生徒に受験勉強の相談を受けていて
よく思うことがあります。
それは
自分を掘り下げるということを漠然と考えている…
ということ。
例えば、数学で言えば、
●数学Ⅰ⇒数学Ⅱ⇒数学Ⅲ
●数学A⇒数学B⇒数学C
といって、学びの系統性を意識して学ぶことに無頓着であること。
(これは教師の責任が大きいと思いますが…)
微分積分(数学Ⅱ⇒数学Ⅲ)、ベクトル⇒行列(数学B⇒数学C)などのつながりは
分かりやすく、イメージしやすいもしれませんが、
例えば、指数にしても
●指数の拡張は、自然数の指数法則(数学Ⅰ:単項式×単項式の積)から
●最大値・最小値は、相加・相乗平均の適用から2次関数の最大・最小へ
など、常に前の分野の知識の土台が必要ですよね。
高校数学の知識効率を高める上でそのような系統性に着目すれば、
さらに下…
中学数学の機械的操作方法や思考の訓練が土台となることにも気づきますから、
そこまで降り立って学ぶことは必然でしょう。
但し、このような考え方は至極当たり前のこと…と
言われる方も多くいると思います。
では、生徒に受験勉強の参考書や問題集を紹介する際、
著者・出版会社の系統性を意識されていますか?
教科書と傍用問題集の関係性には注意を払っているかと思いますが…。
それぞれの著者、出版社にはそれぞれの特徴があり、癖があります。
また学ぶ生徒は多様ですから、どの参考書・問題集が合うかは分かりません。
例えば、現代文で言えば、出口先生がいい、いや板野先生、田村先生の方が…
と意見は千差万別です。
しかし、現代文の読解技法をどの方か一人自分でマッチする方が見つかれば、
その解法を手がかりに、どんどんと掘り下げていくことで、
知へのアプローチ、思考手順を自分のものとすることができます。
ところが、ある先生のアプローチを身につけたと思って、
他の方の解説の問題集を解くとどうなるでしょう?
現代文の場合、
解法技法を読めば確かになるほど、ふむふむ…と
読み進めることができます。
しかし、それで即読解力がつき、問題が解けるとは限りません。
もし、自分のアプローチ習得が不完全だった場合、
他の方の参考書の解説を読んでも、
自分のアプローチの欠陥、1つの方法論を研ぎ澄ますことにはなりませんし、
かえって思考パターンを混乱させることにもなりかねません。
ですから、ある程度までは、
著者・出版社のつながりは意識しなければならないと思っています。
1つのの参考書との出会いは、水脈を探り、井戸を掘ることと同じ…、
私は思っています。
そして、そのような視点を数学教育まで広げていくと、
教材研究にも1つの視座が生まれます。
例えば、
この科目を見渡させるのに、何を中心軸に据えるのか…。
その先に連なる道を知っている教師は、その専門性を活かしながら、
学ぶ1つの切り口を見せていかなければならないと思っています。
多様な数学的思考は、
体系化された数学的アプローチの土台とその訓練があって初めて醸成される…
そのように思えてなりません。
それは、人生において知識の水脈を掘り下げることだけでなく、
自分を掘り下げること…
そのアプローチを教科を通じて教えることに繋がると思いますし、
そのような視点で教材研究をすることも必要だと思います。
そうすると、この分野における生徒の学びの障害が、
この単元で本質的なものとして押さえるべきか、
また枝葉の部分であり、概念定着の段階ではかえって問題になる…なども見えてきますし、
それが見えた時点で、例題の数値の与え方1つも違ってくるでしょう。
また、そこから1つの指導内容を教えることに関しても、
重点項目の押さえの違いから、
教科書を額面どおり教えるのではなく、
指導の段階設定を変えて取り扱うことも当然出てくるはずです。
そして、そこに教師の創造性を働かせる場面の1つがあると私は考えています。
よく思うことがあります。
それは
自分を掘り下げるということを漠然と考えている…
ということ。
例えば、数学で言えば、
●数学Ⅰ⇒数学Ⅱ⇒数学Ⅲ
●数学A⇒数学B⇒数学C
といって、学びの系統性を意識して学ぶことに無頓着であること。
(これは教師の責任が大きいと思いますが…)
微分積分(数学Ⅱ⇒数学Ⅲ)、ベクトル⇒行列(数学B⇒数学C)などのつながりは
分かりやすく、イメージしやすいもしれませんが、
例えば、指数にしても
●指数の拡張は、自然数の指数法則(数学Ⅰ:単項式×単項式の積)から
●最大値・最小値は、相加・相乗平均の適用から2次関数の最大・最小へ
など、常に前の分野の知識の土台が必要ですよね。
高校数学の知識効率を高める上でそのような系統性に着目すれば、
さらに下…
中学数学の機械的操作方法や思考の訓練が土台となることにも気づきますから、
そこまで降り立って学ぶことは必然でしょう。
但し、このような考え方は至極当たり前のこと…と
言われる方も多くいると思います。
では、生徒に受験勉強の参考書や問題集を紹介する際、
著者・出版会社の系統性を意識されていますか?
教科書と傍用問題集の関係性には注意を払っているかと思いますが…。
それぞれの著者、出版社にはそれぞれの特徴があり、癖があります。
また学ぶ生徒は多様ですから、どの参考書・問題集が合うかは分かりません。
例えば、現代文で言えば、出口先生がいい、いや板野先生、田村先生の方が…
と意見は千差万別です。
しかし、現代文の読解技法をどの方か一人自分でマッチする方が見つかれば、
その解法を手がかりに、どんどんと掘り下げていくことで、
知へのアプローチ、思考手順を自分のものとすることができます。
ところが、ある先生のアプローチを身につけたと思って、
他の方の解説の問題集を解くとどうなるでしょう?
現代文の場合、
解法技法を読めば確かになるほど、ふむふむ…と
読み進めることができます。
しかし、それで即読解力がつき、問題が解けるとは限りません。
もし、自分のアプローチ習得が不完全だった場合、
他の方の参考書の解説を読んでも、
自分のアプローチの欠陥、1つの方法論を研ぎ澄ますことにはなりませんし、
かえって思考パターンを混乱させることにもなりかねません。
ですから、ある程度までは、
著者・出版社のつながりは意識しなければならないと思っています。
1つのの参考書との出会いは、水脈を探り、井戸を掘ることと同じ…、
私は思っています。
そして、そのような視点を数学教育まで広げていくと、
教材研究にも1つの視座が生まれます。
例えば、
この科目を見渡させるのに、何を中心軸に据えるのか…。
その先に連なる道を知っている教師は、その専門性を活かしながら、
学ぶ1つの切り口を見せていかなければならないと思っています。
多様な数学的思考は、
体系化された数学的アプローチの土台とその訓練があって初めて醸成される…
そのように思えてなりません。
それは、人生において知識の水脈を掘り下げることだけでなく、
自分を掘り下げること…
そのアプローチを教科を通じて教えることに繋がると思いますし、
そのような視点で教材研究をすることも必要だと思います。
そうすると、この分野における生徒の学びの障害が、
この単元で本質的なものとして押さえるべきか、
また枝葉の部分であり、概念定着の段階ではかえって問題になる…なども見えてきますし、
それが見えた時点で、例題の数値の与え方1つも違ってくるでしょう。
また、そこから1つの指導内容を教えることに関しても、
重点項目の押さえの違いから、
教科書を額面どおり教えるのではなく、
指導の段階設定を変えて取り扱うことも当然出てくるはずです。
そして、そこに教師の創造性を働かせる場面の1つがあると私は考えています。