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聖教新聞 (2018/ 6/ 9) 〈スタートライン〉 川越救急クリニック院長・救急専門医 上原淳さん

2018年07月03日 22時18分47秒 | コラム・ルポ

〈スタートライン〉 川越救急クリニック院長・救急専門医 上原淳さん

2018年6月9日

結果から学び 次の一歩へとつなげる
 
 

 「私、失敗しないので」――ある人気医療ドラマにおける外科医の決めぜりふである。専門分野であっても、決してたやすいことではないが、救急医療の現場では、専門外の傷病とも向き合わなくてはいけない瞬間が訪れる。今回のスタートラインでは、2010年に、日本で初めて個人で救急クリニックを立ち上げた、埼玉県「川越救急クリニック」院長の上原淳さんに、救急医療の現場の実態と、そこに懸ける思いを伺った。

夜間の診療に特化

 川越救急クリニックは、1年を通してほぼ休みなく開院。外来診療時間は、午後4時から10時まで、救急診療は翌朝午前9時まで行っている。
 土日や祝日になると、患者が列をなしていることも少なくない。
 「地域の診療が手薄となる夜をカバーしようと、当初は金、土、日、月だけでスタートしました。救急医の役目は、患者さんのどこが問題で今どういう状態で、すぐに対応するのか、急がないのかを判断して専門医につなげること。
 もちろん症状があればここで対処します。症状が改善しなければ朝まで処置を続けることもあります。朝には、他の医療機関のスタッフがそろうので、最善の手を打った状態で診てもらえるように尽力します」

忘れられない患者

 日本の救急医療は1次から3次までの段階に分けられている。
 1次救急とは、初期救急医療ともいわれ、帰宅可能な軽症患者に対する医療。2次救急とは、入院治療を必要とする患者に対する医療。そして、3次救急とは、一刻を争う重症患者に対する医療で、高度な処置を必要とする救命救急センターなどが対応に当たる。
 上原さんは、福岡の産業医科大学を卒業後、麻酔科医として勤務を始め、指導医の資格を取った後に救急医療の道に進んだ。
 当時は、2次救急を担う病院に勤めていたが、そこには救急医療全般を学んだ人は一人もいなかった。ある時、バイクで事故を起こした10代の少年が運び込まれてきた。外科医を呼んで共に対応したが、外傷がひどく助からなかった。
 「もっと技術があれば、態勢の整った救命救急センターなら救えたんじゃないかと自分の無力さを痛感しました。亡くなった命と向き合ううちに、この子が生きた意味を誰かがどんな形でもいいから具体化しなきゃいけないと思ったんです」
 悩んだ末、さらなる救急医療の技術を身に付けようと、37歳で埼玉医科大学総合医療センターの高度救命救急センターに移り、待ったなしの現場で人の命と向き合った。医局長となってからは、救急医療が抱える課題に直面した。

救急医療の現実

 「3次救急を担う医療機関には、救急を専門的に学んだ人が多くいますが、一番患者が集まる2次救急には内科や外科などの専門医ばかり。彼らが交代で当直をやっているところがほとんどです。例えば、整形外科医が当直の時に、糖尿病の救急患者を診られるかといえば難しい。自分の専門外で、何かあるといけないので救急車を断るというのが、一般的な2次救急病院の現状なんです」
 各科の当直がいる場合もあるが、夜間の人件費が掛かり、態勢を取れる病院は少ない。軽い症状の患者が受け入れを拒否され、3次の病院に運び込まれる。すると、そこにいる医師の負担が増え、結果、本来受け入れるべき患者を受け入れられない現象が生まれてしまうという。
 2013年には、20以上の病院が受け入れできずに男性が亡くなった例もあった。埼玉県では、救急隊がリアルタイムで診療科目などの情報を把握できる救急医療情報システムを採用。改善はされているが、医師不足が深刻な埼玉では、まだ十分ではない。
 救急医療を充実させるというと、ドクターヘリの導入などが取り上げられるが、これは3次救急の話だ。
 「9割以上を占める1次や2次の患者をどうするかが大きな問題なんです」

求められる力

 このような問題意識から、“誰もやらないのであれば、自分がやるしかない”と上原さんは、2010年、救急に特化したクリニックを開設した。同クリニックでは、1次・2次救急の患者を積極的に受け入れている。原則として救急患者を断らず、救急車の受け入れ台数は、年間約1600台にもなっている。
 救急医療の現場では命を救うため1分1秒が重要になる。その判断には常にリスクが伴う。
 「胸が苦しいと運ばれてきた患者の治療をした時のことです。検査し、『大丈夫だと思うよ』と伝えている最中に、容体が変化。再検査の結果、心筋梗塞を起こしかけており、処置できる病院に転院させたケースもあります。もし、変化に気付かずに帰していたら、責任問題になっていました」
 リスクを覚悟で、上原さんが救急の現場に立ち続ける理由は何か。
 「やっぱり人を救いたいんですよ。診断できるのは医者で、救急の世界にいる僕もその一端を担っていると思ってます。それにリスクばかりじゃないんです。重症だと判断し転院となり、無事に助かった方が訪ねてこられ、『あの時は本当にありがとうございました』と言われる喜びは他には代えられません。また、救えなかった少年に対しても“あなたの分まで頑張ってます”と自信をもって答えたい。だからつらくても頑張っていられます」
 開院して8年。上原さんの取り組みを知り、見学にやって来る医療関係者が多い。その結果、全国で少なくとも5カ所に救急科をメインに標榜しているクリニックが誕生している。救急医療の現場をなんとかしたいという思いは、少しずつ広がりを見せる。
 「自分が目の前の患者を救うんだと決めた時、失敗したらどうしようなどと考えている暇はないです。あらゆる可能性を探り、手を尽くす。手を尽くした結果からどう学び、次につなげていくのかが大事なんです。
 若い人も、もし今、どうにかしたい現状があるなら、失敗を恐れず、まずやると決めることです。課題に直面したら、いろんな手を尽くして向き合っていく。そうやって自分の道を切り開いてもらいたいですね」

 うえはら・じゅん 1963年生まれ。89年産業医科大学を卒業後、麻酔科医として九州厚生年金病院(現・JCHO九州病院)などに勤務し麻酔科指導医の資格を取得。98年から九州厚生年金病院で救急担当医に。2001年から埼玉医科大学総合医療センター高度救命救急センターにて勤務。10年、救急科に特化した個人病院の川越救急クリニックを開業。15年にはNPO法人日本救急クリニック協会を設立し、理事長に就任。

 【編集】沖田高志 【写真】中谷伸幸 【レイアウト】若林伸吾


単純に「カッコいい…!」

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