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聖教新聞(2014/12/20) スタートライン 「怒られ力」を磨こう! 落語家 桂福丸さん

2015年02月08日 22時13分10秒 | コラム・ルポ

SEIKYO online (聖教新聞社):「怒られ力」を磨こう! 若い時は打たれてナンボです。 落語家 桂福丸さん

 

 最近の若者は怒られることが苦手で、打たれ弱いといわれる。師弟関係の厳しい落語界に身を置く桂福丸さんが、自らの経験を通し、怒られることを自分に生かす方法を、著書『怒られ力』(明治書院)にまとめた。フリーター時代や落語家としての修業中に怒られて得たものとは? 打たれ弱さに立ち往生する若者へのメッセージを、上方落語界の新鋭に聞いた。

 

 著書のタイトル「怒られ力」とは、どのような意味なのだろう。

 

 怒られたことから何かを得て、自分のプラスにする力を「怒られ力」と定義しました。

 「怒る」というのは、感情的な反応ですね。その人の機嫌によっても左右します。一般の会社でも、機嫌の悪い上司が、ささいなことで怒鳴ったりします。そんなことで怒られてはたまりませんが、それが社会の現実でしょう。

 今の時代を、私は「1億総イライラ時代」と呼んでいます。なぜか皆、イライラしている。感情的な不満、いわば「怒る」エネルギーが満ちています。その上、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が発達して、どこから「怒り」が飛んでくるか、分かりません。

 だからこそ、「怒られ力」が必要だと思うんです。無関係な「怒り」を気にしない強さがないと、生きることさえ煩わしく感じる時代ですから。

 

 福丸さん自身、怒られると必要以上に落ち込む性格だったという。

 

 打たれ弱さは、今も昔も全く変わっていません。

 しかし、怒られることから何かを得ようと考えるようになりました。人一倍打たれ弱かったので、怒られることに、何とか食らいついていこうと必死でした。

 大阪の立ち飲み屋でアルバイトをしていた時のことは、今でも忘れられません。

 毎日、ビールや串カツを運ぶだけ。仕事が面白くなくなった時期がありました。

 その感情が、表情や態度にも出ていたのでしょう。ある日、常連客のおっちゃんから「兄ちゃん、こんな仕事しょうもないと思ってるやろ」と突っ込まれました。

 その後の一言が、胸に突き刺さりました。

 「しょうもない仕事さえ、ちゃんとできへんのは、しょうもない人間の証拠や」

 今でも、だらけそうになった時には、このおっちゃんの言葉を思い返します。

 

 落語界に入門した当初、舞台裏で何をしていいか分からず、おろおろしていると、先輩から「何もできないなら帰った方がいい。邪魔になるから」と言われた。

 

 本当にショックでした。「帰った方がいい」というのは、「存在しない方がまし」と宣言されているようなものですから。

 そこで、先輩方のようにできなくても、今の自分に「何かできることはないか」を考えました。

 すると、二つの「できること」を発見しました。それは、「人よりも早く楽屋に行く」「あいさつをきちんとする」ということです。その結果、先輩に早く名前を覚えてもらうことができ、さまざまなことを教えてもらいました。

 怒られて、ふてくされても何も始まらない。それなら、自分が今できることを見つけ、実行することが大切と学んだのです。

  

 修業時代の3年間は毎日、師匠のそばにいて世話をした。この期間、師匠から毎日のように怒られ続けた。

 

 修業生活の間は、酒、たばこ、恋愛も禁止。一日中、師匠のそばを離れることができません。

 師匠も人間ですから、機嫌がいい時もあれば、悪い時もある。

 例えば、朝の稽古でお茶を出します。褒められる時もあれば、「茶ばかり出してるんじゃない」と怒鳴られる時もあります。

 “同じことしているのに、なんで?”と最初は理解できませんでした。しかし、1年半ほど過ぎると、何となく分かってきました。

 言われてからやる、いつもと同じようにやる、というのでは受け身。そうではなく、先のことを察知して動くということが身につきました。

 落語は、その人間の味みたいなものが出ます。人生経験が、反映します。その意味で、「怒る」ことを通して、今でも師匠が自分を鍛えてくださっていることは、ただただ感謝の一言です。

 

 最後に、社会の中で奮闘する若者へのメッセージを聞いた。

 

 入門して半年が過ぎたころだったと思います。師匠から「お前はまだ自分を出し切れてへんな」「わしも真剣でぶつかる。自分のいいところ、嫌なところを全部見せる。だから、お前も全身全霊でぶつかってこい」と言われました。

 全身が震えました。どんなに怒られても、師匠についていこう、と思いました。師匠が怒鳴った後、一番言われたのは「辞めたかったら、いつでも辞めろ!」でした。単なる脅しではありません。本気です。だからといって、簡単に辞めるわけにはいきません。辞めれば、それで終わりですから。

 「辞めません。続けさせてください!」

 この言葉を、私は何度叫んだか分かりません。師匠との「魂と魂のぶつかり合い」でした。その経験があったからこそ、自分を出せるようになってきた。私にとって、本当に大きな財産です。

 若い時は、「打たれてナンボ」です。怒られることに、全身全霊でぶつかっていく。その時、きっと自分にとってプラスとなる何かを得ることができるはずです。


■プロフィル
 かつら・ふくまる 落語家。1978年神戸市生まれ。灘中学・高校から京都大学法学部へ。卒業後、6年間のフリーター生活を経験して、2007年2月に四代目桂福団治に入門。お笑いの都である関西で、上方落語界の未来を担う。天満天神繁昌亭のほか、全国各地の寄席に出演している。


若者だけに限らず、自分も身につまされるメッセージだなぁ…と。 


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