ふーちゃんの京都デジカメウォーキング

大文字山、愛宕山を中心に京都周辺の自然をウォーキングしながらGPS軌跡と四季の変化をカメラウォッチング!

朝のウォーキング 妙心寺~竜安寺

2024年07月06日 14時46分17秒 | 気ままにブログ

 

山行記録: 朝のウォーキング 妙心寺〜竜安寺

山行記録: 朝のウォーキング 妙心寺〜竜安寺

2024年07月06日(日帰り) 京都・北摂, ハイキング / fu-tyanの山行記録

ヤマレコ

 

 

★■臨済宗■

★妙心寺

(右京区花園妙心寺町)

本尊 釈迦如来

臨済宗妙心寺派の大本山。山号は正法山。

建武四年(一三三七)、花園法皇の発願で花園離宮を禅寺として開創。開山は関山慧玄。

一時、応仁・文明の乱で荒廃していた諸堂を、住持の雪江宗深が細川勝元らの援助により再建。その後、雪江の弟子たちが、景川宗隆の龍泉派(本庵龍泉庵)、悟渓宗頓の東海派(本庵東海庵)、特芳禅傑の霊雲派(本庵霊雲院)、東陽英朝の聖澤派(本庵聖澤院)の四派となって禅風を挙揚した。従来妙心寺への入寺は、まず大徳寺(↓123頁)への入寺を必要としたが、永正年間(一五〇四~二一)にこの慣例を破り、大徳寺の末寺的存在から独立、江戸時代には白隠慧鶴ら多数の禅傑を輩出、その法脈は臨済禅の本流となった

本坊には主に十七世紀中頃に造営された堂宇が揃い、また四十六もの塔頭が東・北・西をとり囲み、大徳寺とともに禅寺の良好な寺観を保っている。三門(重要文化財)は慶長四年(一五九九)の造営。仏殿(重要文化財)は文政十年(一八二七)に新しく造り替えられたもので、禅宗仏殿の典型。法堂(重要文化財)は明暦二年(一六五六)の造営で、それまでの法堂・仏殿兼用から独立した。内部の鏡天井には狩野探幽による「雲龍図(八方にらみの龍)」が描かれている。室(重要文化財)は、天正十五年(一五八七)に明智光秀の叔父密宗和尚が、光秀を追善するために建立したといい、明智風呂とも称する。のち、明暦二年に改建された。内部は設備がよく残る。その他、大方丈・小方丈・庫裏・経蔵・直使門(いずれも重要文化財)などの建造物がある。庭園は国の名勝および史跡。また山内の塔頭を含む境内一帯は国の史跡に指定されている。寺宝は、宗峰妙超(大燈国師・大徳寺開山)墨蹟二幅(ともに国宝)、関山慧玄墨蹟、花園天皇像(ともに重要文化財)など数多くが文化財に指定されている。三幅対「達磨・豊干・布袋図」(重要文化財)は、達磨を中幅として、左幅に布袋、右幅に豊干を配したもので、左右の布袋と豊干は南宋末期の画家李確が描いた唯一の現存作として知られているが、中幅の達磨の作者は不明。この他、海北友松の描いた「三酸・寒山拾得図屏風」、同じく「琴棋書画図屏風」、京狩野派の祖となった狩野山楽の描いた「文王呂尚・商山四皓図屏風」(いずれも重要文化財)などの絵画がある。

また、黄鐘調の鐘として知られる「戊戌年」(六九八年)の銘のある梵鐘(国宝)がある。

琴棋書画図・花卉図屏風(京都の絵画)214頁

★臨済宗/右京区/妙心寺 
01-3-04-33妙心寺について

(ア)花園上皇が、自らの離宮を改めて禅寺とした。
(イ)詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出したことから、俗に妙心寺の学問面(がくもんづら)といわれた。
(ウ)浴室は、光秀を追善するために建立されたといわれ、「明智風呂」と称される。
(エ)塔頭の東林院は沙羅双樹の寺として知られている。

解答

妙心寺の別名は、X詩文芸術に秀でた禅僧を多数輩出したことから学問面 ⇒ 〇健全な財政管理による徹底した組織運営により算盤面(そろばんづら)


06-3-03-027 妙心寺法堂(はっとう)(重文)の天井には、狩野探幽の筆による(   )が描かれている。

(ア)虎
(イ)鶴
(ウ)鳳凰
(エ)龍

解答

龍(雲龍図「八方にらみの龍」)


11-2-10-095 狩野探幽による「八方にらみの龍」と呼ばれる雲龍図で知られる妙心寺の開山は、(   )である。

(ア)関山彗玄(かんざん えげん)
(イ)春屋妙葩(しゅんおく みょうは)
(ウ)夢窓疎石(むそう そせき)
(エ)宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)

解答

関山彗玄(かんざん えげん)


12-3-03-028 妙心寺法堂の天井に「雲龍図(八方にらみの龍)」を描いた人物は誰か。

(ア)狩野永徳
(イ)狩野山雪
(ウ)狩野常信
(エ)狩野探幽

解答

狩野探幽 


04-1-02-13日本最古の紀年銘を持ち、美しい姿とともに「黄鐘調(おうじきちょう)」と呼ばれる音色が有名な梵鐘(国宝)は、俗に「算盤面」ともいわれる寺院(   )にある。

解答

妙心寺


霊雲院

本尊 観音菩薩

狩野元信が逗留したため元信寺とも称する。

大永六年(一五二六)、大休宗休が師の特芳禅傑を勧請開祖として創建。後奈良天皇は大休に参禅しており、御幸の間と呼ぶ書院(重要文化財)が残る。庭園は書院の南面に位置する。狭い敷地に違山を想わせる立石数個を背景に、二段の滝流れ、白砂敷の川の流れによってあたかも絵を見るような構成の枯山水であり、相国寺の子建の作と伝える。国の名勝および史跡。

★龍安寺

本尊 釈迦牟尼仏

臨済宗妙心寺派。

山号は大雲山。

世界遺産(文化遺産)。

細川勝元が妙心寺の義天玄承を招いて宝徳二年(一四五〇)に創建。玄承の師である日峰宗舜を勧請開山とした。有名な枯山水の石庭は、国の史跡および特別名勝。虎の子渡し、五智五仏、七五三の石組、心字の象形などと呼ばれ、自砂だけを敷き詰めて十五個の石を配置する。作者・作庭年代などは不明。鏡容池を含む庭園全体は国の名勝に指定されている。方丈(重要文化財)の北東にある茶室蔵六庵の前には、徳川光圀が寄進したという「吾唯足知」(吾唯だ足るを知る)の手水鉢が置かれている。

↓世界遺産43頁、特別名勝庭園195頁、方丈庭園(中世の庭園)200・202頁、庭園(平安時代の庭園)201頁


★臨済宗/右京区/龍安寺 
11-2-10-094 龍安寺にある(   )は、平安時代の庭園遺構として貴重である。

(ア)鏡湖池(きょうこち)
(イ)鏡容池(きょうようち)
(ウ)曹源池(そうげんち)
(エ)黄金池(おうごんち)

解答

鏡容池(きょうようち)


02-2-03-017禅宗を篤く信仰し、妙心寺の義天玄承(ぎてん げんしょう)を招いて龍安寺を創建した武将は誰か。

(ア)足利義政
(イ)細川勝元
(ウ)山名宗全
(エ)畠山政長 

細川勝元
03-1-03-28大徳寺の塔頭である大仙院や龍安寺の庭に代表される庭園様式を何というか。

解答

枯山水


04-3-03-024「苔寺」で有名な西芳寺の庭園は、(   )が作庭したと伝えられている。

(ア)夢窓疎石(むそう そせき)
(イ)石川丈山
(ウ)小堀遠州
(エ)金森宗和

解答

夢窓疎石(むそう そせき)


04-3-07-067 円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、山門を入って左手にある(   )は、その園池といわれる。

(ア)鏡容池(きょうようち)
(イ)広沢池(ひろさわのいけ)
(ウ)鏡湖池(きょうこち)
(エ)曹源池(そうげんち)

解答

鏡容池(きょうようち)


04-3-07-069 一本の草木もない白砂敷きの中に大小(   )の石を配置している。

(ア)7個
(イ)10個
(ウ)15個
(エ)20個

解答

15個


04-3-07-070 方丈の北東にある茶室「(   )」の前には、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」の手水鉢が置かれている。

(ア)今日庵
(イ)不審菴
(ウ)官休庵
(エ)蔵六庵

解答

蔵六庵


06-3-02-018 細川勝元が創建した(   )は、15個の石を配置した枯山水の石庭で知られている。

(ア)天龍寺
(イ)龍安寺(りょうあんじ)
(ウ)金閣寺
(エ)銀閣寺

解答

龍安寺(りょうあんじ)


07-2-09-083 龍安寺は、(   )の石庭が有名で、虎の子渡しとも呼ばれて( 84 )の石を配置している。

(ア)露地(ろじ)
(イ)浄土庭園
(ウ)枯山水
(エ)寝殿造庭園

解答

枯山水


07-2-09-084 龍安寺は、( 83 )の石庭が有名で、虎の子渡しとも呼ばれて(   )の石を配置している。

(ア)10個
(イ)15個
(ウ)20個
(エ)25個

解答

15個


09-2-07-063「寺院」と「ゆかりの池」との組み合わせ

(ア)大覚寺-大沢池(おおさわのいけ)
(イ)天龍寺-曹源池(そうげんち)
(ウ)高台寺-臥龍池(がりゅうち)
(エ)龍安寺-鏡湖池(きょうこち)

解答

龍安寺-鏡湖池 ⇒ 龍安寺にある池は 〇鏡容池(きょうようち)


09-3-03-030 特別名勝に指定されている(   )の庭園は「虎の子渡しの庭」とも称され、白川砂を敷き詰めた中に大小15個の石が配置されている。

(ア)大徳寺
(イ)天龍寺
(ウ)金地院
(エ)龍安寺(りょうあんじ)

解答

龍安寺(りょうあんじ)


10-2-03-024 敷き詰められた白川砂に、15個の石を配置した枯山水庭園で有名なのは、(   )の方丈庭園である。

(ア)金地院
(イ)銀閣寺
(ウ)東福寺
(エ)龍安寺(りょうあんじ)

解答

 龍安寺(りょうあんじ)


11-3-03-024「虎の子渡しの庭」とも称される15個の石を配した枯山水の方丈庭園が有名な寺院はどこか。

(ア)龍安寺(りょうあんじ)
(イ)西本願寺
(ウ)金地院
(エ)金閣寺

解答

龍安寺(りょうあんじ)

12-1-03-24 龍安寺の境内南側には(   )を中心とした回遊式庭園がある。平安時代、この場所は徳大寺家の別荘であり、公卿が龍頭船を浮かべて楽しんだことが文献に残る。

解答

鏡容池

01-3-04-34龍安寺について

(ア)鎌倉時代に創建された寺院である。
(イ)有名な枯山水庭園は、「虎の子渡し」とも呼ばれている。
(ウ)山門をくぐると鏡容池(きょうようち)と呼ばれる広い池がある。
(エ)水戸光圀が寄進したと伝えられる「吾唯足知」(われ ただ たるを しる)の文字が刻まれている手水鉢(ちょうずばち)がある。

解答

龍安寺が創建されたのは X鎌倉時代 ⇒ 〇室町時代


02-1-01-09龍安寺の茶室「蔵六庵」の前にある、水戸光圀が寄進したといわれる手水鉢には、漢字四文字で何と書かれているか。

解答

吾唯足知(われ ただ たるを しる)

★■■■京都の庭園

★平安時代末期   浄士庭園

平安時代末期になると「浄土思想」が広まり、仏殿を荘厳する庭園が盛んに造営される。これが「浄土庭園」であり、藤原道長によって法成寺の庭園が営まれて本格化した。藤原頼通が造営した平等院庭園には当時の阿弥陀堂である「鳳風堂」(国宝)が今に伝わり、庭園は平成二年からの発掘調査の成果に従って往時の姿に再現された。浄瑠璃寺には九体の阿弥陀如来坐像を祀る本堂(九体阿弥陀堂・国宝)が現存する。浄瑠璃寺庭園も発掘調査によってほぼ往時の姿が再現されている。この庭園は阿弥陀如来の浄土であるとともに薬師如来の浄土でもあり、池の東側には薬師如来を祀る三重塔(国宝)が建つ。白河上皇が院の御所として造営した鳥羽殿(鳥羽離宮)は、御所に御堂が併設され、池庭が作られていたことが長年にわたる発掘調査によって明らかとなった。発掘された遺構の多くは失われたが、史跡「鳥羽離宮跡」では当時の南殿の築山「秋の山」を見ることができる。また鳥羽天皇の中宮であった待賢門院が造営した法金剛院は、その広大な敷地の多くを失ったものの、往時の滝石組である青女の滝が健在である。浄土庭園の様式は奥州藤原氏の毛越寺庭園(岩手県平泉町)はじめ諸国の寺院庭園に波及し、鎌倉時代の庭園文化にも大きな影響を与えることとなる。浄土庭園の技法は寝殿造庭園の技法の延長線上にあり、現存しない寝殿造庭園の意匠を浄土庭園に偲ぶことができる。その他、現在名勝龍安寺庭園として指定されている鏡容池は、天元六年(九八三)に円融天皇が造営した円融寺の園池を引き継いで院政期の左大臣藤原実能が作庭したといわれ、平安時代末期の庭園の趣きを今に伝える。


19920 ★平安時代末期-浄土庭園 
03-3-03-028 平等院の庭園は平安時代の(   )庭園の代表作として知られ、国の史跡・名勝である。

(ア)浄土
(イ)枯山水
(ウ)書院造
(エ)露地(ろじ)

解答

浄土庭園


 05-2-03-023 平等院の庭園(史跡・名勝)は(   )の代表例として知られ、近年は造営当初の意匠である洲浜(すはま)が復元された。

(ア)寝殿造庭園
(イ)浄土庭園
(ウ)枯山水
(エ)露地(ろじ)

解答

浄土庭園


13-3-07-065 晩年、出家した道長は、末法思想から極楽に見立てた(   )庭園をもつ広大にして壮麗な法成寺を建立した。

(ア)回遊式林泉
(イ)書院造
(ウ)浄土
(エ)枯山水

解答

浄土庭園


09-1-05-42平安期の浄土庭園の代表的なものは、京都府木津市加茂町にある寺院(   )の庭園で、国の史跡・特別名勝に指定されている。

解答

浄瑠璃寺

 

★■1京都の絵画

★安土・桃山時代

安土桃山時代には、絵画は宗教画から離れ、世俗の様相を好んで表現するようになる。京の四季の風俗を描く狩野永徳の「洛中洛外図屏風(上杉本)」には扇を手にする庶民が多数登場する。「扇絵は俵屋」と称された俵屋宗達はその名手として知られ、建仁寺の「風神雷神図屏風」や、宗達の作と伝えられる養源院の杉戸絵「唐獅子図」「白象図」はユーモラスな表情を示し、後世に影響を及ぼしている。また、社寺や武将の命を受けて描かれる障壁画ではなく、庶民が手にする扇や、四季の変化に応じた室内装飾に用いられる屏風などが生産され、それに描くことが始まる。注文されて制作する絵の他に、既製品としての絵を売り出す「絵屋」と呼ばれる工房組織も誕生していた。能登の七尾から京都に出てきた長谷川等伯は、永徳が率いる狩野派に対抗して子の久蔵や一門の手により智積院に現存する金碧障壁画「桜楓図」を描き、妙心寺の龍泉庵に「枯木猿猴」を残した。狩野派を学んだ海北友松は一派を形成し、建仁寺本坊に水墨の「花鳥図」や「雲龍図」、妙心寺に「琴棋書画図」や「花卉図屏風」を残している。"

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大文字山(041)再々度コクラ... | トップ | トンボソウ探しに大文字山(0... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

気ままにブログ」カテゴリの最新記事