環境色彩デザインを考える人へ

長年の経験と実践の中から、色彩デザインに役立つ情報やアイデアを紹介して行きます。

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伝えるための環境をデザインする

2011-05-31 22:39:26 | 日々のこと
2008年より母校(武蔵野美術大学)にていくつかの講義・演習指導を担当しています。それ以前の2005年から静岡文化芸術大学でも非常勤の職に就いていたため、母校に行くことが決まった2008年は自身の経験を通して何かを伝える、ということの意味が少しわかってきたように思えた時期でした。

それが一つの視点ではあるものの、自分の考えがある部分では全く間違ったものであったなと近年、強く感じています。もちろん、経験以上の事を出すことは出来ませんが、時代の変化や要請、更には学生との協働や相互作用により色彩の可能性を探求し続けなくてはならない、とも考えています。

静岡文芸大はアウェー・母校はホーム、という意識がありました。アウェーでは私がどのように学び、どのような仕事をしているか知らない・興味がない人が殆どです。ですから、これでもかというくらい毎年準備には時間がかかります(もちろん、要領の問題もあり)。母校の場合も準備は同じですが、唯一『これは伝統的にこういう風に進めてきた事だから』と、良くも悪くもこれまでの流れに乗ってしまう部分があります。

ところが母校と言えど既に卒業して数十年が経過しているわけですから、初対面の学生と対峙するという意味では、いつでも・どこでもアウェーなのだ、ということを。母校だから、という甘えの気持ちがあったのだと思います。

とある学科では90名超の一学年に対し、大教室で講義・演習を行っていました。私の担当は90分2コマ×2週。もちろん、一人ひとりの顔や名前を覚えることはおろか、じっくり数名と対話をすることすら出来ません。ですから、与えられた90分×4回の授業を目一杯使いきろうとしました。

90数名が一つの教室で色票を使った緻密な演習に集中する、ということが困難な状況であることは初めから感じていました。こちらも様々な工夫を凝らしましたが、集中できない学生が例年2割くらい。昨年は授業の進行の妨げになるほど会話を止めない学生がいたので、とうとう『出席取ったから集中できない人は出て行ってくれ』と宣言をしてしまいました。

自身が学生の際も正直、課題とアルバイトに明け暮れ毎日眠かったですし、似たり寄ったりの部分はありましたので、それを『今時の学生は…』等と片付けるつもりは毛頭ありません。ただこの時考えたのは、集中できない学生の態度云々より、集中出来る環境づくりに自身が全力を尽くしたか、ということがとても気になったのです。

そこで、私の組み立てた授業内容の何に問題があり、どこをどう改善すべきなのかを研究室の助手や教授陣に問いかけてみました。私としては与えられた状況の中で精一杯力を尽くしてきたつもりだったので、これ以上何をどうすればいいのかという半ばすがる気持でした。もっと学生が集中したくなるような別の講師を探した方が良いのでは、とまで言い添えました(これは少々ヤケクソ気味に…)。

ところがそれが思わぬ展開に。なんと『講師が学生の態度の悪さに激昂しているらしい!』と、教務課をも巻き込み大問題に発展してしまったのです。しかもそのことを私に知らせてくれたのはあろうことか色彩論の教授(=今の会社のボス)。『一体何やったの?』と言われた時には、あーとうとうクビか(笑)と。半分は本気でした。

どのような結果になっても自身が招いたことなので、あれこれ言い訳をするつもりもなく、腹を括っていたのですが。最終的には今年度から90数名1クラスを2つに分けて講義・演習を行うことに決まったそうです。教室の確保や授業が倍になれば当然講師も増やす必要があり、研究室の方々のご尽力無くしては叶わなかったことと思います。私は具体的に2クラスに分けた方がいいと進言した訳ではありませんが、恐らくそうしなければ問題の根本は解決できない、と他の多くの先生方も感じていたのではないかと思います(とても自分に都合よく解釈・笑)。

今年度は別の事情からその学科の講義・演習をお引受けできなかったのですが、確実に授業環境は格段に向上すると思います。もう学生が集中できない理由がない(笑。

このことで、自身が正しかったのだとか、そういうことを記しておきたい訳ではありません。この時痛感したのは、何か問題がある場合、自身の行動によってしか物事を変えることは出来ないのだということ。

何事においても既存の手法や方法論を変えることを目的にしている訳ではありませんが、一方で既存のやり方を常に疑い、どれだけいつも新しい状態で可能性を探求し続けることも必要だと考えています。

より良く、のためにどれだけのことができるか。また今年も仕事と講師を往き来しながら思い悩む日々が始まろうとしています。

…やれやれ(苦笑。
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それでも周辺の色が拠り所になる

2011-05-30 21:22:35 | 日々のこと
引き続き、屋根の色について考えています。先日、twitterでは『なぜ青い釉薬瓦が広まって、受け入れられたのか』等の疑問も頂き、色々考えているところです。瓦メーカー・組合等の資料によると、青系色の流行は昭和40年代(1965年~)とありますから、やはり最も関わりが深いのは高度成長期、戸建住宅の供給が一気に増えたことが挙げられると思います。

塗料についても同様ですが、1970年に開催された大阪万博を機に、建材における色彩が一気に多様化したという歴史があります。それまでに人々が見たことの無かった鮮やかな色彩が万博のパビリオンに出現し、日本の技術の向上と共に『色を使う』ということが広く普及したのだと思います。

建材に限らず、色の種類が豊富ということはすなわち、日本の暮らしの豊かさを表す一つの指標であったのではないでしょうか。モノが無い時代から、家電・車・一軒家を次々に手に入れて来た日本人。物質の充実・多様化と色は切り離せない間柄です。

新しいものに目を惹かれやすい、という側面も無視できないでしょう。最近でこそ『ベーシックな方がいい』とか『家電等もモデルチェンジのサイクルが早すぎ』と言った意見も多く聞かれ、私自身も大学入学当時からそのように感じていましたが、やはりモノの無い時代を体験してきた親の世代からすれば、新しいことが何かそれまでの(恐らく陰鬱とした)雰囲気を変え、未知の夢や華やかさを感じさせたのではないかと思います。

住宅の洋風化も当然、そのような時代背景と密接に係っており、恐らく新しい暮らしへの憧れの方が(例えば家電の普及は女性の社会進出に大きな役割を果たした)勝っていたのだと思います。

話がそれて来ました…。この点については、昨年から建築・都市の色彩年表をつくろうと企画を温めており、少し数字を意識してネタを集めている最中で、まだ自身の中でも整理しきれていませんので、ご了承下さい。

このような建材の歴史や住宅様式の変遷を経て、特に都市部の住宅市街地にかつての面影が見られない、或いはニュータウンと言われる宅地開発により、新しい手法を用いたまだ歴史の浅いまちが存在します。

こうした現代の環境において、色彩的な調和を形成するということはとても難しい作業です。例えるなら焼け石に水、とでも言いましょうか。穏やかな色はどうしても埋没しがちであること、またサイズの小さなサンプルで見る時、どうしても強い色の方を選びがちであるという心理的な要因も大きく影響しています。

環境色彩デザインはそれでも、やはり周りで大多数を占めている基調色、を探すことから始まります。ニュータウンにはニュータウンの色があり、様式が多様化し一見無秩序化したように見える市街地にも7~8割程度はこの色にまとまっている、という範囲が必ずあります。

どのような場合にもまず一度は、この周囲の基調色と同調出来る色、を考えます。その場に当てはめてみて、どの程度の馴染み具合なのか、『馴染んでいて何が問題なのか』、さらに『主張が必要な場合の必然性』を考えて行きます。

極端な例ですが、現代のまちなみを江戸時代の長屋が建ち並ぶようなまちなみに戻すことは出来ませんし、時代の中で創造し新しい文化を育んでいくという人の営みは否定出来るものではありません。

しかし環境の色については、時代の先を見据えて新しい環境の可能性を探求すること以上に、かつてまちがもっていた色の構造やそのまちならではのルールを読み解き、引き継いだり再生したりすることを考えて行かないと、新しい環境を“より良く出現させること”が不可能なのではないか、と考えています。
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屋根色の統一を図ることの難しさ

2011-05-25 22:58:24 | 日々のこと
カラーコーディネーター、カラーコンサルタント、カラーアナリスト、カラーアドバイザー…。色々な呼び名があるものです。色は建築やデザインのみならず、プロダクトやファッションなど様々な分野に係わりを持つことが出来るため、色彩学の基本的な調和論等を基盤に、色の専門家として活躍されている方も多いのではと思います。

環境色彩デザインはいわゆるカラーデザインの範疇に留まらず、多様な素材との関係性はもちろん、建築の規模や形態、更には地域の文化や歴史などの特性を読む、というプロセスを大切に考えています。

そのため、『住宅の屋根は色を揃えるとまちなみが美しくなります』というような、配色の教科書に書いてあるようなことをそのまま抜き出して宣言しているだけでは、実現可能な提案にはなりません。

屋根景観については、これまでもいくつかの切り口から書いて来ましたし、CLIMATレポートのイタリア編でも遠景・中景・近景というテーマで取り上げている項目です。

【イタリア・アッシジの屋根並み】


イタリア視察で印象的だったことの一つに、先へ・奥へと引き込まれる、という感覚がありました。路地の先にまちなみが延々と広がっていて、連続する家並みに視線だけでなく体が引き込まれ、時間の経過も忘れて歩き続けた記憶があります。

素焼き瓦を葺いた屋根並みは、その地域で伝統的に用いられてきた素材です。地域の土を使った屋根や壁はもとの素材が限られていますから、色彩の巾も多様な色むらを持ちつつも範囲はごく狭いエリアに集中しています。

【建築様式の多様化により素材・色彩の巾が広がった日本の屋根並み】


日本では1960年代以降、戸建住宅の様式が一気に多様化しました。外壁に塗装やタイルが使用され、外観のスタイルも洋風化し、南仏・スペイン・英国風…のデザインが次々に流行しました。屋根瓦も外観に併せて洋瓦へと推移して来た、という流れがあります。

色の巾が拡大したことにはこのような明確な要因があります。かつては地域で、或いはその近郊から入手しやすい国産の建材を使っていたところへ、世界各地で使われている様々な素材・色が流入し、更にそれに似た製品が国内で生産されて来ました。良質な建材が豊富な色数をもって、しかもどんどん価格が手頃になっていく。そうした建材の物流とまちの色は大きな係わりを持っています。

これらのことが良く無かったのだ、と言い切るつもりは毛頭ありません。ですが、調和ある屋根景観を創造しようと考える時、かつてはどの地域もが持っていた固有の素材や色の範囲を知らずには、調整のしようが無いと思うのです。

何度も書いていることですが、色は相互の関係性です。上の写真の例でも、青がよくない・黄赤がよくない、ということではなく、全体のまとまりの中で突出して目立ちすぎたり、色相の対比が強く違和感があったりすることがまちなみの雰囲気を阻害する要因として働く、ということだと思っています。

いっそ全部青い瓦屋根ならば、連続感のある風景になり得る。ですがそれは遠景からの評価であり、中景・近景の視点から考えるとやはり建築の様式や外観のデザイン、素材・色彩と馴染んだ色を選定する必要があるでしょう。

屋根の色を統一して欧州のような美しい景観をつくる。これを現代の日本において実現することがいかに難しいか…。ですから、面的な開発に係わる場合は特に屋根材の選定に気を使います。多くの方が『折角色々な種類があるんだから壁の色に合わせてたくさん使ってみたら』と言います。サンプルを見ていると確かに、魅力的な色が多くあります。ですが、その一帯がどのような場所から見下ろされるか、或いは周辺にある中高層の建物からの見え方などを考えると、共通の1色で、出来ればその1色の中に適度な色むらや風合いのあるものを選ぶほうが適している場合が多くあります。

豊富に建材の種類・色があっても、実はかつての地域で使われていたような色に還って行く。そうした歴史が知っている色の構造を意識しつつ、積極的に新しい製品がふさわしいような建築意匠に出逢う可能性も見据えておき、両方のベクトルの行き来しながら考える必要があると思っています。
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測色008-東京ミッドタウンのルーバー

2011-05-24 19:42:00 | 建築・工作物・都市の色
週末、用事のついでにミッドタウンを訪れました。2006年にオープンから5年、緑あふれる都心の複合エリアとしてお馴染みの場所となっています。

いくつかの規模の建築物が集積しているのですが、それぞれは少しずつ異なりながらも、デザインのボキャブラリーがあるバランスで整えられ、穏やかな統一感や連続性を持った環境だと感じています。

その印象の最も大きな要因は、外周に展開されたルーバーではないでしょうか。以前から色相は10YRでは、とあたりをつけていたのですが、測ってみたところやはりほぼ10YRでした。

【テラコッタと焼付け塗装のルーバーが混在する車寄せ付近。この距離では見分けがつきません。】


以前施設とPARKを繋ぐブリッジを渡った時、間近で見たルーバーが一部焼き物ではなく、焼付け塗装であることに気がつきました。近接して見なければまず気がつくことはないと思います。これだけ色が近似に見えるのだから、丁寧に色合わせをしているのだろうな、と思って測ってみました。



すると、焼き物のテラコッタルーバーは10YR 7.0/4.5程度、焼付け塗装の方は10YR 7.0/3.0程度。左側であてがっている色見本は彩度6程度の列ですから、そこまで鮮やかな色ではありませんが、右側の彩度3の列よりは明らかに彩度が高く見えます。少なく換算しても彩度1.0程度以上の差があることがにわかには信じられず、何度も色票をあてて測りなおしました。



これはより見やすいようにマスクをかけたもの。色票の間にある白い部分を隠すと、対象物の対比を正確に認識しやすくなります。左は10YR 7.0/6.0、右は10YR 7.0/3.0の値を示す色見本です。素材同士を比較しても、左のテラコッタルーバーの方が僅かに“色気がある”ことがわかると思います。

これは自身でも本当に意外というか、こんなにも違うのだということがかなり衝撃的でした。距離を置くことで色の見え方が変わるというのはごく当たり前に、普段から目にしている現象ですが、表面のテクスチャーの異なる材料をこのような微細な色のコントロールにより違和感なく表現することが出来るのだと思いました。

もちろん、まだ竣工して5年ですから、今後10年・15年と経過するにしたがって、両者の“歳の取り方”にはズレが生じてくることと思います。ですがここでは塗装色の方がより低彩度に抑えられていることが良い結果に繋がる可能性が高く、テラコッタの方は多少の汚れも味わいや風格として捉えられ、それぞれの存在感がごく自然に馴染んでいくのではないか、と感じています。

テラコッタルーバーは取り付け金物も含めると相当な重量があります。建築物の構造に負担をかけたくない場合やメンテナンスの観点等から、部分的にテラコッタよりもやや軽量な金属を用いる、というような選定がなされたのではと推測しています。

HPにはアーキテクト&デザイナーという頁があって、より詳細な設計データも検索することが出来ます。いつかご担当の方にお目にかかる機会がもしあるならば、色々お尋ねしてみたいところです。

ちなみにミッドタウンでのお目当てはDEAN & DELUGAという食料品店。いつ訪れてもディスプレイがとても美しく、かなりお値段は高めですが親しい友人へのちょっと贈り物に最適な品々が揃っています。以前、天然のものだというその色に惹かれて贈ったもの、あまりにも好評たったので、その後自分でも愛用しているマウンテン・オブ・ソルト。
何と調べてみたらAmazonで販売しているではありませんか…。

マイルドな塩気で少し甘みのあるこのお塩は、肉や魚のグリルにぴったりです。メの荒さを調節できるミル機能がついていますので下味用に荒めに、など調節も出来る優れものです。
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視点場の変化と連動する外装色の見え方

2011-05-23 20:56:46 | 日々のこと
お目当ての敷地を探してまちあるきをしている途中、少し年季の入っていそうなマンションをみかけました。わずかに陽が傾き始めた頃で、西日を浴びて変化のあるファサードがくっきりと浮かび上がって見えました。

手前の道が坂になっていて、下から昇って行った際、左手に見たときは『かなりR(レッド)よりの赤だなあ』くらいにしか思わなかったのですが、坂を昇り切って振り返ってみると、少し印象が異なりました。手前にある白系の建物とのコントラストが効いていて、坂の下から見上げた際の少しの圧迫感が払拭されている、と感じました。

【緩やかな坂の中腹あたりからの眺め】


丁度色見本を持っていたので、また坂を下りて測ってみたところ、7.5R 4.0/5.5程度でした。日塗工の色見本帳にズバリの色が無かったので、2色の中間で検討を付けました。もしかすると、彩度は6.0くらいあるかもしれません。

数値だけ見ると、かなり派手さを感じる色です。マンセル表色系で行くと赤の中心(最も赤らしい赤)は5Rですから、7.5Rというのは少しだけ黄味の方に寄った赤です。色見本帳の中でもラインナップが少ない色相であり、一般的な塗料としての使用頻度が少ない色であると言えると思います。

また、何度か紹介している景観計画における色彩基準では、暖色系の彩度は6.0以下、積極的に景観誘導を図っている自治体では4.0以下としている場合もあります。つまり地域によっては、上記の外装色はNGとなる可能性もある、ということになります。

難しいですねえ、本当に。景観とデザインを良いバランスで両立させるためには、このギリギリのあたりの色を使う場合の“成り立たせ方”、その論理を考えて行かなくてはなりません。

まちの中で色を見るときは、この建物との距離感や視点場の変化、ということが想像以上に大きな影響力を持っていると感じています。幹線道路沿い等で建物の真正面しか認識されない場合と高低差のある坂の途中にある建物の場合では、見られる面の面積や陽の当たり方の変化等、色(+素材とその質感)が認識されるための条件が異なるためです。

そうした観点から行くと、この外装色はこの環境(場)では十分に成り立つ可能性がある、と思いました。

普段から頭の中で色々考えていることの答えが導き出されたような気がして、こういう事例に出逢うとちょっとワクワクしてしまいます。色の新しい面、可能性に出逢えたように感じます。もちろん、少し個性のある色彩は好き嫌いの問題もありますし、周辺への影響の度合いなどにも十分な配慮を行わなければなりません。

この色が印象的だったのは、見た瞬間に建築家のRicardo Bofill氏の作品を思い出したためでもあります。入社当時、ニュータウンの計画に多く携わってきたという点や形態と色彩の扱いが特徴的であること(そうでない作品も多いのですが)に興味を持ったことを良く覚えています。

そういう色の見立て、もまちあるきのテーマの一つです。
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