中川ワニ珈琲∞アトリエ

中川ワニ珈琲に関連するお知らせや日記

サラバ

2015年01月29日 | 日記
西加奈子さんが直木賞をとったのを知ったのは自分が読み終わったサラバを
友人に貸し、その人はちょうど下巻に読み入るところだった。
正直、今まで直木賞に興味がなかったがたまたま読み終えた
(ましてや自分が好きな)本が賞を取ると嬉しいものなのだと知る。

ここ数ヶ月、
考えるところあり読書にふけっていたが『サラバ』に背中を押された気がする。

色んな本を読んだからそこにいきついたのだと思う。
作者も書いて書いて書きまくってサラバにいきついたのだ、おそらく。
わがアトリエでも『サラバ』さながらの出来事は日々起こっており、
生きてる人は大なり小なりサラバに向かって流れもがく。

さて、わがやにもサトラコヲモンサマがおる。
焙煎室の片隅の高い位置にちんまりおられる。



それを見て誰かが涙を流すわけでもなく拝む人もおらん。
だかそれは確実に中川ワニ珈琲の御神木なのである。
21年前、彼が初めて焙煎した豆である。
どんな味なのか分からないし
それは美味しいのか美味しくないのか
そもそも珈琲の味がするのかすら分からない。

知るのは中川ワニと今はニューヨークにいる彼の友人だけだろう。
本の1節に出てくる言葉



「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」



答えがでるのはなかな時間がかかるがわが家ではコーヒーだ。

カップ一杯のコーヒーの為に彼は生きていること、生き続けてゆくことを、
彼が信じているということだ。揺るぎない大きなコーヒーの樹を彼は持っている。
それがどんな味のコーヒーかは、飲まなければ分からないし、
飲んでも分らへんかも知れへん。

でも。飲んでみてください。

今日は2015年1月29日(金)晴れ
ハイ・ローストとシティー。ローストを焼く。



日々、新しいコーヒーが生まれる。
サラバとともに。

旅のはじまり

2015年01月27日 | 日記
文章を書くことが好きな人は文章を書いたり、パンを焼くのが得意な人はそのパンについて皆の前で発表をしたりと好きなことを皆でディスカッションするワークショップがあったんだ。そこで永井さんが俺に珈琲を淹れてみないって声をかけてくれて参加することになった。それがきっかけかなと話はじめた。

自分の得意なことを好きに発表するのだから楽しいに決まってると羨ましくなってくる。色んな分野の人が参加して珈琲を飲みながら笑ってる顔が思い浮かぶような話だ。

ずっと東京の同じ場所でやっていたのだがある日「大阪にあるシャムアという場所で今度やるから中川くんもおいでよ」と受けた事が『旅』のはじまりになり『中川ワニ珈琲漫談』になりそのうち『中川ワニ珈琲教室』へと旅の積み重なりと同時に変化していく。
それが珈琲と旅のはじまりだ。

小さなリュックや鞄を持ちヨレたTシャツとGパン姿にスニーカーは履き古され擦りきれてる。テンガロハットに度のきつい眼鏡がトレードマークの人物は
自分が焙煎した豆で国内外を回る。その旅はさながらフウテンの寅さんと重なって見える。人情味があって商売そっちのけでお節介やいて。器用なのか不器用なのかよくわからない。
自由気ままに旅するワニさんの話はずっと続くのだがそれは後述させていただきたい。




ここで出てくる永井さんとは永井宏さんのことである。
永井さんは中川ワニ珈琲の名付け親です。ときおり永井さんとの思い出話を彼がはなす話をここで語るよりはいつかそういうタイミングが訪れた時に彼が話せばいい。
でも、朝日新聞デジタルに載っていた記事で永井さんの人柄やその当時の情景が伝わってくる記事がありました。
是非読んで下さい、素晴らしいです。

http://www.asahi.com/and_w/life/TKY201402130048.html

さて、東京青山のTAMBOURIN GALLERY(タンバリンギャラリー)でその永井さんの個展が催されました。その時、中川ワニ珈琲もほんの少しお手伝いさせていただきました。

永井さんの作品がならぶギャラリーは初日の平日ということもあってとても穏やかで
のんびりとゆったりた時間が流れる。その空間は
 そこに訪れる人とその場にいるひと 
に真っさらな気持ちを与えてくれます。たくさんの作品に囲まれながら懐かしい人との再会、コポコポとゆったり淹れる珈琲。



自分が思い描くおいしいコーヒーを皆で楽しく飲むために21年自分をつらぬき続けている中川ワニ珈琲を淹れます。

2015年1月20日タンバリンギャラリーにて中川ワニ珈琲


永井さんに伝わったらいいなと思う一日でした。

中川ワニ珈琲って?

2015年01月25日 | 日記
1994年画家を目指す中川くん。

どうやったら家賃と絵の具代を稼ぐことが出きるかと考えていたとき、SHOZOさんが焙煎機を手放される話を聞きました。それなら何とかやっていけるかもと、絵を描きながら自宅で珈琲を焙煎すれば良いと購入を決めたのです。中学から珈琲を淹れはじめ東京に上京してからのバイトも喫茶店だった彼にとってはさほど違和感の無い話だったようです。

今では焙煎や珈琲を淹れる事は慣れ親しんだ言葉ですが当時を思うと破天荒な話です。

喫茶店を営むわけでもなく、ましてや自宅の一室に8kgの焙煎機を置くことは驚きです。購入を決断したその日から、独学で焙煎しながら絵を描く日々がはじまりました。



当初から5年間ほど、珈琲豆は全く売れなかったそうです。やっぱり現実は厳しいのです。

しかし、売れないならトコトン研究してみようと思うところが彼らしく
『ただ焙煎をする』から『自分の追い求める味を描く焙煎』になりました。

時間の流れと共に出会いにも恵まれながらいつしか筆が焙煎機へ、炎と豆と時間に向き合う生活です。パチパチと豆がはぜる音、グリーン(生豆)が焼き上がり栗色に変化する事はまるで夢中に絵を描くことと同等の喜びと刺激があっただろう。

私は今の彼しか知りませんがきっとそうだと思います。

だって焙煎している時の彼は決して、のらりくらりではなく真剣そのものです。珈琲豆も作物の一つ、焙煎することは調理と同じこと。新鮮な作物で作る事にこした事はないのです。でも作物はその年々により出来不出来があるように珈琲豆もそうである。だったらその年に自分が一番美味しいと思える味を幾種か豆を混合し焙煎する、味わう人に喜んで貰える珈琲を『ブレンドする』ことに決めました。

その頃からです、独特の技法で味を調理する今の中川ワニ珈琲が生まれました。

美味しい楽しさを誰かと共有する珈琲教室のはじまりでもそれはあった。


ー はじまりー

2015年01月23日 | 日記
1994年、中川ワニ珈琲が生まれてからら20年以上の月日がすぎました。
それぐらいの時がたてば記念のイベントの1つでもしても良さそうなもの....
なのにそれもせず、いつもと同じ日々をのらりくらりマイペースに過ごす彼を見ていると呆れたり関心したり。

それが『ワニさんらしい』と

彼のことをよく知る人々なら思うのかも知れませんが、
実際珈琲と暮らす私達にとって、なかなかそうはいか無いことも多々あります。時にはガッカリするもあったりもある。
それでも楽しく人生を生きる事は先の見えない旅をしているようです。

今も変わらず東京の、板橋に住居件アトリで自分にしか作り出せない味、珈琲を調理し続けています。いつか、皆さんに気軽に来ていただける自由で大きな自分たちの思い描くアトリエをもちたいと思うようになりました。
でも、ワニさんのことですやっぱりそれは『 いつもと同じ日々をのらりくらりマイペース 』です。
だから、せめてデジタル空間にアトリエを構えます。

『中川ワニ珈琲∞アトリエ』



もし、よければ皆さん私達の暮らしをつうじて出会あえる珈琲の旅を共に楽しんでいただけたら幸いです。
どうか、よろしくお願い致します。