片桐範之(かたぎり・のりゆき)
マックスウェル空軍基地に位置する、アメリカ空軍戦争大学(Air War College)の国際安全保障学部助教授。ペンシルベニア大学政治学部より博士号取得。専門は国際安全保障、非対称戦争、東アジア政治。戦争大学では日 本を含む北東アジアの授業、カリキュラム、そして毎年の日本訪問を担当している。2014年には非対称戦争やイラク、アフガニスタンでのアメリカの軍事戦 略に関わる博士論文が出版される予定。
今回の問題から学ぶべきこと
先月23日の中国による防空識別圏設定は日本だけでなく、多くの東アジア諸国にとっても地域の安定を揺さぶる危険性を持つ、受け入れられない行動だろうが、必ずしも理解できないことではない。幾つかの要素を考えると中国にとってはある意味当然のことだからである。
もちろん、中国の防空識別圏は日本と韓国の領空、そして米軍の訓練地域とかぶるため日韓米それぞれとの問題にはなるが、世界には数カ国が独自の防 空識別圏を設定しているため前例がある。中国がその輪に加わることへの国際社会からの抵抗は一時的にはあろうとも、時間が経つにつれ弱まる。より広く考え ると、防空識別圏は国際法上の規定がなく、それ自体が国際法を破ることでもない。
また、単に自国の主権を繰り返すだけでなく、今回は日中双方で航空の安全を共同で守るべきだと主張することにより、その領土主張を正当化させる働 きもする。尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海での領土問題で中国がいかなるパフォーマンスをするかは共産党の正統性の維持、ナショナリズムの高揚とコント ロール、そしてメディア統制などの中国内政にとって極めて大切な問題になる。多くの中国国民には納得のいかない、「不平等」な東シナ海での現状を彼らに とって良い方向で変えようとしているのである。他国を一時的に怒らせてでも、強い中国のイメージを作り上げることにより国内で点数を稼ごうとするのは驚く べきことではない。
同時に日本側が認識すべき点は、今まで領土を実質支配してきたはずの日本の外交と防衛政策に、ここ数年の間で大きなスキができていたことである。 拓殖大学の森本敏・特任教授は防衛大臣在任時に中国の防空識別圏設定をある程度予想していたようだが(読売オンライン、11月27日)、それを未然に防ぐ 必要な政策を出していなかった。日本側で幾つかできることを認識していたのにもかかわらず、それを怠っていたのではないかと邪推してしまう。
さらに、外務省が中心となって世界で尖閣の日本帰属を訴えてきていたのにも関わらず、今回の防衛圏を防ぐことができなかった。そして尖閣沖の警戒 や度重なるF15戦闘機のスクランブルなどを通して作り上げていたはずの抑止力も、結果として不十分であった。つまり、日本人が多額の血税を投資してきた のにも関わらず、日本の国土、主権、そして国民を護るための日本の外交と抑止力のシステムがしっかり機能していないのである。これは中国のみの問題ではな く、日本自身が招いた問題でもあるのではないか。
誤解を防ぐために書いておくが、私は今回の中国の行動を評価しない。しかし中国がこのスキを突こうとする理由は上記の通り幾つもある。今回の問題 で日本の論壇は中国の糾弾に多く走っているが、私は、中国を一方的に責めて相手による自発的な政策転換を待ち望むのではなく、日本人自身が自省を兼ねて日 本外交の問題点に着目し、より大きな枠組みの中で外交政策決定過程の改革を進めるべきだと思う。中国は今後も日本のスキを狙う手を止めることはない。日本 側が戦略と制度を整えて今後の政策失敗を防ぐ必要があるのである。
では中国が正しかったのか?
もちろん、中国の政策が正しかったとは断言できない。一時的に効果を得た今回の強硬姿勢も、結果としては中国にとって裏目に出る可能性も十分残っているからである。
例えば、各国の反応は否定的である。中国外交・軍事政策の攻撃性にアジア諸国の警戒感が増大された。オーストラリアを含むアジア・太平洋諸国は一 般的に反対の立場を表明している。韓国に関しては、今回の防空識別圏は韓国のそれと重なる部分がある。結果として、日本の歴史問題などでここ数カ月の間で 成長していたソウルと北京のいわゆる「対日外交戦線」が、二国間の領土問題を再燃化する形で中韓関係にしこりを残した。
一方で、南シナ海で中国と領土紛争を続けるベトナムやフィリピンの態度が硬化するのは簡単に想像できる。ここ数年「ソフトパワー」や「チャーム・ オフェンシブ」などというプロパガンダと多額の投資を通して中国が少しずつ作り上げてきた各国との「信頼」関係の少なくとも一部が剥がれ落ちてしまった。
また、中国の脅しに対し米軍も引かない。米軍のB52爆撃機が防空識別圏内を通常訓練の一環として飛行し、中国の脅しがアメリカには通用しないと いうことも証明した。ウォールストリートジャーナル紙(11月27日)が言うように、中国は「脅しと虚勢戦略の達人」の国家である部分を醸し出した。中国 としては、中国国民が感じる東アジアでの「不平等」さを改革するため、そして国内分子に向かって「強い」イメージの中国を発信するために取った大きな一歩 だったが、その効果には限界があった。
日米関係の専門家の何人かは、今回の防空識別圏はアメリカへの挑戦だという見方をしている。私の大学で教える留学生(空軍佐官)の一人もそう見ている。私も確かにそのような側面があるのは理解ができるが、現状はより複雑で、別の側面もあると思う。
仮にアメリカへの挑戦だったとしても、今回のB52の件でも見られたように、私の知る米軍はこの種の挑戦には微動だにしない。私も自分の生徒の中 から空軍、陸軍、海軍、海兵隊、沿岸警備隊、そして国防総省の民間人と毎年卒業生を輩出しているが、しっかり与えられた任務を遂行できる素晴らしい軍人と 役人たちである。
これは別の記事でも書いたが、私が担当するアメリカ人の佐官の多くは、今回の防空識別圏が軍事作戦に関わることなので興味を持っている。ただ防空 識別圏の含蓄の解釈の仕方は多種多様である。防空識別圏がアメリカへの脅威となると見る人もいれば、そうでない人もいる。同時に、最近のシリア、イラン情 勢などの問題から、そもそも根本的に世界政治の中心問題であるべきであったアジアの政治に焦点が戻ってきたことを当然と考える者もいる。
しかし、今回の防空識別圏で中国が得る点も多い。その設定により中国の領土主張を強化させ、東アジアにおける既成事実を強制的に設置することによ り、国内分子に向かって政府の努力をアピールする効果がある。また、中国がいずれ東アジアでの覇権を握る運命にあるのなら、日本だけでなくアメリカと軍事 的に対峙する勇気を持ち、そして世界の舞台でそれを実践する必要がある。従って今回の動きは東アジア地域における中国の覇権奪還政策の一部として理解する こともできる。
一方で中国は、危機における日本の脆弱性を引き出した。日本の民間航空会社は飛行ルートの事前提出をすることを一度発表し、後ほど撤回させられ た。そして結果として日本のやり方は米航空業界の政策と不一致してしまっている。今回の件で日本は発表後数日の間は対応に困り、迅速かつ有効な行動を取れ ないという実情が露呈した。
今となっては日米共同で中国の防空識別圏を批判してはいるが、元々外務省による、日本の外交ルートを通して行われた中国への「抗議」はいとも簡単 にあしらわれている。更には、このように中国側に強気に出られると日本はアメリカの力にすがること以外には有効なことが何もできないという、一般的に広く 信じられている既存の概念を更に強化することになってしまった。そして今の時点でも、中国機による尖閣沖への侵入は続き、日本はこれを止めることができて いない。
では今後はどうなるのか?
今回の防空識別圏は単に一発のカンフル剤で解決できないことを考えると、長期的な問題の一環として捉えるべきであることがわかる。今回の防空識別 圏設定は、今後も続くであろう中国からの外交的な攻撃の一ステップに過ぎない。今後は尖閣を日本が実効支配しているという状況を失い、日中両国により同等 の立場で管理されているという、中国にとって有利な条件が作り上げられる可能性がある。結果として日本以外の世界各国の見方がより中国の主張に近くなって しまう。
自民党内ではこの混乱に乗じた憲法改正への更なる動き、集団的自衛権の見直し、防衛予算の上昇など、「普通の国」になるような動きが加速するかも しれない。一般国民の間では安全保障問題に関する興味が増え、日本の安全保障をより健全な形で理解しようとする力が増すだろう。同時に対抗勢力として、国 内左派が国内外で日本の右傾化を謳い扇動するだろうが、今の自民党は今後もより強くかつアメリカに近い日本の外交政策を形成してゆくだろう。
そのアメリカとの協議過程で顕著になるのは、外務省内のアメリカ・スクールの力が比較的強まることなのかもしれない。私は外交政策が同盟関係に基 づくことが日本にとって必ずしも良い結果を出すとは思わない。ただ今後の傾向としては、沖縄やオスプレイの問題が続く中、日本の外交政策は自民党と外務省 による集権化が今までより強まる可能性がある。
では今後何をすべきか?
日本がすべきことはいくつかある。既に進行中だと信じているが、外務省は今回の防空識別圏と国際法の関連性を審議し、その解釈をできるだけ日本の 主権と主張に近づけ、国際社会に広くアピールする必要がある。航空自衛隊の織田邦男・元空将が述べるとおり(日本ビジネスプレス、11月27日)、「中国 の防空識別圏は国際法上の一般原則である公海上の飛行自由の原則を不当に侵害する」点を示す必要がある。同時に、国際社会の支持を得ながら今回の防空識別 圏をロールバックさせるような状況を作り上げる。
一方で中国は今後も日本と韓国の間に楔を打ち込むような形の、いわゆる「divide and conquer」戦略を取り続けるだろう。それに対応する形で、韓国とは当問題の戦略会議などを水面下で積極的に進め、同時に韓国の世論を日本の世論に近 づけるよう工作も進める必要がある。かくして、中国の防空識別圏を国際社会全体が否定する状況を作り出す。さらに、国際世論を日本の主張に近い方向に転換 させるために、尖閣での日本の支配を国際社会に知らしめねばならない。これらの問題は外務省のみに頼らず、英語を使える人材をより大幅に投入し、大手メ ディアやソーシャルネットワーキング、ツイッターなどをフルに活用し、日本の主張の場を増やすべきである。
私がなぜそう書くかと言うと、現在の日本の主張の仕方ではアメリカ国民はおろか、私が教鞭を執るアメリカ軍隊や政府の人間にさえも中々中身が伝 わってこないからである。アメリカ社会で普通に生活していて、領土問題に対する日本政府の真剣な姿が全くと言っていいほど見えない。日本のアピールは韓国 や中国のと比べて極めて消極的・能動的であり、世界のやり方に沿った形で行われていないのが現実である。日本からのアピールが乏しいため、日本の良いイ メージが他国に伝わらず、勿体ない。
また、抑止力も今後はより効果的な利用が求められる。まずは日本政府による、領土主張に関するかつてないほど明確な政治声明を表明することが大切 だ。そして同時に、国土防衛に必要な軍事力を導入し、そして発揮できるよう法整備を整え、他国からの脅威と領土侵入を防ぐよう必要適度の規制緩和と、それ に伴う作戦上の調整のバランスを取ることが必要である。これらの行動は必ずしも今の緊張状態を高めるものでなく、逆に日本の能力と意図を海外に示し理解を 得るための、そして結果として緊張状態を下げるための重要なディバイスだ。
また、自衛隊や海上保安庁などの関連省庁は日本の主張をより明確にそして強く証明するべきだ。防空識別圏内であっても日本機が飛行を制限されるこ とはないため、自衛隊の作戦も今後も続けその存在感を示し、尖閣地域における失われつつある主権の再構築に努めるべきだと考える。
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