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戊辰繚乱

2018年05月21日 | 
新撰組に入隊した会津藩士と中野竹子
新撰組に入隊した会津藩士
山浦鉄四郎と中野竹子と聞いてピンとくる人は会津にゆかりがある人か歴史マニアの方だろうか。中野竹子は会津では有名な方ですので知っている人も多い事でしょう。2013年の大河ドラマ「八重の桜」では黒木メイサさんが中野竹子役として薙刀で新政府軍と戦うシーンなどが蘇るのではないでしょうか。
中野竹子さんは江戸詰めの会津藩士の家庭に生まれ江戸城和田倉門会津藩邸(現在の丸ビルなどがあるあたり)で育ち、会津戊辰戦争が始まるまで会津に行ったことがない。しかしながらそこは会津藩士の娘。しっかりと会津士魂を叩きこまれる。会津で育っていない分、地元の会津藩士よりしっかりと学んだようだ。非常に容姿端麗だったという。備中庭瀬藩の藩主夫人の祐筆を勤め、薙刀は赤岡大助に学び免許皆伝。まさに文武に優れた女性だった。
幕末動乱期でなければ江戸の町で平和に暮らす事ができただろうが、幕末の会津藩士ほど人生が狂った人たちもいないだろう。鳥羽伏見の戦いで敗れ、徳川慶喜と共に江戸に逃げ帰った松平容保は江戸に戻った後、国許で謹慎となり江戸藩邸も引き上げる事になる。中野一家も例外ではなく生まれて初めて会津の地を踏むことになる。
一方の山浦鉄四郎は会津藩士の四男として生まれ江戸の西周の私塾に入塾するも授業や時世についていけず友人の藩士と遊んで日々を過ごしていた。そんな中中野竹子、優子姉妹と出会う。松平容保が京都守護職となり京都に駐在する会津藩士に選ばれ京都へ赴く。そんな中、会津藩お抱え浪士隊新撰組の活躍などを見ていたが、まさか自分が新撰組に入隊する事になるとは。と、いうのも池田屋事件などで隊士人数も減ってしまった事などもあり、会津藩から数名の藩士が新撰組隊士として派遣された。山浦鉄四郎はそのメンバーに選ばれ新撰組に入隊する事になった。さすがに会津藩との連絡役も兼ねていたため後方勤務が多く、新撰組が華々しく活躍する戦闘では活躍する事は少なかったが、元々剣の腕は高かったので新撰組隊士や幹部とも打ち解けそれなりに京都生活を楽しんだようだ。近藤勇や土方歳三との交流も多くメッセンジャーとして多くの情報を双方に齎せた。
鳥羽伏見の戦いが始まり京都で惨敗した旧幕府軍と新撰組の生き残りは幕府海軍や雇い入れた船で江戸に逃げ帰った。山浦鉄四郎は行方不明扱いになっていたが、ボロボロの体を引き摺りながら陸路江戸を目指していた。当時の陸路での江戸は東海道より中山道だったようで、偶然にも甲府で甲陽鎮部隊と遭遇。この甲陽鎮部隊こそ新撰組の生き残りと旧幕臣で編成された部隊だった。隊長は近藤勇。奇跡的な再会を果たし山浦鉄四郎は甲府での戦いに参加、敗戦して江戸の会津藩邸に戻るのだが、すでに会津藩邸は会津に引き返した後だった。
上総国府台で再編成されたが新政府軍に包囲され近藤勇が捕縛された。山浦はうまく逃げ延び会津に戻る事が出来ました。
中野竹子と会津戦争
もののふの猛き心にくらべれば、数にも入らぬ我が身ながらも
これは中野竹子の辞世の句である。この辞世の句を薙刀の柄に結び薩摩藩、大垣藩を中心とした会津征討先方隊と衝突することになる。竹子は母と妹、そして同じ町内で薙刀道場に通っていた婦人たちと共に、松平容保の義理姉である『照姫』の護衛のため隣町の坂下まで赴くがその情報は間違えで、照姫はまだ鶴ヶ城にいるため城へ戻る途中であった。新政府軍は相手が女性を見ると否や『生け捕りにしろ』と命令し中野竹子率いる娘子隊を捕えようとするがそこは薙刀の免許皆伝。白兵戦なら向かうところ敵なし。数人の薩摩大垣兵を斬り倒すが銃撃を受け斃れる。その首を敵に取られまいと母と妹が介錯し首を近くの寺に埋葬した。
この辺りまでは歴史好きな人は知っている部分も多いだろう。
しかし、今回のこの『幕末繚乱』はなんと、この中野竹子と山浦鉄四郎の恋愛物語。半分フィクションだとは思いますが、恋愛小説など初めて読む私でも出会いやラブレターでのやり取りなど面白く描かれていたためいつもよりのめり込み早く読み終えてしまった。
私の好きな場面は『出会い』でした。
いつもの血なまぐさい幕末の話と比べると少し柔らかい物語でした。

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