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泉涌寺七福神~京都一周トレイル~六波羅蜜寺、ゑびす神社 元職場の同僚と 

2022年01月10日 23時04分45秒 | 気ままにブログ


地図は・・・。

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今日の朝は・・・。


泉涌寺七福神めぐりの地図


テキスト
★真言宗/東山区/泉涌寺
泉涌寺
(東山区泉涌寺山内町)
本尊 釈迦・弥陀・弥勒の三世仏
真言宗泉涌寺派の総本山。山号は東山。皇室との関わりが深く、「御寺」とも呼ばれる。斉衡三年(八五六)に藤原緒嗣が帰依した神修上人が、法輪寺(のちに仙遊寺と改称)として創建したのに由来するという。建保六年(一二一八)には当寺の開山である俊芿律師に仙遊寺が寄進され、この時境内に新しい泉が涌き出たことにちなみ、泉涌寺と改めたという。元仁元年(一二二四)に御願寺となり、律を本宗に真言・天台・禅・浄土の四宗兼学道場とされた。仁治三年(一二四二)に四條(四条)天皇が投し、寺内に御陵が造られて以来、後水尾天皇や中宮東福門院和子など二十五方の御陵(月輪陵・後月輪陵)が営まれ、皇室の香華院(菩提所)となる。現在の伽藍は寛文年間(一六六一~七三)の復興によるものが多く、仏殿(重要文化財)は寛文八年(一六六八)の造営。楊貴妃観音堂に安置されている聖観音像(重要文化財)は玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで香木をもって造らせたものと伝える宋伝来の像で、楊貴妃観音と通称されている。この観音は長らく秘仏であったため彩色が剥落せず見事に残っており、洛陽三十三所観音霊場第二十番札所の本尊となっている。「泉涌寺勧縁疏」(国宝)は俊芿律師が十方檀越の喜捨をあおぐために書き、後鳥羽上皇が上覧したもの。山内の塔頭に七福神が祀られており、毎年成人の日に行われる泉山七福神巡りは有名。
→洛陽三十三所観音霊場103頁、清少納言歌碑238頁、涅槃会287頁



過去問
101102 13-3-02-016
唐の玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝える、通称「楊貴妃観音」を祀る寺院はどこか。
泉涌寺

101102 11-1-02-14
泉涌寺舎利殿の天井には(   )が描いた蟠龍図があり、通称「鳴龍」としても知られる。
狩野山雪

101103 13-3-09-090
即成院に福禄寿、来迎院に布袋尊など、山内の塔頭寺院に七福神が祀られ、成人の日に七福神巡りが行われる寺院はどこか。
泉涌寺

10111 01-3-02-17
皇室とゆかりが深く「御寺」と呼ばれ、皇室の香華院(菩薩所)として知られている寺院はどこか。
泉涌寺

10111 02-2-03-023泉涌寺(せんにゅうじ)は、皇室の香華院(菩提所)として知られるが、最初に御陵が造られた天皇は誰か。
四条天皇

10111 04-3-03-023 玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝えられる、通称「楊貴妃観音」は(   )にある。
泉涌寺

10111 07-3-02-015 皇室と関わりが深く、「御寺」と呼ばれている寺院はどこか。
泉涌寺

10111 08-3-03-026 唐の玄宗皇帝が楊貴妃を偲んで造らせたと伝えられる通称「楊貴妃観音」がある寺院はどこか。
泉涌寺

10111-1/2 03-3-08-073 3月14日から3日間、日本最大の涅槃図が公開され、「御寺」とも呼ばれている寺院はどこか。
泉涌寺

10120 06-1-01-07泉涌寺の「聖観音像」(重文)は、玄宗皇帝が寵姫を偲んで香木で造らせたとされる宋伝来の像で、通称「(   )」と呼ばれている。
楊貴妃観音





テキスト
★真言宗/東山区/即成院
【泉涌寺塔頭】即成院
本尊 阿弥陀如来
山号は光明山。前身は正暦三年(九九二)に源信が伏見に建立した光明院。寛治年間(一〇八七~九四)に藤原頼通の子の橘俊綱が同地に山荘を造営する時、光明院を持仏堂として阿弥陀如来および二十五菩薩像を安置し、伏見寺または即成院(即成就院)とした。現在地には明治三十五年(一九〇二)に移って法安寺と呼び、昭和十六年(一九四一)に現称となった。那須与一ゆかりの寺でもあり、境内には与一の墓とされる塔がある。また寺名にちなみ、ポックリ信仰の寺として有名である。本堂には本尊である木造阿弥陀如来および二十五菩薩坐像(重要文化財)が安置されている。毎年十月の二十五菩薩お練り供養法会は多くの人で賑わう。
→二十五菩薩お練り供養法会295頁

過去問
102012 04-2-08-072
平安時代に入ると、宇治川や巨椋池に隣接する交通の要衝として発展し、貴族たちが別荘を営むようになった。藤原頼通の子で「伏見長者」と称された  (   )も山荘を営んだ。
橘俊綱

102012 09-3-07-069
那須与一ゆかりの寺院で、毎年10月の第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養」が行われる泉涌寺の塔頭はどこか。
即成院

102012 11-2-05-044
泉涌寺の塔頭で、10月の第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養法会」が行われる寺院はどこか。
即成院







テキスト
【泉涌寺塔頭】
★今熊野観音寺
本尊 十一面観音
山号は新那智山。西国三十三所観音霊場第十五番札所。洛陽三十三所観音霊場第十九番札所。空海(弘法大師)が熊野権現の化身の老翁から十一面観音像を授けられて建立し、藤原緒嗣が伽藍を造立。後白河法皇の病気平癒の伝承から中風・頭痛平癒の観音として知られる。
→西国三十三所観音霊場91頁、洛陽三十三所観音霊場103頁、お砂踏法要294頁

過去問
04-1-07平成20年(2008)は、西国三十三所巡礼を中興したといわれる花山法皇の一千年遠忌に当たり、同20年から22年にかけて、すべての札所の本尊が開帳される予定である。33の札所のうち、京都府内の札所(寺院名)を5つ書きなさい。
三室戸寺
上醍醐寺
観音寺(今熊野観音寺)
清水寺
六波羅蜜寺
頂法寺(六角堂)
行願寺(革堂)
善峯寺
穴太寺
成相寺
松尾寺
元慶寺





テキスト
【泉涌寺塔頭】
★来迎院
本尊 阿弥陀如来
藤原信房の建立で、開山は月翁智鏡。弘法大師独鈷水と呼ばれる霊泉がある。荒神坐像(重要文化財)は「ゆな荒神」といわれ、安産祈顧の信仰を集める。眷属護法神(重要文化財)も所蔵。赤穂浪士の大石内蔵助良雄ゆかりの寺でもあり、茶室含翠軒とその茶庭は内蔵助の作とされる。含翠軒では討ち入りの密議をしたと伝えられる。







テキスト
【泉涌寺別院】
★雲龍院
本尊 薬師如来
泉涌寺の別院。山号は瑠璃山。応安五年(一三七二)に後光厳上皇が創建した。開山は竹巌聖皐(チクガンショウコウ)。後円融・後小松両天皇の帰依を受けて発展し、文亀
二年(一五〇二)、後土御門天皇の御黒戸御殿を後柏原天皇より下賜され、写経道場とした。以来、兵火や地震による倒壊など、たびたび被害にあったが、寛永十六年(一六三九)に中興の祖である如周正専が後水尾上皇の援助で修復し、現在は本堂(重要文化財)とされ龍華殿と呼ばれている。寺宝に土佐光信筆の「後円融院寝影」(重要文化財)などがある



















敵雄と
【建仁寺塔頭】
★六道珍皇寺
本尊 薬師如来
山号は大椿山。六道さんとも言いならわし、古くは愛宕寺とも呼ばれた。平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛したが、その後衰退し、室町時代前期に建仁寺の聞漢良聰によって再興、改宗され、臨済宗となった。この地が葬地である鳥辺野の麓にあたるため、現世と冥界の境界として小野篁が冥土通いをしたという伝説を生み、六道まいりの信仰を集めた。本尊の薬師如来坐像(重要文化財)は平安時代の作。孟蘭盆会の六道まいり(八月七日~十日)は有名で、この日に撞く鐘を迎え鐘と呼び、精霊を冥界から現世に呼び戻すという。
→六道まいり277頁、幽霊子育飴319頁、六道の辻337頁



テキスト
六波羅蜜寺
(東山区松原通大和大路東入二丁目鞭櫨町)
本尊 十一面観音
真言宗智山派。山号は補陀洛山。西国三十三所観音霊場第十七番札所。洛陽三十三所観音霊場第十五番札所。
応和三年(九六三)に空也が鴨川の東岸に一堂を建て、西光寺としたのに始まる。貞元二年(九七七)に中信が入寺して現称となり、天台宗の別院となった
応仁・文明の乱で本堂(重要文化財)以外の堂塔を焼失したが、永正年間(一五〇四~二一)に秘仏開帳などにより勧進をすすめて再建し、文禄四年(一五九五)に真言宗となる。正月の皇服茶、八月の万灯会、十二月の空也踊躍念仏(かくれ念仏)などが有名。本尊の十一面観音立像(国宝)は空也の自刻と伝えられ、秘仏。宝物館の空也上人立像(重要文化財)は鎌倉時代に仏師運慶の四男である康勝の手になるもの。他に、薬師如来坐像、地蔵菩薩立像(鬘掛地蔵)、地蔵菩薩坐像(夢見地蔵)などの仏像や、平清盛坐像、運慶・湛慶坐像(いずれも重要文化財)がある。運慶と湛慶の親子像は、寺伝によればもと同寺の境内にあった十輪院の本尊の両脇に安置されていたものという。また境内に祀られている弁財天は、都七福神まいりの札所となっている。
→都七福神74頁、

10-2-06-058 京都・宇治の寺社によって編成された「都七福神まいり」で、えびす神は恵比寿神社、大黒天は松ヶ崎大黒天などであるが、弁財天はどこか。
六波羅蜜寺

過去問
12-2-02-018 十一面観音立像(国宝)を本尊とする(   )は、西国三十三所観音霊場の第17番札所である。
六波羅蜜寺

12-3-03-029
六波羅蜜寺にある「空也上人立像」(重文)の作者は誰か。
康勝

13-3-09-086
弁財天を祀る六波羅蜜寺の開祖は、「南無阿弥陀仏」の6文字を表わす阿弥陀仏が口から飛び出している康勝作の木造でも知られる。その開祖とは誰か。
空也

02-3-04-034 六波羅蜜寺の「空也上人立像」(重文)の作者は誰か。
康勝

04-1-07
平成20年(2008)は、西国三十三所巡礼を中興したといわれる花山法皇の一千年遠忌に当たり、同20年から22年にかけて、すべての札所の本尊が開帳される予定である。33の札所のうち、京都府内の札所(寺院名)を5つ書きなさい。 (5つすべて列挙=10点)
三室戸寺
上醍醐寺
観音寺(今熊野観音寺)
清水寺
六波羅蜜寺
頂法寺(六角堂)
行願寺(革堂)
善峯寺
穴太寺
成相寺
松尾寺
元慶寺

04-2-02-016
空也により創建された西光寺を起源とし、十一面観音立像(国宝)や空也上人立像(重文)など、多数の宝物で知られる寺院はどこか。
六波羅蜜寺

05-3-05-050 六波羅蜜寺で行われる「空也踊躍(ゆやく)念仏」は、人目を忍んで続けられてきたことから「(   )」とも呼ばれている。
かくれ念仏

06-2-03-024 運慶の四男である(   )は、東寺の御影堂(みえいどう)の「弘法大師坐像」(国宝)や、六波羅蜜寺の「空也上人立像」(重文)などの作品を残した。
康勝

06-2-10-095
第17番札所の六波羅蜜寺では、1月1日から3日にかけて(   )がふるまわれる。
皇服茶

07-1-06
「都七福神まいり」の7寺社の中から、5つの寺社名とそれに対応する七福神の名称を書きなさい。 (5問×2点=10点)
恵美須神社 ゑびす神
松ヶ崎 大黒天大黒天
東寺 毘沙門天
六波羅蜜寺 弁財天
赤山禅院 福禄寿
革堂 寿老神
萬福寺 布袋尊


07-3-03-029
口から阿弥陀仏が飛び出している六波羅蜜寺の空也上人立像(重文)は、(   )の作品である。
康勝










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