最近はビジネスパーソンの「体調管理」「筋肉鍛錬」への関心が高まっているようです。しかし、どうしても「始められない」「続かない」という人も多いでしょう。仕事の「徹底度」を重視し、外資系企業のトップとして長年にわたり結果を出し続け、活躍した吉越浩一郎氏(近著に『気力より体力』がある)が語ります。

有給休暇を取れといわれても、そう簡単にはいかない――。前回記事を読まれた方のなかには、そんなご意見を持った人も多くいたようです。

残念ながら、それが多くの日本企業の実態なのでしょう。現在、企業に「社員には最低でも年に5日間は有給休暇を取得させる」ようにするための法改正への議論が行われています。ただそれも、日本もようやくここまで来ました、といったレベルの話で、まだまだ遅れています。

もっといい仕事をしたい、してもらいたいと思っているのなら、そのためにもしっかりと休暇を取得し、心身を休ませ、リフレッシュをしてほしいと、私は強く思っています。

こういったことをお話しすると「休んでいては、目の前の仕事が終わらない」「査定に響く」と考える人もいるでしょう。だから休まないし、リフレッシュもしないというわけです。それでは、いつまでたっても、進歩はありません。

「自分の体をあきらめたとき」に起こること

確かに、明日休んだら、今日終わらなかった仕事は持ち越しになります。明日から1カ月間の有給休暇を取得したら、今期の査定に響くかもしれません。しかし、それがどうだというのでしょう。

「今は休めない」と考える人は、休まないことで、体力回復とリフレッシュの機会を自分から奪っているという自覚が足りないのではないでしょうか。

目先のことに追われるその働き方は、何かに似ています。そう、ブラック企業です。ブラック企業は、忙しさを口実に、従業員を休ませず、ひたすら長期間労働をさせます。そうして搾り取るだけ搾り取って、体力と気力のゲージがゼロになったと見切ったら、その従業員をポイ捨てします。そうでなくとも、心身の健康を害し、従業員自ら辞めていくことになります。

私は、そもそもブラック企業がブラック企業のままである原因は、レベルの低い経営者の考え方であり、まさに無責任であると思っています。

経営者が仕事に見合った給与と、残業のない仕事の環境と適切な休暇を用意すれば、体力と気力に満ちた従業員を十分に、しかも安定して雇用でき、目先の仕事のために無理な働き方を強いることはないはずです。むしろ、意欲が高く、効率よく、はるかに高いレベルの仕事をすることができるはずなのです。今、よく言われている「働き方改革」ともつながってきます。

それなのに従業員になりふり構わない負担を強いているのは、経営者が、自分の会社を健全に、かつ持続可能な経営をしようと考えていないからです。別の言葉で言えば、持続可能な企業経営を「あきらめている」のです。

PDCA(Plan、Do、Check、Act)という言葉を聞いたことのないビジネスパーソンはいないでしょう。計画、実行、評価、改善を繰り返すことで、業務を継続的に改善するという、マネジメント業務の基本的な考え方です。

ブラック企業の経営者は、最後のActを放棄しています。彼らのPDCAはPlan、Do、Check、そして、「Akirameru」になっているのです。改善をせず、ただただ、現状を放置し、あきらめてしまっているのです。

さてこの考え方は、個人の働き方にも当てはまります。

「体のブラック企業化」を避けるために

休まずに、目の前の仕事を終わらせることにばかり振り回されている人は、あきらめているブラック企業の経営者と同じです。自分の体の経営を、あきらめてしまっているのではないでしょうか。

ブラック企業の経営者のところへは、新しく犠牲になる社員がやってくるかもしれません。しかし、自分の体の経営を失敗した場合は、取り返しがつきません。あなたにとって、あなたの代わりはいないのです。

自分は唯一無二の「自分の体」の経営者――その視点で、あらためて自分自身を見つめ直してみてください。

“従業員”がさくさくと働けるよう、残業を徹底的に削減し、しかも十分な休みを与えていますか? 成果に応じて“報酬”をアップさせていますか? “サステイナビリティ”を確保するためにどんな工夫をしていますか?

あなた自身の体については、他の誰も、こうしたことを考えてはくれません。あなたが考え、決めていくしかありません。そして、これを放棄したら“体のブラック企業化”一直線です。

あなたはひたすら体力を削って仕事をする、ブラック企業的な人生を送りたいのでしょうか。決してそんなことはないはずです。

自分の体を“ホワイト企業”にすることのメリットの話をしましょう。

かつてアメリカでは、「肥満の人は出世できない」と言われていました。肥満体は自己管理能力の欠落を表す――というのが根拠でしたが、最近はこの手の話を聞かなくなりました。差別につながると考えられるようになったからなのかもしれません。

私も、このような外見とその人の仕事の能力、気力、それらの源となっている体力とは無関係だと思っています。大事なのは、「どう見えるか」ではなく、あくまで「体調管理にどれくらい気を使い、それを実行し、健康であるか」だからです。

体に気を使い、実行している人が、不健康そうな見た目であることはありません。体力があることのおまけとして、顔色や目の輝きに、健康であることがオーラのようににじみ出ています。見た目は、体力・体質・体調が万全なら、自然と魅力的になるものなのです。

そうなれば、仕事もますますできるようになり、自信も芽生えるでしょう。

肥満の人が出世できないというよりは、体からオーラを放つ健康的な人が出世し、人生を楽しめると言ったほうが、現実に即していると私は思います。

リーダー・経営者に必要な「体力」とは

健康的なオーラを身にまとって組織の経営者・リーダーになったなら、その時には自分の体だけでなく、その組織をも、同じ考えに立って経営する必要があります。そのときに必要なのは、最後が「Akirameru」にならない、本当のPDCAです。決してあきらめることなく、自分自身と組織の健康状態が良好に保たれているか、そうでない場合にはどうやって改善してサステイナビリティを保つかを、常に気にかけていないとなりません。経営状態が悪化した企業の経営者には、この視点が欠けています。

私は、経営者たるものはその組織をブラック企業化しないことはもちろん、無条件で増収増益を続ける責務を負うべきだと考えています。ですから、組織にとって重要なサステイナビリティという観点を重視して経営に当たってきました。

組織のトップに限らず、リーダーにはこの視点が必要です。もしあなたの上司が、根性と義務感の産物である残業を好み、定時で帰る部下を好ましく思わないタイプなら、その人から嫌われても気にすることはありません。その上司は、はじめからリーダー失格だからです。残業をして成果を出そうなどというのは、サステイナビリティを無視した、実にブラック企業的な考え方で、結局は良い結果を生み出せません。

この視点は、いま、自分自身の体を経営するときにも欠かせません。
最後にもう一度お尋ねします。

「あなたは体力を削って無理をする、ブラック企業的な人生を送りたいですか?」


…ということで、心身ともに不調をきたした自分は退職することにしたんだけど。 

多くの同僚が自社のことを『ブラック企業』呼ばわりしているのに、やはり会社側が労働者側よりも有利だから、我慢をするしかないんだろうねぇ。

現状の自分としては、先行きの不安よりも、ホッとした気持ちのほうが大きいよ。