東京からの九州行きブルートレインの先陣を切った「さくら」。名古屋からわざわざ紀伊半島を回って天王寺を目指した「くろしお5号」。新幹線開通前の東北線を快走した「はつかり5号」。ちょうど40年前、昭和52年10月号の「国鉄監修 交通公社の時刻表」を開くと、名列車たちがよみがえる。いま挙げた3本の特急には共通点がある。それはエリートトレインの証明である列車番号「1」が付けられていたことだ。

 ■ファーストナンバーの風格

 下り「さくら」は16時30分に東京を出発。長崎行きが食堂車込みの8両、佐世保行きが6両。計14両を電気機関車EF65の500番台がピンク色のヘッドマークを掲げて牽引していた。列車番号は「1」。まさに国鉄を代表する特急列車の風格を感じさせた。

 下り「くろしお5号」は名古屋9時50発。新宮、白浜、和歌山と紀勢線を丹念にたどり、天王寺には18時14分着。前面のデザインからブルドックと呼ばれたキハ81を使用していた。列車番号は「1D」だった。

 下り青森行き「はつかり5号」の列車番号は「1M」。16時に上野を出発すると停車駅は宇都宮、福島、仙台、盛岡だけ。夜は寝台特急、昼は通常の座席特急として使われた583系の13両編成で、自由席はなく、まさに選ばれた特急といった感じだった。

 ■列車個々への識別番号

 列車番号は国鉄、JR各社のすべての列車に付けられており、業務上、列車を指し示す場合はこの番号が用いられる。例えば、大阪駅の姫路行き新快速は1日に何本もあるが、列車番号「3417M」といえば8時38分発と限定される。下りは奇数、上りは偶数で、末尾に電車の場合は「M」、ディーゼルカーの場合は「D」が付き、客車の場合は何もつかない。全国で同じ番号が存在する可能性もあるが、走行区間は重ならないようになっている。

 時刻表にも掲載されているが、あくまで内部的なもの。しかし、その番号が1桁なら格の高い列車とされ、「1」ならば、その路線を代表する列車と認定されたのに等しい。現在、ブルートレインの廃止で客車の番号「1」を付けている列車は存在しない。

 ■国鉄のプライド

 当時、列車番号「1」はほかにもあった。函館発釧路行きの「おおぞら1号」は「1D」。その「おおぞら1号」に接続する青函連絡船は「1便」。さらに、青森で連絡したのは「1M」の「はつかり5号」と、上野から乗る列車、連絡船すべてが「1」だ。

 「はつかり」は5号より先に上野を発つものの、青森や函館での接続があまりよくなかった1〜4号には2桁の番号が与えられていた。つまり5号は北海道連絡の中心を担う列車と位置付けられていたのだ。まさに王道の接続パターン。長距離輸送は我らが担うという、当時の国鉄のプライドが感じられる。

 ほかにも名古屋発富山行きの「しらさぎ1号」や東京発館山行きの「さざなみ1号」などが「1M」。「しらさぎ」は現在もファーストナンバーをつけている。当時、ヒット曲で有名になった新宿8時ちょうどの「あずさ2号」は「3M」。ちなみに昭和53年10月のダイヤ改正で、下り上りは関係なかった号数の付け方が下りは奇数、上りは偶数となったため、新宿発の2号は「あずさ3号」になった。


PCを打っている机の引き出しに、昭和51年3月号の時刻表が入っているんだよねぇ。

ついつい見返してしまったよ。