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聖教新聞 (2018/ 6/17) 〈教育〉 子どもと歩む――“育自”日記

2018年08月08日 22時08分54秒 | コラム・ルポ

2018年6月17日 聖教新聞

 
 
 

 

 「子どもと歩む――“育自”日記」では、子育てを通して感じた、親・祖父母自身の気付きや成長のドラマなどをつづった投稿を紹介。また、投稿の内容に共感した識者からコメントを寄せてもらいます。

今は一番の親孝行者

 神奈川県横須賀市 石渡憲三 (無職 71歳)

 「曲がった竹は、伸ばすと折れる。けれど時間をかけて熱を加えて伸ばすと真っすぐになる。愛情をかけて見守るのだ」
 私が「子育て」で悩み苦しむ時に、父親から言われた一言である。
 仕事が多忙で帰宅が遅くなる毎日。思春期の末娘は非行に走り、夜もなかなか帰ってこない。残業で疲れた体を起こし、娘を探しにオートバイで深夜の町を走った。やっと見つけた娘は一人で階段にいた。のぞき込むと、にっこり笑顔。今でも忘れられないシーンである。
 あれから数十年たち、同じような出来事が孫にも起きた。これでもかと苦悶の連続だった。そのような時、父親の言葉を思い出し諦めずに接した。その中で気付いた。「苦しんでいるのは子ども自身だ。私の身勝手で子どもの行動を“悲行”と決め付けていたのだ」と。
 子どもからのサインを見逃さず、適切に対応をするのが理想だが、思い通りにはいかない。子育て最中は試行錯誤の連続。「子育てに王道なし」が私の実感。
 当時、一番私を悩ませた娘が、今では一番の親孝行者に。子育ての「苦楽」はわが家の「家宝」になったと感じる。  

自分を責めない

 大阪府茨木市 船川貴美子 (主婦 36歳)

 私は保育士として働いていました。保育士になりたての頃、子ども同士のトラブルが保護者を巻き込む問題に発展したことがありました。担任である私は対応に悩みましたが、中立の立場を取りました。
 すると、片方の保護者から「なぜ、先生は向こうを責めないんだ。先生は若いし結婚もしていない。子どもを産んだことがないから親の気持ちなんて分からないんだ!」と言われたのです。出産、育児を経験していないことは、その時の自分がどう努力をしても変えられない事実で、どうしたらいいか分からずつらく悲しい気持ちでいっぱいになりました。
 今は仕事を辞め、3歳と、1歳の双子の親となりました。
 あの時の保護者の言葉を思い出すことがあります。今は「仕事、家事、育児をこなし大変な中、わが子を守るための必死の言葉だったのだろう」と思います。私自身、現在、子育てをしながら、本当に“必死”な毎日だからです。双子を出産し、3歳の娘がいて、病院に行くにも買物に行くにも、誰かの力を借りないと過ごせないのです。
 保育士として働いて、何人もの子を見てきたのにたった3人の子をどうして見られないのか。「これまでの経験を生かして子育てをしよう」と目標を持っていたのに、日々の生活で精いっぱいになってしまう――。そうした自分を責めていました。
 しかし、次のように言ってくださる方がいました。
 「1人でやれないのは当然。みんなに力を借りて育てていくんだよ。いつか子どもたちが成長し自分が誰かを助けられるようになった時、お返しをしていったらいいの。お母さんが幸せな気持ちで笑顔でないと、子どもたちも心配しちゃうよ。頑張り過ぎちゃだめだよ」
 それを聞いて固まっていた心が解けていくようでした。
 家族や親戚、友達が手を差し伸べてくれ、温かいそうした人たちに支えてもらい、子育てをしています。子どもたちのためにも、笑顔の母になっていきたいと思います。

「奇跡の命だよ」

 埼玉県三郷市 中山よし子 (主婦 58歳)

 みずみずしい感性の孫たちから発せられた温かい言葉で、自分の心を育ててもらっていると感じます。
 次女の下の娘は、この春小学2年生になりました。友達を大切にする明るく朗らかな女の子です。
 幼稚園の時、家族で一緒にテーマパークに出掛けた際、私にほこりを取る掃除道具を買ってきてくれました。
 もったいなくて使わないでしまっていると、「大切にするということは大事に使うことだよ」と一言。また、小学1年生の時には、私が「(あなたは)この世に生まれた奇跡の命だよ」と伝えると、「よっちゃん(私のこと)も奇跡の命だよ」とすかさず返してきたことも。この言葉を聞き、幸せな思いでいっぱいになりました。
 1年生の終わりごろに発表した文章にはこう書かれていました。
 「私は縄跳びで前跳びができるようになりました。なぜかというと、私ができない時、先生が“縄の回し方が遅いから早く回してね”と言ってくれたから縄跳びができるようになりました。うれしかったです。先生に感謝しています」
 「先生に感謝しています」の言葉に私は感動しました。人は年を重ねたから大切なことを感じるのではないのだと。幼いすがすがしい生命は、吸い取り紙が全てを吸うように、生き抜く中で大切にしなければいけないことを学んでいるのだと感じます。
 これからも孫からたくさんの大切なことを学び、一緒に歩み、自身の心を磨いていきます。

「寸鉄」のように短く

 大阪市住吉区 安村良子 (主婦 83歳)

 小学5年生だった長男が母の日に「ボクのお母さん」と題した作文を書いた。内容は私のよいことを書いてあり、こんなにも評価してくれていたのかと胸が熱くなる思いで読み進んだ。
 ところが、最後に「注意は(聖教新聞1面コラム)『寸鉄』のように短くしてほしい」と結ばれていた。
 欠点ばかり追及し、事細かに注意する私の小言に、うんざりしながら耐えていたのかと思うと、金づちで脳天を殴られた思いがした。
 実際、当時は反発する長男と私の言い争いを聞く夫に「あんたら、サルとイヌだな」と嘆かれる状況だった。
 息子の作文を読み、大いに反省したが、なかなか簡単に「寸鉄」のようにはいかない。それでも、①注意をしたい時は大きく深呼吸をしてから②まず、よい所を見つけ、「こうした方がもっとよいと思うよ」と提案型で注意する――。こうした心掛けをしながら、私自身、少しずつ変化していったと思う。
 その長男も今58歳。よい父親になった。彼と私の会話を眺める夫が「あんたら、本当に同志だなあ」とうれしそうに評価してくれている。
 「寸鉄」のおかげで今の素晴らしい母と子の関係になれたと感謝している。

私も共感! 識者の声/こどもコンサルタント 原坂一郎さん

●親子が笑顔になる秘訣

 「子育てがうまくいくポイントは?」と聞かれたら、私は「子どものありのままの姿を認めること」と答えています。子どものことを否定すると、その口から出てくるのは文句や小言になってしまうのですが、認めると笑顔が出てきます。きょうの投稿を読んで、それは姿だけでなく言葉も同じだということが分かりました。
 聞いて嫌な気持ちになる言葉、耳が痛くなる言葉は、つい否定したくなります。でも、きょうの投稿者の方は、自分が言われた子どもの言葉を否定せずに認め、受け止めたからこそ、さまざまな気付きがあったようです。
 普段私たちは、目上の人の言葉は認め、わが子や孫など、自分より下に思っている人から言われた言葉は、否定しやすくなります。例えば、会社の上司が「暑いね」と言うと、「そうですね」と言うのに、子どもが「暑いね」と言うと「走るからでしょ」「3枚も着ているからでしょ」と、認めるどころか文句を言うこともあります。これでは自分も子どもも笑顔にはなれませんね。
 人の言葉はまず認め、共感することでお互いが笑顔になれるということを、きょうの投稿者の方々から学ぶことができました。
 私も見習って、相手が誰であれ、自分が言われた言葉は、すべて丸ごと認めようと思います。まずは、奥さんの言葉からでしょうか……。


久しぶりに原坂氏の文章に癒された…。

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