ひかるんち

セレブな日々にあこがれて・・・

アレクセイ・スルタノフ

2006-01-26 01:03:36 | 芸術
アレクセイ・スルタノフ
私の大好きなピアニスト。

1995年ショパンコンクールにて最高位受賞。
1位ナシの2位だった。
1位になれなかったことを抗議し、授賞式をボイコットするという気性の激しいピアニスト。
激しい演奏家で、その奇特な演奏に聴衆は盛大な支持したが、評論家は深みに欠けると批判した。

初めて私が彼の姿を目にしたのはショパンコンクール特集の月刊ショパンだった。
彼はとても小柄で、はじめ私は子供なのかと思ったが、私と同じ歳だった。
この、月刊ショパンの記事を見て、私はどうしても彼の演奏が聞きたくなった。

現在、イタリヤ人ピアニストの妻となったT森が当時まだ日本にいた。
彼女とスルタノフリサイタルのチケットを手にし、いざ、芸術劇場へ!!

その日のプログラムは全部よく知っている曲。
なのに、初めて聞くような錯覚におちいりそうな衝撃的な演奏。
ピアノからシブキがあがっているのではないかと思えるような情熱的な演奏にたちまち心を奪われる。

この日のアンコールで弾いた革命は私にとって忘れられない1曲となった。
あまりの感動に何故か笑いの止まらない私とT森。
手が真っ赤になるまで拍手をつづけ、足を踏みならし、いつまでも声にならない声で笑い続け興奮した。

その後、何度かスルタノフのコンサートへ足を運んだ。
しかし、私自身のプライベートが忙しくなり、コンサートへ行くことがなくなっていった。

「ピアノの鬼神」といわれたアレクセイ・スルタノフ。
彼の演奏はエネルギッシュで、ワクワクする。
今は激しい濁流のような演奏が楽しみだが、彼が年を重ね、私も年を重ね(同じ歳だからね・・)お互い(?)円熟味を増し、いつか大海原へと悠々と流れ出る大河のような演奏を聴かせてくれやしなかな?などと勝手に期待をしていた。

時は流れ、昨年は5年に一度のショパンコンクール開催年。
我が職場にK林氏が異動してきた。
S口氏の後輩で、体育会系の彼は今までクラシックには縁がなかった様子。
だが、勉強しようと私にピアノのオススメを質問してきた。
意欲のある若者には、お節介を焼くオバチャンがよく似合う(爆)
私は早速、スルタノフのCDを彼に貸した。

そのCDが返却され、久しぶりに私も聴いた。
あ~~元気が出るね~~やっぱ、スルちゃんの音はエネルギッシュだねぇ~
と呟きながら、ふと、彼が来日する予定があるのか調べてみようと思い、ネットで検索した。

ポチっとクリックし、現れた画面に愕然とした。

「2005年6月30日 アレクセイ・スルタノフ逝去 享年35歳」

何だとぉ~~~~!!!

2001年3月に硬膜下血腫という病に倒れ、体に麻痺が残りながらも再び演奏することを願い、リハビリに励んでいたそうです。
しかし、奥様の献身的な看病の甲斐なく、帰らぬ人となったそうです。

CDからスルタノフの演奏するスクリャービンのソナタが鳴り響く。
力強いスルタノフの音が鳴り響く。
速くリズミカルな主題がスルタノフの演奏で神秘的に鳴り響く。

どうしたんだよ~~~
具合悪いなら言ってくれよ!(言わないだろう、普通・・・)
スルちゃん!あんなに元気だったのにぃ~~(友達かよ)
何、芸術家ぶって(いや、正真正銘の芸術家)早死にしてんだよぉ~~~~(涙)
オマエ、ショパンかよ!ショパンだって39歳まで生きたんだぞぉぉぉぉぉ(号泣)

ラフマニノフのソナタが切なく始まる。
ショパンコンクール翌年に収録されたCD.
こんなにも早く逝ってしまうなど、想像も出来ない元気いっぱいな自信があふれ出している演奏。
ラフマニノフの名技巧を弾きあげるスルタノフ。
情熱的な渦巻く音響の嵐に巻き込まれるような豪壮なコーダが鳴り響き、演奏が終わる。
演奏が終わると観衆の拍手が渦巻く。(ライブ録音のため)

もう一度、私も拍手したかったよ・・・

偉そうにK林に「スルタノフの演奏は生で聴いたほうが断然いいよ!」と語ってた頃、スルちゃんはもうこの世にはいなかったんだ・・・

CDが鳴り止み、静けさの中で、スルちゃんにサインしてもらったCDジャケットに目を移す。

アレクセイ・スルタノフ。
素晴らしい演奏をありがとう。
ご冥福を心よりお祈りいたします。