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二値論理と現代社会

2010-03-25 | 数学における心理学
アリストテレスは
経験を元に演繹的に真実を導き出す方法を重視しましたが、
その方法論を体系化したものが論理学ですよね。

よく数学でも使われる三段論法などもその論理学の中に含まれますが、
そこから現代論理学は発展してきました。


そんな現代論理学において、
論証の正しさを示す1つの方法に二値論理があります。

二値原理は、
物事の真偽をはっきりとさせることですが、
そこから、矛盾律や同一律などを活用して論理の妥当性を明らかにしつつ、
間違いのない推論・証明が行うことによって
現代社会は発展してきたのです。

実際、計算機科学などはその最たる例ですし、
この概念を適用することでコンピュータが作られ、
今まさに現代社会を推進する力となっています…。


ただ、この一見真偽を明確にする二値論理も、
言語の不確かさなどによって矛盾が存在することがあります。


例えば、こんな命題を考えてみましょう。 

『私はTOTOに外れたから、当然、あなたには1円もあげない。』


この命題、真か偽か分かりますか?

実はこれ、どちらともとれるんですよ。

けれど、このような命題でも二値論理の場合、
真かまたは偽か、必ず判断せねばならないんです。

なんだか煙にまかれた、狐につままれたような話ですよね。


そんな事実を考えるとき、
私は、二値論理などの論理性はもちろん大事ですが、
今後その矛盾も含め、包括的に物事を考える必要があると思います。


数学の論理性、科学の進歩の裏に横たわる複雑な人間関係、情報の波…。

数学を教える立場の人間として、
数学的論理性と、
例えば確率などと関連するデタラメの世界を
いかに見せていくのか、
情操教育の観点でも
このことをしっかりと考えていく必要があるのかもしれませんね…。
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形式陶冶

2010-01-17 | 数学における心理学

ユークリッド幾何学では、点や線、面を次のように定義しています

 ●点とは、部分をもたないものである。

 ●線とは、幅のない長さである。

 ●面とは、長さと幅のみをもつものである。



私自身、このような定義に初めて触れたとき、

現実にこのようなものが存在するのだろうか、と不思議に思ったものです。


でも、この定義によって、タレスは測量の技術を研究することができたのです。


実際、当時のエジプト人は縄を使って測量していましたが、

タレスはその縄を「幅のない長さしかない線」として考え、

測量術を開発していったのです。



上記の例のように、1つの定義から実用場面などに適用する場合、

思考力、想像力なもちろんその問題に取り組む意思の強さなど、

精神的諸活動の力が醸成されることでしょう。


このように、知識や法則それ自体の習得に主眼を置くのではなく、

それを使いこなし発展させていくことで、

思考力や想像力など精神活動を支える能力を育てていく立場を『形式陶冶』といいます。



形式陶冶の考え方の裏には、

ある分野をしっかりと学習することで養成される能力は、

他分野に学習が及んでもそのまま生かされるという前提があります。


先ほどの例を再度引用すれば、タレスの測量術の研究の拠り所は、

ユークリッドの幾何に関する定義かもしれませんが、

その知の源泉を辿ると、哲学による思考の訓練でしょう。


ですから、

哲学によって得られた精神的能力がそのまま他の学問研究に生かされている…

と言えなくもありません。


ただ、この『形式陶冶』という立場は、

19世紀から20世紀当初までは力を持っていましたが、

『学習転移』に関する研究が進むと共に衰退、

今では『実質陶冶』との両輪が必要というようになってきています。



そのような中、私は今の教育において、

この『形式陶冶』という立場を改めて見直してもいいのではないかと思っています。


なぜなら、様々な訓練活動の過程から生じてくる『目に見えない』成果が

今のテストや成績などの数値評価によって見えなくなっているために、

個人個人がその発達状況等が見えなくなっているからです。



現在の学校教育は学習指導要領の内容を消化するだけで大変です。


そして、その知の授受だけで手一杯であるのは

私自身が学校教育の現場に携わっているのでよく分かります。


でも、だからこそ自分の今の教育実践の足を止めて

振り返ってみなければならないのではないでしょうか。


実際、彼らの誤答の中にも多くの発展の可能性が詰まっています。


それを間違いとしてスルーすることで、

その生徒の可能性を閉じ込めてしまっているのです。


ですから、

彼らがいろいろな場面で表現する創造性の部分をしっかりと受け止め、

どう発展させる方向に促せるのか…

その視点に立脚して自分の教科指導を見つめ直すことが今、

全人教育としての1つの関わり方として大切なような気がしてなりません。
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