今日は日中の陽射しが大分暖かく感じられましたので、事務所のある中目黒から渋谷の打合せ先まで、歩いてみることにしました。ゆっくり周りの風景を眺めながら、30分強くらいの距離です。
駒沢通りを鑓ヶ崎交差点で左折し、旧山手通りを246まで直進して行きます。途中には建築家の槇文彦氏が設計した代官山ヒルサイドテラスがあります。
これはC棟の外観です。ヒルサイドはコンクリート打ち放しと白系のモザイクタイル、と思い込んでいたのですが、C棟は良く見ると吹き付け、しかも2色吹きでした。2.5Y 7.0/1.0程度のベースに、10YR 4.0/2.0程度のやや濃い目のブラウンが散りばめられています。
遠目で見ると、コンクリートのコタタキ仕上げのような雰囲気です。実際、私はその仕上げだと思い込んでいました。近付いて見ても、2色のまだらの感じが石調吹き付けのようにも見えます。吹き付けと言うと建築外装の仕上げ材としては比較的廉価な材料で、多くの住宅などでも採用される、本当に一般的な仕上げです。
ところが、表面の細かな凹凸と、少し黄味のあるライトグレイの背後に見え隠れするブラウンのつくり出す陰影が、何とも言えない自然な表情と深みを感じさせます。
それをTwitterでつぶやいたところ、クリマのスタッフ・片岡君から以下のようなリプライが来ました。
『自動車の交通量増加に合わせて、汚れが目立たないように塗られたと何かで読んだ気が…。』
さらに、
『【ヒルサイドテラスC棟(1973年)について】北側前面道路の自動車交通量の急激な増加にともない、当初、外壁はコンクリート打ち放し+フジコートを予定していたが、第二期建設時に、A棟B棟とも同じ吹き付けタイルに変更された『ヒルサイドテラス白書』より抜粋』
と続きました。それを見た私は、建築家としては不本意な選択だったのかなと思い、それを問いかけたところ(私は3件の打合せで都内移動を繰り返していたので…)。
『不本意というよりは品質を維持するための『条件』になったのではと思います。その時代ごとの最適解を求める中で、仕上げも変異しD棟以降はタイルになっていきますね。 元倉さんのアネックスは、打ち放しだけど、交通量と撥水剤の性能アップによる判断ではと推測。』
という返事が。この推測には素直にうなずいてしまいました。ヒルサイドテラス計画は25年六期に渡る時間の経過の中で、表情豊かなひとつのまちなみが形成されています。その“時代ごとの最適解”という考え方が、適度なゆとりを感じさせ、時代の流行や変化に流されることなく、多くの人を魅了し続けているのではないか、と感じました。
今から25年以上も前、高校二~三年生の頃、よくこのあたりに自転車で(世田谷から)散策に来たことを今でも覚えています。C棟には“クリスマスカンパニー”という一年中クリスマス・グッズを扱うお店があり、海外から集められたオーナメントやカードを眺めては本当にワクワクしたことを思い出しました。
美大を目指してデッサンとアルバイトに明け暮れていた高校時代、自分が大人になってこの場所の近くで、建築や環境と向き合うことになるとは夢にも思いませんでしたが、何かここが自分のルーツというか、私にとっての“初めての建築”だったのかもしれない、と考えています。
駒沢通りを鑓ヶ崎交差点で左折し、旧山手通りを246まで直進して行きます。途中には建築家の槇文彦氏が設計した代官山ヒルサイドテラスがあります。
これはC棟の外観です。ヒルサイドはコンクリート打ち放しと白系のモザイクタイル、と思い込んでいたのですが、C棟は良く見ると吹き付け、しかも2色吹きでした。2.5Y 7.0/1.0程度のベースに、10YR 4.0/2.0程度のやや濃い目のブラウンが散りばめられています。
遠目で見ると、コンクリートのコタタキ仕上げのような雰囲気です。実際、私はその仕上げだと思い込んでいました。近付いて見ても、2色のまだらの感じが石調吹き付けのようにも見えます。吹き付けと言うと建築外装の仕上げ材としては比較的廉価な材料で、多くの住宅などでも採用される、本当に一般的な仕上げです。
ところが、表面の細かな凹凸と、少し黄味のあるライトグレイの背後に見え隠れするブラウンのつくり出す陰影が、何とも言えない自然な表情と深みを感じさせます。
それをTwitterでつぶやいたところ、クリマのスタッフ・片岡君から以下のようなリプライが来ました。
『自動車の交通量増加に合わせて、汚れが目立たないように塗られたと何かで読んだ気が…。』
さらに、
『【ヒルサイドテラスC棟(1973年)について】北側前面道路の自動車交通量の急激な増加にともない、当初、外壁はコンクリート打ち放し+フジコートを予定していたが、第二期建設時に、A棟B棟とも同じ吹き付けタイルに変更された『ヒルサイドテラス白書』より抜粋』
と続きました。それを見た私は、建築家としては不本意な選択だったのかなと思い、それを問いかけたところ(私は3件の打合せで都内移動を繰り返していたので…)。
『不本意というよりは品質を維持するための『条件』になったのではと思います。その時代ごとの最適解を求める中で、仕上げも変異しD棟以降はタイルになっていきますね。 元倉さんのアネックスは、打ち放しだけど、交通量と撥水剤の性能アップによる判断ではと推測。』
という返事が。この推測には素直にうなずいてしまいました。ヒルサイドテラス計画は25年六期に渡る時間の経過の中で、表情豊かなひとつのまちなみが形成されています。その“時代ごとの最適解”という考え方が、適度なゆとりを感じさせ、時代の流行や変化に流されることなく、多くの人を魅了し続けているのではないか、と感じました。
今から25年以上も前、高校二~三年生の頃、よくこのあたりに自転車で(世田谷から)散策に来たことを今でも覚えています。C棟には“クリスマスカンパニー”という一年中クリスマス・グッズを扱うお店があり、海外から集められたオーナメントやカードを眺めては本当にワクワクしたことを思い出しました。
美大を目指してデッサンとアルバイトに明け暮れていた高校時代、自分が大人になってこの場所の近くで、建築や環境と向き合うことになるとは夢にも思いませんでしたが、何かここが自分のルーツというか、私にとっての“初めての建築”だったのかもしれない、と考えています。