女性)さんが出てきてきました。「ずっと使ってきたストラディヴァリウスの名器を数年前に手放し、新しい名器を探しに来た」という設定。
 すると「今をときめく美人ヴァイオリニストがヴァイオリンの聖地で眠っている名器を発見!これからの演奏活動の友としたい」というオチなのかな、と勝手に考えてしまいました(笑)。

 しかし、見続けると内容がどんどん広がり驚かされました。
 彼女は主役の一人に過ぎなかったのです。

 クレモナにはヴァイオリン製作を極めるべく留学(?)している日本人達も少なからず存在することが紹介されました。そして彼らも当番組の主役。
 中でも菊田浩さんはチャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン製作部門(こんな部門があったんだ!?)で第一位獲得歴のある方。日々、自分の求める音との格闘を繰り広げている製作者の一人です。

 ヴァイオリンは木から作られますが、まだ削られていない木材を叩いて音を出すと、完成した楽器の音が想像できるそうです。削り出す板の厚さや、形、中に入る「魂柱」の調整で自分の求める音に近づけていく気の遠くなるような作業を目の当たりにしました。

 一方、同じく自分の求める音を出すヴァイオリンを探す川久保さん。
 この二人の求道者が出会い、お互いに響き合いながら進んでいく様は感動的でした。
 それから、ヴァイオリンは使われることで音色が成長していくことも知りました。ヴィンテージ・ワインのようですね。

 さらに驚いたのは、菊田さんの年齢です。
 もともとはNHKの音声担当者だった彼は、あるときコンサートで耳にしたヴァイオリンの音色に魅せられ、自分で製作を始めました(これだけでもすごい)。しかし思うような音は出てこない・・・一念発起して仕事を辞めイタリアのクレモナへ飛び立ったのがなんと「不惑の40歳」。体の衰えを感じ始める年齢で、新しい世界に飛び込むその精神に敬意を払いたいです。ちなみに彼の師匠は一つ年下でしたね。

 もっとすごいのが、ヴァイオリン製作の神様であるストラディヴァリ本人。製作のピークは70歳台で、亡くなる94歳まで理想を求めて作り続けたそうです。

 もう脱帽するしかありません。 

 40歳過ぎて体調を崩し「もう人生の後半なんだなあ」と黄昏れている自分が恥ずかしくなりました。
 「70歳ピーク」を目指し、日々努力あるのみ。