ひかるんち

セレブな日々にあこがれて・・・

仮面思考停止

2006-01-14 23:05:03 | サービス接遇
一生懸命に何かに取り組んでいる若者を見ると、本当に嬉しくなる。
そして、キラキラと輝くその瞳にたくさんの元気や勇気をもらう。

心の底から、「成るようにしか成らないや」とすべてを諦めている人は少ないと思う。
ただ、「頑張ろう」「何かしよう」と意識を持っているつもりでもどうしていいかわからないで時がムザムザと流れてしまっている人は多くいる。
私もそうだった。

NHKで放送された「日本語なるほど塾」のお話を伺った。
レストランで店員が珈琲をこぼし、お客様に謝罪するという場面でのこと。
「大変申し訳ありません。日頃から、こういうことが起きないように気をつけているのですが、ついにやってしまいました。これからは充分に気をつけますので、これからも当店をよろしくお願いします。」
と、いわゆる紋切り型の謝り方ではたしてお客様に誠意が通じるだろうか?
という事をディスカッションした。

研修で教わった決まり文句、誰かが使っていた台詞などを借りてきて張り合わせ、あたかも心から謝っているというように見せる。
研修で「よい接客とは?」と問いかけると、必ず「相手の立場にたって・・・」とか「思いやりをもって・・・」という言葉が返ってくる。
みんな机の上ではわかっている、しかし、接客はそのつど、お客様も違えば起きている出来事も様々。
だからマニュアル化することが出来ない。
また、分厚いマニュアルを作り、それを覚えさせるという仕込み方はとても怖いと感じ、今までやってこなかった。

「日本語なるほど塾」はこのあとこう続く。
反省を伝えるために「私が悪いんです。私はこの方面の知識もないし、経験もないし、やっぱりこの仕事、初めからムリだったんです。私なんか・・・私なんか・・・」
番組ではこの謝罪を「自虐おわび」と称し、反省しているようだが、相手にお詫びの気持ちは伝わらないと話が続く。

それはどういうことか。
自虐お詫びは相手の立場に立っていないという結論だった。
相手の立場に立てば、「熱くありませんか?やけどしてませんか?この後の予定は?この服は特別なものだったのでは?(例えばプレゼントとか形見とか)」
と様々な相手に対しての問いが生まれてくる。
相手の立場に立てば、紋切り型の謝罪言葉じゃないはず。
そして、お詫びの問いの構造と続くわけだが・・・

お客様に対しての謝罪とは違うが「これはこうしたほうがいいのでは?」と注意すると2通りの答えが返ってくる。
一つは「すいません。」
もう一つは「ありがとうございます。」

私は後者の言葉がとっさに出る人は意識の高い人だと思う。

理由は、忠告に対しすぐに「すいません」と謝る人がその後に続く言葉は
「この前教わったばかりなのに、また間違えちゃいました。私、頭が悪いからなかなか覚えられないんです。本当にすいません。」というNHK的に言えば自虐的なもの。
「ありがとうございます」の人は
「たしか、先日も同じ事を注意されました。もう一度、頑張りますので、どうか見ていていただけませんでしょうか?」という言葉が続く。

忠告はするほうもとても疲れる。
「うるさいなーー」と思われるくらいなら、言わないで自分で処理してしまおうと考えることもたくさんある。
また、忠告をしたからには自分自身の行動も律しなければいけない。
自分の負担を少なくしたいと考えてしまうのが普通だと思う。

まぁ、一くくりに言い切ることも出来ないが、
「すいません」と謝ることは謙虚に見えるが、忠告に対してこの言葉が出る場合、自分が許されることだけを考え、向上心はどこかへ飛んでしまっているのでは?と思う。

わたしもかつてそうだった。
自分はダメな人間なんだ、だから謝らなくては、自分がダメなヤツだということは自分が一番よくわかっている。だからそのことも相手にわかってもらって、私のペースを知ってもらわなければ・・・
そして、私は自分がとても頑張っていると勘違いしていた。
たしかに頑張っていた。
しかし、それは向上するための頑張りではなく、「自分を許して」と程度の低い自分を認めてもらうための努力。
そしてそんな自分を受け入れてくれる人を探す努力であった。

それでは何も変らない。
頑張っているといっても、自分の殻に閉じこもるための努力をしていたとしか言いようがない。

思うようにこちらの意思が伝わらない。
こんなに頑張っているのに結果が出ない。
そんなときはふぅ~~~っと心を開放して、色んなことを想像する。
すると、たいていが意固地になってる自分が見つかる。

NHKではそれを「問いの100本ノック」と言い、具体的な小さな問いをたくさんだし、自問自答してゆく。
自分がいいたかったのはコレだと発見できるまで、腑に落ちるまで粘り強く続けることが「考えるという作業」ですと。

見知ったパターンに当てはめることを、自分で考えているつもりになっていることを「仮面思考停止」と番組では言っていたが、私は「意識不明」と言っている。

もう一度「考える作業」を見直してみよう。
相手の気持ちになって・・・ということは、「相手の気持ちを想像」することなのではないか?
自分のことばかりになっていないか、もう一度考えてみよう。

サービスとは

2005-12-17 23:37:53 | サービス接遇
サービスとは「お客様が求めるものの満足を差し上げる」
一応、マニュアル本にはそんな風に書いてある。
金銭的サービス、物質的サービス、そして心のサービス。
一般的によいサービスとは「心のサービス」が行き届いていることをさすように思える。
「心のサービス」とは?
気配り、心配り、言葉遣い、立ち居振る舞い、思いやり・・・
よく、「相手の身になって」などとも言う。

とある企業にて、サービス接遇マナーの教育担当もどきの私。
いまさら自分で作ったマニュアルに羅列してある文字を読み返しては、何と難しい仕事かと思う。
そして、このマニュアル本にて研修を行ってきた私自信も、実は「よいサービス」が一体何かを未だにわかっていない。

私はいつも思っている。
今日、お客様がココにいらしたのは、私に会うためではなく、お目当てのコンサートのため。
「料理で例えたら、私はパセリ」
コンサートが「ステーキ」だったとすると、私は「パセリ」
極上の肉を味わい、楽しむ。
その横で料理を引き立てようと彩り鮮やかに添えられるパセリ。
パセリはたとえ有機農法の極上のパセリでも、普通でも何も言われない。
でも、少しでも痛んだパセリがのっていたら、お客様は「料理が台無しだ!」と怒ることでしょう。

イジケテいるのではない。
だからこそ、パセリであることに誇りを持ちたい。
「普通でいいんだよ」
その言葉に流されず、極上のパセリになって、
「同じ肉を食べるなら、コッチの極上のパセリがのってるほうにしよう」とチョイスしてもらえるように。
通り過ぎる人たちが多い中で、「どうせ・・・」と開き直らず、いつも青々と新鮮な気持ちを保つ努力を忘れずにいたい。
「立派だ!」とほめられることより、「あなたも頑張っていたのね♪」とふと誰かを元気にすることが出来たら・・・

色んなことを考える。
でも・・・
まだ、知らないことのほうが多い。
まだ、間違っていることもあると思う。
完成することは無いかもしれない。
だから、この仕事、辞められなかったのかなぁ・・・