美味しいを学ぶということ
今回からぼくが今、焙煎指導をしている子とレッスン終了に後振り返りと今後の課題をセッションする
場を設けることにしました。
彼女が感じたこと、思うことを自分で考えて自分で
行動できるようにならなければならないからである。
その為の試みだ。
『焙煎50%』『淹れるの50%』で珈琲の味は決まる。even:evenな関係が
本当に美味しいなって思える味が出来ると今、思ってる彼女。
また、どちらかの不足をどちらかが十分な方がテクニックで補足をすれば味は良くなるはず
といっています。それがどうなのかこれから彼女が自分で答えを
見つけていけばいい。
豆の鮮度や保存方法と細かいことをいい出せばきりがないからまずは
『焙煎と淹れる』で考えはじめました。
最近は品質(食材)の良さ珈琲で、味がいいといってる人が多い気がする。
高級食材を使ったら=美味しいということなんだと思うのだが本当に
それでいいのだろうか?考える。
では、安い珈琲は何が安いんだろう?トップクラスから比べれば品質の劣る豆を
使うことは美味しくないのか?とそんなことを考えてしまう。
いくら高級な豆を使ったとしても焙煎人がその素材の良い味の部分を
「表現したい味」と「意図的」に引き出すこと、又自身が思い描く香りと味が調理され
同じ表現が再現することができていなければいい豆もプロと素人の差や
コーヒーの味わいの楽しみがなくなってしまうのではなかろうか。
また逆に購入しやすい価格や安価な豆でも工夫をすることによって美味しい味に
調理ができる技術が珈琲の本質に近づく「味わい」の表現の一つではなかろうか。
豆自体が持つ品質の良さと安価な豆の味のどちらかがいいということではなく、
どちらを自分が選び何を重視するかが消費者である飲む人自身の課題にもなると思う。
たとえば毎日ご飯を食べる。
高いお米は美味しいが毎日買えないし高級なものばかり食べていても飽きてしまう。
またすごい安いものばかりを毎日食べていると人生は楽しくない。
いい按配にいいとこ取りしながら自分らしいお米の好みを
日常では選んで食べることが出来ているでしょ?
作り手と食べる側がeven:evenで知識と関係が成り立っている。
でも、珈琲はまだまだそこにはいたっていない気がする。
だから、聞きたい。
私はどうやったら美味しい珈琲が自分でチョイスして淹れることが出来るのか。
珈琲は嗜好品という曖昧なガイドラインからもう成熟した領域で
表現されるべきだ。珈琲豆の素材の良さだけでなく焙煎人の技術料が
ちゃんと飲む私にわかる味と出会いたいと焙煎を学ぶ彼女。
珈琲の技術はどこにある?そんな対話をしました。